「これからはもう、イスラエルの子らは、会見の天幕に近づいてはならない。彼らが罪責を負って死ぬことのないようにするためである。」(民数記18:22新改訳)
イスラエル民族は罪深さのゆえに、そのままで神に近づくことはできない、と定められた。しかしそれにもかかわらず、神の臨在を失わないためにはどうすればよいか?▼イスラエルの中に特別の聖なる場所が設けられ、神はそこに常在される。ただし人々は自由に近づけば神の聖に打たれ、死んでしまうので、特に選ばれた人々が自分自身をきよめ、会見の天幕で奉仕する必要がある。こうして選ばれた人々がレビ族であり、そのさらに中心にある聖所で奉仕するのは、レビ族の中から二重に選ばれたアロン家の人々と決められたのであった。エデンの園を追放された人間が、聖なる神にお仕えすることが、いかに至難(しなん)のわざだったかがわかる。▼このすべての壁を取り払い、いつでも誰でも神のもとに近づけるようにしたのが主イエスの血潮である。これを恩寵(おんちょう)の奇蹟と言わずして何と言おう。