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元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

国家公務員も残業したら残業代を出すのが当たり前(河野太郎)<労基署の代わりの「人事院」の機能>

2022-09-24 09:40:03 | 社会保険労務士
 河野大臣は「能力のある国家公務員にはきちんと時間外を払い良い仕事をしてもらう」(「霞が関の崩壊始まる」)というごく普通の感覚での発言!!

  河野太郎大臣はデジタル庁大臣が知られているが国家公務員制度担当大臣というものも併せ持っている。この国家公務員制度については、労働基本権の労働者の権利としての「団結権」「団体交渉権」「団体行動権」につき、この公務員については制限されているが、これをどうするかについての議論が昔から問題になっている。それはさておき、驚いたのは、その基本的な労働条件がなおざりにされているという実態である。河野太郎大臣は、担当大臣として一般的な普通の感覚の持ち主であるからこそ、大臣就任後、初めてその実態を明らかにした。

 次の記述は、朝日新聞デジタル版での大臣の発言録をそのまま伝える。
 ① 霞が関がもう、崩壊の兆しというよりは、崩壊が始まっている。これはちょっといかんなあと。ついこの間も、ある役所の将来のエースと言われていた人が、辞めるというような話をしに来られた。② ちょっと前まで、霞が関は残業代を払わないのが当たり前みたいな風習がありましたけれども、明らかに民間なら手が後ろに回るようなことを霞が関だからいいんだっていうわけにはいかないよと。残業代を払えと言ったら、払うようになりまして。できるんだったらもっと早くやればよかったねっていうことだと思いますが。③ そもそも安い給料を承知の上で国のために働こうと思ってきた人が霞が関に入ったら、どうでも良いようなつまらない業務をやらされているんだったら、それは辞めるよねと。せっかく能力のある人が来てくれているわけだから、いかに来て良かったと思ってもらえるような仕事をやってもらうかがこれから大事なことだと思う。(日本記者クラブ主催の記者会見で)

 河野大臣は、残業代は払わない風習みたいなものがありましたと本当に払わなかった実態を赤裸々に述べている。国家公務員といってもいろんな公務員がいるわけで、大臣だって特別職の公務員ですので、そういう方々は除き、一般的に国会が開かれれば、そのために答弁書を作ったりして残業せざるをえないような「一般職」の公務員を想定して考えていきます。

 一般職の国家公務員は、残業代がもらえなかった場合に、労働基準監督署に訴えることはできないのでしょうか。一般職国家公務員とっては、そもそも労働基準法は全く適用になりませんので、労働基準法が規定するところの労働条件、そしてそれを監督する労働基準監督署の機関そのものが存在しません。(国家公務員法付則16条) ですから、労働基準監督署に訴えることはできないことになります。

 その代わり、「一般職の職員の勤務時間、休暇等に関する法律」及び「一般職の職員の給与に関する法律」と民間で言う就業規則に相当するものとして「人事院規則」が制定されています。そこには、民間と同じく超過勤務手当や休日給、夜間手当が規定されています。そして民間の労働基準監督署に相当するものとして、人事院が設けられているということができます。人事院は、先ほど労働三権の制限がある代わりに、「民間の春闘」で給与を決めるのではなく「民間を調査していくら公務員の給与を上げたらいいのかという勧告をする」という機能を持っているものでもあります。そこで、時間外をしたら時間外をもらえるわけで、それがなかったら、人事院に相談すればいいということになります。しかし、先ほど大臣が認めていたように、ちゃんと時間外手当をもらっていたようには思えません。

 これには、あくまでも推測の域を超えませんが、民間の独立した労働基準監督署に比べ、国家公務員の場合は、独立した「人事院」という機関であるとはいえ、同じ行政機関であることから、いってしまえば、そんなところは仕方がないよねとかといった、取り上げない姿勢があったのではないか。もっといえば、同じ行政機関であるところから、内部事情が分かり納得し合えるといった「なあなあ」の姿勢がみられた(身内感覚)からではないでしょうか。残業代は払わないという風習みたいなものが出来ていたとの述べられていたように、国家公務員がそれぞれに残業代申請について、人事院への何らかのアプローチをしたのかも疑問です。早く言えば、この点について、人事院が全く機能していなかったということもできます。そもそも人事院云々と言う前に、それぞれの省庁のトップである大臣、すまわち一番上の上司はどういう対応をしてきたのでしょうか。残業をしてもなんの対応もしなかったのではないかと疑います。それぞれの大臣が対応すれば済むことです。

