夾竹桃に触れると、あの暑い夏の日々が蘇ってくるのである。
ヒロシマ、ナガサキである。
若かった頃・・・もう大分昔の事だ。
だがしかし、記憶に刻まれている暑さと追悼の日々である。
梅雨が開け、カンカン照りのヒロシマは夕方には凪となって暑さがいや増すのであった。
ナガサキは、坂が多くて閉口したものだった。
そう「原爆忌」である。
あの暑いヒロシマ・ナガサキの街の中には、夾竹桃が咲き乱れていたのであった。
何年か、ヒロシマ・ナガサキには通った。
最初の頃は、新幹線がヒロシマまで。
その後は、在来線に乗ってナガサキに向かった。
時には、ヒロシマから夜行列車でナガサキに向かった事も。
少しも苦ではなかった。
これに加えて「オキナワ」の平和行進。
陽に晒された腕は、火脹れとなって何ヶ月もその名残を感じたものだった。
ヒロシマ、ナガサキ、オキナワ。
日本人の戦後の原点である。
平和の「礎(いしじ)」である。
ヒロシマ・ナガサキ・オキナワは、日本人の平和の心であるのだ。
会での不毛の論議を聞くにつけ「平和国家日本」の原点は、多くの血が流されたこの国の大地にあると思うのだ。
以前に「大地讃頌」という合唱曲をアップした。
再び戦争国家とならぬよう・・・
再び家族や友や、再び親しい隣人を戦争に行かせてはならないのだと思うのだ。
俳人は、過去の悲劇を忘れてはならない。
何時までも、いつまでも記録し続けなければならない。
歴史を風花させてはならない。
オリンピックに浮かれて、あの東北の大震災を風化させつつある日本。
あの大惨劇を忘れてはならない、のである。
「危うさや平和な空の夾竹桃」
夾竹桃は、そう語りつつ街中で咲いているのだ。
荒 野人
追 記
ぼくは政治的課題をブログに記すのは好ましいと思わない。
思わないけれども、夾竹桃はそれを語れと云うのである。
梅雨明け間近の誕生日の後に、野人の残り少ない時間への遺言としようと記す。
そう、このブログもまた「エピローグ」である。
幕を閉じるとき、決して後悔の無い真実と本心だけは語っておきたい。
ぼく自身の生命の炎が消えようとしている訳では無いのだけれど。
戦後の平和が、人生の先達が営々と築き上げて来た平和が土台から崩されようとしている。
戦争国家になろうとしている。
その証左は、防衛省のいわゆる背広組の文官と自衛官が対等の立場で防衛大臣を補佐する
規定などを盛り込んだ防衛省設置法の改正だ。
10日の参議院本会議で、自民・公明両党などの賛成多数で可決され成立した事だ。
シビリアン・コントロールは既に、為政者によって否定された。
自衛隊は「制服組と私服組」とが対等になった。
否、対等よりさらに改悪されてしまった。
文官と自衛官の双方が行っている部隊運用は、迅速な対応を可能にするため、自衛官中心
の統合幕僚監部に一本化すること。
更に、陸海空の自衛隊の装備部門などを統合し、装備品の研究開発から調達までを一元的
に行う「防衛装備庁」を防衛省の外局として新設することも盛り込まれているのである。
戦争国家に向かう法案が、次々と国会で通過してゆく・・・。
夾竹桃とともに、言わねばならない。
俳句を詠む一人の逸れ者(はぐれもの)として、言っておこうと思ったのである。
長い追記になってしまった。
けれど、あの燃え上がるような学生時代のパトス。
燃え上がるような行動力。
懐かしがってばかりはいられないのかもしれない。
俳句を通じて、何かを発信するのも団塊の世代の責務なのかもしれない。
人の世に熱あれ
人の世に光あれ
そして、この国に平和あれ
全国の結成大会の宣言の文言である。
なんと云う、熱い問題意識であろうか。
戦後七十年。
平和という事象で世界に貢献して来たのが、日本であった。
その根幹は平和憲法である。
いまや、日本人のアイデンティティでもある。
平和の心であり、平和の礎(いしじ)である。
ヒロシマよ・・・
ナガサキよ・・・
オキナワよ・・・
そこで尊い生命を散華した同胞よ・・・
いま
ぼくたちは平和を希求する。
団塊の世代の同胞よ・・・
ぼくたちが築いて来た文化は、一体なんだったのだろうか?
改めて、自問自答しなければなるまい。
団塊の世代の同胞よ・・・
あの、騒然とした時代。
騒然の底辺で、思惟した日々を思い起こそうではないか。
行動した日々を、思い起こそうではないか。
エールを送ろう。
例えば、木霊が返って来なくても・・・。
戦は厭だ!
そう叫ぼう。
人を殺すのは厭だ!
