しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 <パウロの使徒性>

2024-06-01 | Ⅰコリント
「私には自由がないのですか。私は使徒ではないのですか。私は私たちの主イエスを見なかったのですか。あなたがたは、主にあって、私の働きの実ではありませんか。」(Ⅰコリント9:1新改訳)

コリント教会にはパウロの使徒性を疑う人々がおり、しばしば議論されていたが、それに対する彼自身の反論が本章の内容である。▼そもそも使徒とはナザレのイエスと共に交わり、復活された主にお会いした経験を持つ人たちを指した。ところがパウロにはその経験がないではないか、というのがコリントの人たち(たぶん一部の人たち)の言い分であった。この疑問に対し、パウロは述べる。「いや、私はダマスコへの途上で復活し、天におられるナザレのイエスに直接会ったし、そのお声もハッキリ聞いた。そして異邦人宣教の命令を受けたので、生涯をささげてそれに取り組んでいるのだ。ギリシア人へ福音を伝えたのも、主の指示を受けてであり、その結果コリント教会が産み出されたという事実を知ってほしい。あなた方の存在こそ、私が使徒であることの証明なのだ」と。パウロの切々とした説得が私たちにも迫って来る。▼人がキリストに出会う、という時、その出会い方は千差万別である。しかしパウロの場合、その出会い方は圧倒的だったとしかいうことができない。その影響はキリスト教の全歴史において無比の影響力を与えているからだ。神はアナニアに、「あの人は・・・わたしの選びの器です」(使徒9:15同)と言われたが、彼の生涯を用いることによって、神はキリスト教の歴史を建て、その愛の無限の深さ、広さを世界の諸民族に浸透させつつ今日に及んでいる。誰が何と言おうと、なんびともパウロに匹敵する働きをすることはできなかったのである。その点において、当時のコリントの信徒たちはあまりにも皮相的であり、浅薄であった。とはいえ、パウロの弁明は書簡となり、福音の解明書ともなって全時代の教会を照らし続けて来た。じつに不思議な神のご計画としかいうほかはない。▼彼は生涯を宣教にささげ、最後はローマの片隅で囚人として死んでいった。その死に注目する者はだれもいなかったであろう。皇帝の死が帝国最大の行事として行われたのとはあまりにも対照的であった。しかしそれでよかったのである。いかなる人間も、偉大な人物としてあがめられてはならず、ただ栄光は(パウロではなく)神にのみ帰せられるべきだからである。