 地方公務員の場合はどうなっているのでしょうか。地方公務員の場合は、基本的には労働基準法が適用になります。そこで、労働基準監督署の適用を、例えば現業の建設・建築部門とか病院部門とかは受けることになります。一方、事務的な色彩が強い本部などでは、国家公務員では人事院でしたが、これに類する人事委員会が労働基準監督署の役割を担うことになっています。(地方公務員法58条) したがって、いうならば、国家公務員とは違い、全く労働基準法が適用されない国家公務員よりは、部分的には労働基準監督署の監督も受けるということで、先ほど述べたところのより「身内感覚」はなくなっているということができます。

 さて、今まで、こういった国家公務員の実態について全く情報がなかったことが不思議です。河野大臣であればこそ、民間感覚でおかしいところはおかしいといえるような人が大臣に来て、初めて実態がわかったのです。東大等の優秀な人たちが国家公務員をめざす時代は過ぎ去ろうとしています。優秀な人たちを集めてよい仕事をしてもらうのが出来ない状況を河野大臣は率直に認めています。そこで、河野大臣としては、将来のエースとされるような人が辞めていくのに、霞が関は崩壊が始まっているとの表現になったものと思われます。公務員制度自体をちゃんと見直す時期にきているといえるのです。そのことを素直に河野大臣はおしゃったように見られます。

 ※公務員の場合は、予算の原則(総計予算主義の原則ー予定額の全額を歳入歳出予算に計上すること)により、時間外として予算化されていない限りは執行できないことになります。しかし、予算がないから時間外を支出できないとはいえず、元々必要な場合は予算化されていなければならないのです。
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労働者が仕事中の事故で相手に損害賠償した後に会社に応分の負担を求めることが可能か!<令和2.2.20最高裁判決/民法715>

2022-09-03 10:30:27 | 社会保険労務士
 民法715条は使用者は労働者の事業執行中第3者に加えた損害の賠償に対してその応分の負担を労働者に求償できるが・・・

  まず条文を確認したいと思います。民法715条は「労働者の事業の執行につき第3者に加えた損害について、使用者がその賠償をする責任がある」と定めています。これを「使用者責任」といっています。例えば、運送業者の従業員が交通事故を起こした場合は、一義的にはその責任は労働者にあり被害者に(=第3者)に賠償しなければならないのはその労働者なんだけれども、「事業の執行について」の事故なら、この民法715条の規定により、使用者もその賠償責任があるといっています。
 
 そして同条3項においては、使用者が現実に相手方(=第3者)に損害を賠償した場合は、その損害を生じさせた労働者へ「応分」の損害賠償の負担を求めることができるという規定(=労働者への求償)があります。しかしながら、この賠償額の全部を労働者に求償できるかについては、労使間の資力の格差、そして使用者は労働者を雇用し経済的利益を得ていることを踏まえ、こういったリスクを使用者は当然負うべくだとする考え方(これを「報償責任の法理」と言います。)に立って、損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる範囲でしか労働者には求償できないとされています。具体的には、こういった労働契約の特質を踏まえ「使用者は、その事業の性格、規模、施設の状況、被用者(=労働者)の業務の内容、労働条件、勤務態度、加害行為の態様、加害行為の予防もしくは損失の分散についての使用者の配慮の程度その他の諸般の事情に照らして」その労働者の求償の範囲を考えるべきだとしています。(茨石事件 最高裁昭和51年7月8日判決) 過去の裁判例では、労働者に故意または重過失があった場合のみ、損害額の4分の1や2分の1の限度で認められているようです。

