元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

坂本竜馬の絶命寸前の手紙を発見<経済で国を動かす政治理念・思想が分かる>

2014-04-18 18:08:06 | 社会保険労務士
 組織のリーダーは、困難に直面したとき、未来の目標を指し示す必要!! 

 なんでこんなものが今頃ここに、しかもちゃぶ台の下に!古物商から1000円で入手!!

坂本竜馬が暗殺される10日前(頃)に、土佐藩の参政 後藤象二郎にあてた直筆の手紙の下書きが東京都内で発見された。この大発見のきっかけは、NHK情報バラエティー番組の「突撃!アッとホーム」であるというから驚きである。バイきんぐが番組の中で偶然出会った主婦秦優子さん、父が約30年前に古物商から1000円で買ったものだというが、ちゃぶ台の下に置いてあった。NHKスタッフは、初め偽物だと思っていたが、番組取材で、高知県坂本龍馬記念館、下関市長府博物館、京都国立博物館の鑑定をしてもらううちに、まちがいなくほんものであることが分かった。

 この手紙は、福井藩の松平春嶽に土佐藩の命を受けて、会いに行った時の「復命書」である。司馬遼太郎の「竜馬が行く」では、福井に行って松平春嶽本人に面会したとされているが、この手紙では、本人に会えなくて、代わりに三岡八郎(後の「由利公正」である。)にあったと記されている。こういった事実や、下書きであるため、逆に竜馬の正直な本音がにじむ出て出ているため、非常に貴重な史料であって、価値が高く1500万円の値段が付くという。

 当時の歴史の流れを時系列にすると、1867年は、竜馬の働きもあった10月14日*の大政奉還、その直後の10月30日に福井を訪ねて三岡八郎に面会、11月5日に京都に戻っている、そして同15日に近江屋事件で竜馬が暗殺されることになる。(ゆえに、京都に帰ってから復命書を書いたとすれば、11月5日から11月15日の間で手紙をしたためたことになる。)

 注目すべきは、大政奉還後の新政府の樹立をにらみ、福井藩士の三岡八郎を財政担当として、この土佐藩にあてた手紙の中で推薦している点である。手紙文中では、新政府の財政担当は「三八(三岡八郎の「三八」)を置かば他二人なかるべし」となっている。福井藩の財政立ちなおしの立役者となった三岡に会って、三岡が幕府の財政を憂いていたことに、国の財政の担当者になるべしと、ますます意を強くするのである。土佐藩主山内容堂らが大政奉還を企てたので、土佐藩の言うことに、だれもが一目置くようになったからかはわからないが、事実、三岡八郎は、新政府の基本方針を示した「五箇条の御誓文」の起草に参画し、財政政策にかかわっている。

 今でいえば、世界的に見ても、政治が悪いのでまずは政権を倒せば何とかなるというような者が多い中で、当時の竜馬は一つ違っていた。日本の未来を見据えて、「船中八策」を唱えたのも竜馬であるし、新政権樹立後すぐに財政政策担当を誰にするかを考えていたのも、非常にたぐいまれな将来を見通す先見の明を持っていたといえる。いまでこそ、文化・政治等には、経済的な基礎があって、はじめて成り立つと考えられているが、当時、明治政府の樹立の基盤において、「経済で国を動かすという龍馬の政治理念や思想を感じさせる」(毎日新聞、高知県坂本龍馬の森館長)ものであり、龍馬の発想がいかにすばらしいものであったかが分かる。

 と同時に日本のリーダーとして考えたとき、目標を示して、あるべき未来の到達点をまず示し、皆がそれを共有することが、必要不可欠であるとされる。とくに、江戸幕府が解体したときにおいて、日本が進むべき道を示さない限り、未来はない。その点において、坂本竜馬が経済がまずは基本であるという発想とその人材を見つける作業をしていたということには、素晴らしいものであると考えるのである。会社という組織においても、窮地に追い込まれたとき、目標を示すリーダーの存在は、同様に大きなものがある。

 歴史に「もし」はないといわれるが、あと少し生きていて明治政府の姿を見ていて欲しかったと思うのは私だけではないだろう。
 
*10月15日から10月14日に訂正しました。(2014年4月19日)
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