元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

黒田官兵衛の異見会の基となった「異見に対する考え方」について<諫言の取り扱い>

2014-04-04 18:46:59 | 社会保険労務士
 官兵衛のリーダーとしての度量の大きさ<諫言=忠告の扱い方>


黒田官兵衛は、福岡に転勤の身となったが、子の長政に言い伝えて、「家」を守るために、あえて「異見会」という政治手法を編み出したということを、前に書いたが<>、それは彼が、次代を担う「天下人」の気質を備えていたから、秀吉や家康からに警戒されたため、考え出したものと言える。

 
 読んで字のごとく、「異見会」=異なった意見を言う会なのである。意見の一致をみる「意見」ではなく、あえて、モノをいう「異見」を言う会なのである。トップの考えにイエスではなく、あえて違った意見を言わせるところに意義があるのである。

 
 それでは、異見がまとまらないという方もいるかもしれないが、これも「慎重さ」の重視であって、もう戦国の世ではなく、江戸の太平の世の中に移行していた当時の政治手法としては、理にかなっていたのあり、明治の廃藩置県まで続いたのは、その表れであろう。


 この異見会の制度は、秀吉・家康から、彼が警戒されているのに対し、親友の小早川隆景が「あなたは決断が速すぎる。もっとゆっくりと慎重に考えてもよかろう」と忠告したことから来ているとも考えられる。彼の即断則決は、すばやくかつ的確な判断を下していたのであるので、私ならすぐに反論するであろうが、彼は、そういった諫言を受け入れる、リーダーとしての度量の大きさを持っていたのであろう。

 
 彼はよく次のように言っていたという。(以下、童門冬二著「戦国武将一日一言」1月18日 の分から)
 
人間には必ず、相口、不相口というのがある。相口というのは、他人の心をよく知ってそれに合わせることだ。不相口というのは、逆らって異見を言う者をいう。が、大切なのは不相口であって、相口の者ばかりまわりに集めたのでは、決してその者にとっていいことではない。不相口の者が言う異見に耳を傾けるべきだ。


 確かに難しい事ではあろうが、しかりである。


<異見会は現在の経営手法にも通じる>
<異見会と黒田家の家訓>


 参考:童門冬二著「戦国武将一日一言」PHP文庫 他

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 山本五十六の「やってみせ、... | トップ | 「仕事と家庭の両立支援ガイ... »

コメントを投稿

社会保険労務士」カテゴリの最新記事