 ここまでは、条文どおりの解釈だと思います。そこで、福山通運事件では、仕事中、労働者が第3者に加えた損害について、先に労働者が自ら全額を第3者に賠償した場合に、その負担を使用者に求めたものです。民法715条では、使用者が損害を賠償してその応分の負担を労働者に求めるものですが、この事件は、反対に労働者の方が賠償全額を支払った例で使用者に応分の負担を求めたものです。こういった「逆求償」(使用者からでなく労働者からの求償と意味で「逆求償」)は、明確な規定も判例もなく、学説上も否定的な見解があったのです。

 具体的な事件内容としては、トラック運転手をしていた労働者が、業務中に死亡交通事故を起こして、遺族にたいして1552万円の損害賠償をしたのちに、同額の支払いを使用者に求めたものです。使用者は事業に使用する車両全部について自動車保険契約を締結していないとの事情あり、労働者の方で賠償したという経緯もあったようです。一審では労使の責任割合を1:3として請求を一部認めたものの、控訴審では本来の賠償責任者は労働者であるとして、その労働者の請求を棄却しています。これでは労働者一人に賠償責任を負わせることになります。これに対し、最高裁は、715条の趣旨からすれば、使用者は第3者に対する損害賠償だけでなく、その労働者との関係でも損害を応分負担する場合があるとして、使用者・労働者のどちらかが先に賠償したかによって、会社の負担が異なるのは(=使用者が先に損害賠償すれば応分の労働者への負担請求、一方労働者が先に損害賠償すれば労働者は使用者へ負担請求できないとの考え)相当ではないとしました。すなわち、先に労働者が被害者遺族に損害賠償したからといっても、使用者は労働者に応分の損害賠償額を負うべきだとしたのです。
 
 したがって、大阪高裁判決を破棄して、損害負担額の算定のために同高裁に差し戻したものです。損害を自ら賠償した労働者は、上記茨石事件・最高裁51年7月8日判決の示した考慮要件(求償の具体的範囲)に照らして「損害の公平な分担という見地から相当と認められる額について、使用者に求償することができる」としたのです。
 なお、この最高裁判決においての補足意見として、労働者と使用者の負担割合について、労働者は自然人・会社はリスク分散のたくさんの選択肢を有することなどから、労働者の損害賠償の負担割合が小さい又はゼロであることもあり得るとしています。
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日本の「終身雇用」「年功賃金」は民間主導で戦後の高度成長期にできたもの(労使双方にWIN・WIN)

2022-08-06 10:20:25 | 社会保険労務士
 今や国の方で「労働市場の弾力化」を図り「リスキング・リカレント教育」の徹底を!!

 日本的雇用慣行として、今も依然として基本的にあり続ける「終身雇用」と「年功賃金」は、大企業や官庁を中心として今も存在しています。終身雇用とは、大雑把に言えば採用時から定年退職まで基本的にその会社の従業員であり続けるということで、年功賃金とは読んで字のごとく、年の功に応じて、すなわち年齢や勤続年数に応じて給料が上がっていくシステムのことをいいます。日本経済は、戦後の復興期において、西暦で言うと1955年(戦前の経済水準を超えたので翌年の経済白書で「もやは戦後ではない」とされた。)から1070年ごろまで経済成長率10%を実現していたあの時代に出来上がっていった、西洋に追いつき追い越せのスローガンの下、日本アズナンバー1ともてはやされた驚異的な経済成長の中で生まれたシステムであるということです。

