エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

昨夜はオーケストラを聴いた

2012年12月26日 | ポエム
マンドリンに続き、昨夜は交響楽団の音楽に浸った。
馥よかな深みのある音量に身を委ねたのであった。

マンドリンの繊細にして沁み入るような楽の音に心を揺さぶられた。
オーケストラの、囁きから咆哮にいたる音の調べに感動した。



「東大フォイヤーヴェルク管弦楽団」である。
第28回定期演奏会。



場所は、後楽園遊園地の横、文京区役所に隣接する「文京シビック・ホール」である。
開場6時半だというのに・・・。



地下一階から二階にかけてこの人の列である。
当然一階にも並んでいる。

演奏会のプログラムは「チャイコフスキー」一色である。
  バレエ音楽「眠れる森の美女」Op.66より抜粋
  ロココの主題による変奏曲イ長調Op.33
  交響曲第4番ヘ長調Op.36
であった。

シビック・ホールは音が籠る印象がある。
それは否定ではなく、ホールの個性として評価するのである。

管楽器の響きはとても良かった。
ハープの音も際立って客席に届いた。



素晴らしい定期演奏会であった。







「冬眠の蓄えに聴くチャイコフスキー」







演奏会がはねた後、気分も良く帰路に着く人々である。
この日、ぼくは賛助会員になるべく書類を頂いた。

この楽団は聴くたびに成長を見せてくれる。
この楽団の成長を見守りたいと思ったのである。



        荒 野人

マンドリンを聴く・・・その2

2012年12月25日 | ポエム
マンドリンの噎び泣くトレモロよ!
ぼくは時として、滲み出る涙を拭った。

琴線に触れる馥よかな音なのである。
前回聴いた時よりも、更に心に沁みる。
豊かな、それでいて繊細な音韻であった。



演奏する者が楽器となり、豊かな音を紡ぎだしている。
身体が楽器と渾然一体となっているのであろう。



この楽団は、準備・・・例えば椅子を並べたり、譜面台を置いたり、指揮台を運んだり、全てを自分たちでする。
音楽を愛する所以でもあろう。



演奏するものも、スタッフも全員で準備する。
老いも若きも、である。







「艶やかなマンドリン聴く霜の夜」







コントラバスも自分でカートに載せ引っ張ってくる。
楽器の運搬も当然自分でするのである。

そうしたパトスが輝き、音質を浄化させ豊かに響くのだろうと思う。



楽を奏で、それに耽り且つ自らの情念を燃え尽くす演奏は、聴いていて心地良いのは当然である。
もしも、あなたもその世界に触れたいのなら、演奏会に出かけてみて欲しい。
「群馬マンドリン楽団」にアクセスしてみてはいかがだろうか。



          荒 野人

マンドリンを聴く

2012年12月24日 | ポエム
マンドリン・・・なんという切ない音色であろうか。
噎び泣くかのようである。

だがしかし、トレモロが響き合うと忽ち南の国の陽気な讃歌にと変わる。
例えばカンツォーネの伸びるようなテノールと響き合うのである。



今回で4回目となる東京公演である。
両角氏の指揮棒が冴えた。



この楽団の優れた音は、ひとえに両角氏の情熱的な指導による。
同時にその両角氏と共に歩み続けたコンサート・マスター上野氏の功績が大きいのだろうと思う。



リハーサルの休憩時間、わずか5分程度であるけれどひたすらマンドリンを弾き続けている姿があった。
上野氏の努力には、感服する以外なかった。

会場は、飯田橋にある「トッパン・ホール」である。



素晴らしいホールである。
印刷業界のガルバー、凸版印刷らしい文化貢献である。







「ピック持つ爪弾く音の寒日和」







簡単にこの楽団の紹介をする。



ぼくが紹介するより、この印刷物が良かろうと思う。
萩原朔太郎の精神世界の広がりを感ずる楽団である。

それは、両角氏が朔太郎の孫弟子であること、あるいはまた前橋と言う町の特性でもあろうか。




         荒 野人



霜柱

2012年12月23日 | ポエム
霜柱を踏むと「キュッ!」と音がする。
カチカチに霜柱が立っていると「シャキッ!」と言う。

冬の足場の悪い場所に霜柱は立つのである。
畑などでは、大切な土を持ち上げて、ドロドロにしてくれる。
これは厄介なのである。

貴重な畑の作物を根こそぎ持ち上げてしまう場合もある。
また、公園などでは貴重な苔を持ち上げてしまう。

だがしかし、そのキラキラと光る氷の柱は、太陽を浴びると七色に変わって魅せる。







「霜柱しぶとく残る枝の影」







霜柱・・・。
もうしばらくは楽しめる、冬の地表の物語である。

そうだ、楽しもうではないか。
ぼくは、霜柱を見た後カフェで珈琲を頂いた。
店内は避けて、オープンなテラスで頂いたのであった。



      荒 野人

追伸;今日はマンドリンの東京公演の日である。
    リハーサルから写真を撮るように依頼された。
    友人のA氏を通じての依頼である。
    素敵な写真が撮れると良いのだが・・・。

マヤ文明の終末論

2012年12月22日 | ポエム
12月21日は冬至である。
奇しくも、マヤ暦が一巡し新たな暦が始まる日でもあった。
世界中で「この世の終わり」と喧しいけれど、実は暦が振り出しに戻ったにすぎないのである。



マヤのティカル神殿である。



マヤの天文台である。
この天文台で星の動き、更には天体の法則を測ったのである。
凄い知識であり、文化である。

世界が終わるのでは無く、双六の振り出しに戻った日が、12月21日であるに過ぎないのである。
メキシコのユカタン半島に栄華を誇ったマヤ文明である。



マヤの文字である。
マヤの人々の恐るべき知識と技術は、一体どのように育まれたのか。
インカ文明もそうだけれど、古今東西宇宙人説が囁かれ続けている。
「オーパツ」なる言葉もその産物である。
「在ってはならないもの」それがオーパーツ、である。



これはマヤの王の棺の蓋に描かれたレリーフである。
ジェット機の操縦をしているように見える。
バレンケ遺跡からの出土である。

誠に不思議な絵柄である。



とにかく、マヤ遺跡にはピラミッドが多い。
これはチィチェン遺跡のピラミッド。
ピラミッドの頂上には陽を焚いた跡が残っている。
ゾロアスター教(拝火教)のルーツではないかとの学説もあるのである。

とまれ、これほどの文明を築いた人々が、終末論をバラまいて消えるわけが無い。
救いが用意されていたのである。

暦が終われば新たな暦が始まる・・・という救いである。
時代が終わっても新たな時代が始まる。
そう考えるべきである。

マヤ文明では歴史は繰り返すという観念があり、異なる周期を持つ複数の暦が用いられていたのである。

日本では、冬至に「柚子湯」に浸かる。
カボチャを食べる。

その二つの儀式を我が家でも行う。



「懐石の野菜調え冬至待つ」



我が家の食事は、懐石料理というほどではないけれど、節季を楽しむ慣らいは大事にしたいのである。



      荒 野人