しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 <あの子の代わりに>

2023-11-08 | 創世記
「ですから、どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなた様の奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと一緒に帰らせてください。あの子が一緒でなくて、どうして私は父のところへ帰れるでしょう。父に起こるわざわいを見たくありません。」(創世記44:33,34新改訳)

十数年前、ヨセフは兄たちに捕らえられ、奴隷(どれい)としてエジプトへ売られた。それを提案(ていあん)したのはほかならぬユダだった(創世記三七章)。いまそのユダが、あなた(ヨセフ)の奴隷にしてくださいと申し出たではないか。そのかわり、どうかベニヤミンを父のもとに帰してくださいと懇願(こんがん)しながら・・・。彼は自分のすべてを差し出し、一家の犠牲になろうとしたのであった。▼ヨセフにも「父に会いたい」との焼けるような思いがある。ここでベニヤミンが帰れなかったらその父が悲哀(ひあい)のうちに死ぬだろう、とユダはうちあける。このとき彼は、そうとは知らずに、ヨセフの心臓(しんぞう)を槍(やり)でつらぬいた。演技(えんぎ)では決してできないドラマの頂点(ちょうてん)をみるかようだ。もちろん二人を超えて、この場面を創出されたのは神ご自身なのだが・・・。▼十数年前、ヨセフは兄たちから穴に投げ込まれ、殺されようとした。その非道さはヨセフの心深くをえぐっていたにちがいない。間一髪いのちだけは保たれたものの奴隷に売り飛ばされ、今日まで来たのだ。ところが鬼のような兄のひとりユダが、すべてを捨てて父を救おうとしている。このような愛と犠牲の心が兄にあったとは!ヨセフが自分を制しきれなくなったのがよくわかる。このユダの子孫からイエス・キリストがお生まれになり、十字架のとりなしが出現したところに、神の救いのご計画の神妙不可思議(しんみょうふかしぎ)さがある。