そう叫ぼう。
エピローグは、森羅万象を慈しみ日々の暮らしに詩をもたらしたい。
そうすることによって、今が大切だと言い続けたい。
今のこの平和がである。
而して、夾竹桃が覚醒させてくれたパトスの所在である。
大地を讃頌せよ・・・と。
ヒロシマ、ナガサキである。
若かった頃・・・もう大分昔の事だ。
だがしかし、記憶に刻まれている暑さと追悼の日々である。
梅雨が開け、カンカン照りのヒロシマは夕方には凪となって暑さがいや増すのであった。
ナガサキは、坂が多くて閉口したものだった。
そう「原爆忌」である。
あの暑いヒロシマ・ナガサキの街の中には、夾竹桃が咲き乱れていたのであった。
何年か、ヒロシマ・ナガサキには通った。
最初の頃は、新幹線がヒロシマまで。
その後は、在来線に乗ってナガサキに向かった。
時には、ヒロシマから夜行列車でナガサキに向かった事も。
少しも苦ではなかった。
これに加えて「オキナワ」の平和行進。
陽に晒された腕は、火脹れとなって何ヶ月もその名残を感じたものだった。
ヒロシマ、ナガサキ、オキナワ。
日本人の戦後の原点である。
平和の「礎(いしじ)」である。
ヒロシマ・ナガサキ・オキナワは、日本人の平和の心であるのだ。
会での不毛の論議を聞くにつけ「平和国家日本」の原点は、多くの血が流されたこの国の大地にあると思うのだ。
以前に「大地讃頌」という合唱曲をアップした。
再び戦争国家とならぬよう・・・
再び家族や友や、再び親しい隣人を戦争に行かせてはならないのだと思うのだ。
俳人は、過去の悲劇を忘れてはならない。
何時までも、いつまでも記録し続けなければならない。
歴史を風花させてはならない。
オリンピックに浮かれて、あの東北の大震災を風化させつつある日本。
あの大惨劇を忘れてはならない、のである。
「危うさや平和な空の夾竹桃」
夾竹桃は、そう語りつつ街中で咲いているのだ。
荒 野人
追 記
ぼくは政治的課題をブログに記すのは好ましいと思わない。
思わないけれども、夾竹桃はそれを語れと云うのである。
梅雨明け間近の誕生日の後に、野人の残り少ない時間への遺言としようと記す。
そう、このブログもまた「エピローグ」である。
幕を閉じるとき、決して後悔の無い真実と本心だけは語っておきたい。
ぼく自身の生命の炎が消えようとしている訳では無いのだけれど。
戦後の平和が、人生の先達が営々と築き上げて来た平和が土台から崩されようとしている。
戦争国家になろうとしている。
その証左は、防衛省のいわゆる背広組の文官と自衛官が対等の立場で防衛大臣を補佐する
規定などを盛り込んだ防衛省設置法の改正だ。
10日の参議院本会議で、自民・公明両党などの賛成多数で可決され成立した事だ。
シビリアン・コントロールは既に、為政者によって否定された。
自衛隊は「制服組と私服組」とが対等になった。
否、対等よりさらに改悪されてしまった。
文官と自衛官の双方が行っている部隊運用は、迅速な対応を可能にするため、自衛官中心
の統合幕僚監部に一本化すること。
更に、陸海空の自衛隊の装備部門などを統合し、装備品の研究開発から調達までを一元的
に行う「防衛装備庁」を防衛省の外局として新設することも盛り込まれているのである。
戦争国家に向かう法案が、次々と国会で通過してゆく・・・。
夾竹桃とともに、言わねばならない。
俳句を詠む一人の逸れ者(はぐれもの)として、言っておこうと思ったのである。
長い追記になってしまった。
けれど、あの燃え上がるような学生時代のパトス。
燃え上がるような行動力。
懐かしがってばかりはいられないのかもしれない。
俳句を通じて、何かを発信するのも団塊の世代の責務なのかもしれない。
人の世に熱あれ
人の世に光あれ
そして、この国に平和あれ
全国の結成大会の宣言の文言である。
なんと云う、熱い問題意識であろうか。
戦後七十年。
平和という事象で世界に貢献して来たのが、日本であった。
その根幹は平和憲法である。
いまや、日本人のアイデンティティでもある。
平和の心であり、平和の礎(いしじ)である。
ヒロシマよ・・・
ナガサキよ・・・
オキナワよ・・・
そこで尊い生命を散華した同胞よ・・・
いま
ぼくたちは平和を希求する。
団塊の世代の同胞よ・・・
ぼくたちが築いて来た文化は、一体なんだったのだろうか?
改めて、自問自答しなければなるまい。
団塊の世代の同胞よ・・・
あの、騒然とした時代。
騒然の底辺で、思惟した日々を思い起こそうではないか。
行動した日々を、思い起こそうではないか。
エールを送ろう。
例えば、木霊が返って来なくても・・・。
戦は厭だ!
そう叫ぼう。
人を殺すのは厭だ!
そう叫ぼう。
エピローグは、森羅万象を慈しみ日々の暮らしに詩をもたらしたい。
そうすることによって、今が大切だと言い続けたい。
今のこの平和がである。
而して、夾竹桃が覚醒させてくれたパトスの所在である。
大地を讃頌せよ・・・と。