しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 ナホム書2章 <ニネべの消滅>

2018-12-18 | ナホム書

椿の花「町々の門は開かれ、宮殿は消え去る。王妃は捕らえられて連れ去られ、そのはしためは鳩のような声で嘆き、胸を打って悲しむ。」(ナホム2:6,7新改訳)

アッシリアの首都ニネべの落城は、ちょうどサマリアのそれと似ている。▼BC722年、シャルマヌエセル王はサマリアを滅ぼし、生き残った北イスラエルの人々を連れ去った。宮殿は消え去り、ホセア王もその王妃も捕囚となった。嘆き悲しむ長蛇の列がパレスチナからアッシリアまで続いたのである。▼だがそれから百年後、今度は世界帝国の首都ニネべがおなじ目に遭った。偶像礼拝と暴力、血を流す罪を止めない国に、神による審判の剣が襲いかかった。あのヨナの宣教により、悔い改めた王の態度が続いていればニネべは助かったであろうに、それは一時的なものでしかなかったことがわかる。▼神は今も世界の国々に、心からの悔い改めを求めたもう。偶像礼拝と尊大なあり方を撤回し、万物の創造者に対して礼拝の姿勢を取れと。しかし諸国は反逆をやめないであろう。それゆえ世界は永遠のさばきを逃れることができない。◆ホセアは、アッシリアについて、「銀を奪え。金も奪え。その財宝には限りがない。あらゆる尊い品々があふれている」(ナホム2:9同)と記した。アッシリアとその王を駆り立てたもの、それはひと口でいえば「征服欲」である。彼らは周辺の国々を次々に飲み込み、その財宝を奪い、ニネべに集め、そこを宝の山にした。だがよく考えてみれば、現代の国々、世界大の企業なども同じことをやっている。彼等もまた「征服欲」の奴隷となり、製品や技術やあらゆる形の何物かを売って、人々や国々を支配していくことに喜びをおぼえているわけである。その証しが手元に集められた富、権力といえるであろう。◆イエス・キリストがなさったのは、これと反対であった。主は御自身のいのちをこの世界にお与えになられたのだ。そしてすべてを与え、すべてを注ぎ出したすえ、最後に残ったのは十字架上に骨と皮になったしかばねだったのである。「人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。わたしが命じることを行うなら、あなたがたはわたしの友です。」(ヨハネ15:13,14同)