 経済拡大の下で労働需要も拡大する中で、企業は卒業した時点で学生をそのまま大量に雇用するということが行われ、これが今の新卒一括採用です。そこでは、会社が責任をもって、若い労働力を社内で訓練して、当該会社に定着させるということがなされました。会社で訓練したスキルを利用して会社に利益をもたらす、若い時にはそれなりに、そして労働者が熟練期に入ると最高の利益をもたらした上で、定年になるので、「年功」と会社の「利益」はそのまま相応するものではないが、そこは高度経済成長の下で多少の調整が容認されたので、年功賃金は実に合理的なものであった。また、定年退職までの一定のスキルを保持している年齢までは、会社が責任をもって雇用を維持するという終身雇用も実にうまくいくシステムであったといえよう。労働者にとっては、若くころはあまり給料は少ないが、一定の年齢にあるとこれくらいはもらえる、結婚もできる、定年時にはそれなりの役職に上がれるといった夢ももつことができたのである。このころは、経済成長による社会全体の所得向上によって、賃金ベースの向上(いわゆるベースアップ)とともに、自分自身のスキルアップ(自己啓発・企業が受講させる研修)による年功賃金の向上が加わったので、さらに賃金の向上が見られたのである。また、会社にとっては、自分ところで研修・訓練しなければならないが、そのかわり、労働者の囲い込みにつながるし、定年までの労働者を雇うことにより、会社の将来の「設計図」が持てたのである。終身雇用と年功賃金は労働者にとっても、会社側にとってもWINーWINの関係にあったのである。日本型雇用システムは、失業率を低下、そして労使の安定的な雇用環境にも寄与した。労使双方で春闘で安定的な賃上げを維持できたのである。

 【ただし、先ほど、一定の年齢になると結婚できるといいましたが、この日本型雇用慣行(終身雇用・年功賃金)が想定する労働者は、今のような社会構造ではなく、戦後まもなくの社会システムの中で育成されたものであって、妻が専業主婦である男性正社員でした。つまり、夫が外で働き妻が専業主婦として家計を守るという形です。給料の中にも配偶者手当や今も残っている所得税の配偶者控除がありました(現在も残っています)。そのことは、女性労働者にとっては、この終身雇用と言うのは、蚊帳の外であったのである。女性は結婚すると当然のように退職するとか、女性については、もっと若くして定年制度が設けられているような就業規則がまかり通っていたのである。】

 実は、この日本的雇用慣行(終身雇用・年功賃金)は、民間の中で熟成されていったもので、国が「こう」せいといったものではないようです。これに主体的に働いた民間の事業者に、松下幸之助がいる。昭和4・5年の大恐慌のころ、従業員総出で在庫商品の販売を行い、一人も解雇せず会社が従業員の人生に責任をもつという精神を地に付けたという。では国の方ではどうしたかというと、そういった民間の経営方針には手を突っ込まず、計画・財政・金融面で側面的に援助したのである。池田勇人首相の「所得倍増計画」がある。これは、1960年を基準年度として、1970年までの10年間にGNPを2倍にするという計画を立てた(宣言したといっていい)、そして実際に動かしたのは、細部計画として、全国総合開発計画を立て、公共事業を拡大して、新産業都市を打ち出して集中的に開発を図ったのである。そして、その計画は6年半で達成してしまったのである。実際のところ、国・公共団体・金融機関が支援し、民間で作りあげたのが、この日本型雇用慣行システム(終身雇用・年功賃金)でもあった。

 ところが、1970年代を過ぎるとうまく動かなってくる。先ほど挙げた女性の労働者の考え方が、男女平等の観点から立ち行かなくなってきたことやさらには膨れ上がった非正規社員の扱い うまくいかなくなったので年功賃金の定年退職前の給与を固定すること さらにグループ内・外への労働者の派遣等で対応せざるをえなくなります。このころから、日本経済は、持続的で高い経済成長は維持できなくなり、若い世代に支えられていた人口構造も変化して、雇用環境もIT化の実現でよりテクノロジー部門へシフトしていきます。うまく行っていた経済システムの要素はすべて失われたといっていいのです。そうこうするうちに、1990年代には失われた20年・30年と言う長期にわたり停滞し、世界でも若い人々よりも超高齢化社会の問題が浮上してきました。いまや、労働環境は大きく変化してきています。確かに終身雇用も年功賃金も日本の雇用慣行かもしれませんが、作りあげた労働環境の要素の一つとして存在しないのも事実です。

