しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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聖日の朝に <ヨハネの子シモン>

2024-06-16 | みことば静想
「『ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。』ペテロは答えた。『はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。』イエスは彼に言われた。『わたしの子羊を飼いなさい。』」(ヨハネ21:15新改訳)

復活の後、ガリラヤ湖畔でこのように主はペテロに尋ねられた。しかも三度、おなじ質問をされたのは、おそらくペテロを使徒たちのリーダーに任命するためだったと思われる。▼ペテロは心に深い傷を負っていた。なぜなら主が大祭司の庭で十字架刑に定められたとき、「わたしはあの人を知らない」と公けに告白したからである(マルコ14:71同)。人を恐れる心から、三度も愛する主を否んだペテロ、その彼に、主は三度「わたしを愛していますか」と尋ねたのであった。こうしてペテロはペンテコステ以後、エルサレム教会の実質的な指導者になった。▼神はしばしば、心に深い痛手を持ち、うちのめされた人をお用いになる。ペテロだけではない、パウロも異邦人への使徒として用いられたが、救われる以前は教会をはげしく迫害した悪党であった。それが生涯にわたって彼の傷となり、「私は罪びとのかしらです」との意識となった。とはいえ、キリスト教史における最大の使徒ふたりが、心に深い傷を持っていたことは、実に重いことではないだろうか。▼その理由は、神の前に誰も誇ることがないためである。すなわち、「義人はいない。一人もいない」(ローマ3:10同)のだ。「人が成すすべての偉大な功績と働き」は(人からではなく)神から出、神がほめたたえられるために存在するのである。