 ではどうするべきか。まずは教育の内容の変更でしょう。新戦力に備えた(例えばIT化)をどんどん育成することです。そして、人生100年時代では、いつでも新しい分野に挑戦できる労働者の育成については、国の方で面倒を見るべきです。(リスキング リカレント教育) 従来の日本的雇用慣行(終身雇用や年功賃金)で企業で面倒を見るということは不可能となってきています。そして、企業間をいつでもだれでも自由に行き来できるような労働市場の開発が求められます。いまの日本の労働市場はあまりにも硬直的であるように思われます。必要な部門への技術・資本の移動は、難なく出来ても、一番の問題は労働力の移動です。例えば、離職した者が次の会社に就職した場合に、賃金が下がるのが一般的ですが、同じ職種であれば、同じ賃金レベルにでもいいはずです。ここには、会社を移動した場合には、同一のレベルで評価するシステムが存在しないことがあります。評価システムはその会社独特のものが、今に日本にはあるからです。他社にいけばその人物の評価はできないことになります。もちろん、先に述べた国のリスキング・リカレント教育も欠かせません。必要とあらば、法的にも自由に労働の移動ができるシステムを用意することも必要かもしれません。外国の例も参考にしながら、日本的慣行を見直すべき時期にすでに来ているのでしょう。

参考 101のデータで読む日本の未来 宮本弘暁著p241~ 当該データや考え方は自分なりに解釈し、これを構成しなおした。
   日本を創った12人 池田勇人編 松下幸之助編 
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IT化は短期的には衰退する職業はあるが長期的には新職業が起きる⇒労働市場の弾力化の必要性

2022-07-16 10:39:05 | 社会保険労務士
 自動化が高い職業(情報管理)①電車運転士②経理事務員③検針員 // 自動化が低い職業(創造性・社会的交流)①精神科医②国際協力専門家③作業療法士

  最近では、ロボットに代表される技術革新により、労働者の仕事がなくなっていく、機械に取って代わられるのではないかとの指摘があります。結論からいうと、短期的には機械に取って代わられることはあろうとも、長期的には技術進歩は新しい仕事を生み出すものであり失業を増やすとはいえないのではないかと思われます

 この話は、イギリスのオックスフォード大学のカール・フレイル博士&マイケル・オズボーン准教授の研究により、今後10~20年間に技術進歩によりアメリカ国内の労働者の47%が機械に置き換わるリスクがあるという報告からです。これに習い、野村総合研究所による研究では、国内の601種類の職業について、日本の労働人口の約49%がいまある職業が機械に取って代わる可能性があると指摘しています。日本で自動化される可能性がもっとも高い職業を順に示せば、①電車運転士②経理事務員③検針員④一般事務員⑤包装作業員⑥路線バス運転士⑦積みおろし作業員⑧梱包工⑨レジ係⓾製本作業員 また自動化される可能性が最も低い職業としては、①精神科医②国際協力専門家③作業療法士④言語聴覚士⑤産業カウンセラー⑥外科医⑦はり師・きゅう師⑧盲・ろう・養護学校教員⑨メイクアップアーチスト⓾小児科 が挙げられています。自動化の可能性が高いものは、コンピュータが得意な情報管理・処理の分野であることが分かります。一方の自動化リスクが低いものは、創造性分野であったり複雑な社会的な交流を伴う作業を行う分野などであることが分かります。

 しかし、これはあくまでも予測されたもので、「試算された前提」によって研究結果は変わるものであり、短期的には、これらの研究結果を認めるとしても、長期的には、技術革新によって、全く「労働しないでいい」というものでもなく、むしろ新しい労働需要が生じるようです。原始時代、人類は食料を捕獲するためにヤリや斧などの道具を考えだし、新天地を求めて船で旅立ち、空へのあこがれから飛行機で発明し、今は宇宙へ飛び立とうとしてます。人類の夢なのか、経済学的には果てしない「欲望」の連続性なのかわかりませんが、そのことにより技術革新はとどまるところを知りません。人類の欲望は、新たな技術革新の必要性を迫り、そのことにより次の技術を可能としてきたのです。次の技術の到達点では、その新しい地点から新しい欲望を生み出し、その欲望により新たな技術の開発を必要とするのです。

 人類の欲望はとどまるところを知りません。私は甘いものが大好きですが、新しいスイーツは最初の一口は実にとろけるように甘いものですが、次からは、だんだんとそのおいしさは薄れていきます。しかし、さらに新しい製品のスイーツが出た場合は、また新しいおいしさが戻ってきます。このように新しいものに挑戦するときには、実に人類の欲望は限りがないように出来ています。新技術の開発は、常に欲望が隣り合わせのものであり、どこまでいってもその拡大する欲望からくる必要性が生み出すものであり、またそのことが新技術の開発を支えているのです。したがって、技術革新もまたとどまるところも知りません。一時期、経済が停滞してこれ以上技術革新はないので、経済発展はこれ以上望めないのではないかと言われた時期がありましたが、さにあらんや、今ではIT・ロボットの技術革新が訪れています。

 新しい技術革新は、確かに従来の仕事を駆逐するかもしれませんが、新たな仕事という新しい職業を生み出します。今、IT時代に現れているところでは、ゲーマーやユーチュバーが挙げられます。ひと昔前では、絶対に考えられなかった職業です。衰退していく職業はある程度分かるにしても、新しい職業はその時代にそれ相応に表れてくるものであって、今ほかにどんな職業があるかを言うことはできません。宮本弘暁氏等の研究(アメリカにおいての実証研究・「101のデータで読む日本の未来」p256掲載)では、長期的には、技術革新の尺度として「生産性の成長率」と雇用の尺度として「失業」との関係性を調べていますが、技術革新によって失業が増えるという傾向にはなく、逆に技術革新は失業を低下させる可能性が大きいとの結果も出ているようです。

 ただし、短期的には、新技術により衰退する仕事に就いていた労働者は、確かに辞めざるを得ない者も出てくるかもしれません。そこでの対応として、日本は外国に比べ労働市場は硬直的とされておりますので、余剰となった労働者を容易に新しく開発された労働市場に引き受けられるような弾力的な 労働市場の開発(労働教育の充実、誘因効果等)が求められます。

 参考 「イギリスのオックスフォード大学のカール・フレイル博士&マイケル・オズボーン准教授の研究」や「野村総合研究所による研究」の内容は、「101のデータで読む日本の未来」(宮本弘暁著 php新書)のデータ・趣旨によった。
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10人未満労働者事業場の就業規則の作成・変更<手続の考えを整理⇒>最低「労働者周知」は必要>

2022-06-26 16:46:00 | 社会保険労務士
 「周知」は労基法に規定する「具体的方法」と労働契約法などにいう「実質的周知」の意味があるので・・・

  就業規則は、事業場で常時10人以上の労働者を使用する使用者に対し、その作成を義務付けています。常時の労働者が10人未満であっても、作成しても悪いことはありませんし、よくみられるのはその法人が営む事業場が10人だったり8人だったりあるいは11人だったりと10人を境にばらばらのようなケースは、まとめてその事業場に通用する全部の就業規則を作成しているような例がよく見受けられます。

 就業規則は、一般的に使用者が作成する職場規律や労働条件を定めた文書なので、あるなんらかの問題があった場合に、従業員を処分する場合や辞めさせたりする場合に、就業規則にどのような場合に処分するのかが規定していないと「任意に」処分することになります。そうすると、最終的に裁判になったりしたら、本当に不利な立場に立つのは社長さんです。職場の規律を規制する意味を持つのも就業規則ですから、これを守られければ、こうなりますといった社内のルールをつくるべきです。

 このような自発的に人事管理の必要性から就業規則を作る場合には、10人以上の場合には、その手順は労働基準法にちゃんと書いてありますので、そのとおりに行えばいいのですが、10人未満のときはどうなるのか。まずは、比較のために10人以上の場合の手続き・手順について簡単に説明します。
 (1)意見聴取 
    就業規則の作成について、使用者はその事業場の過半数を代表する従業員の意見を聴取すること
    〇過半数代表とは、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合にはその労働組合、
     それがない場合には、労働者の過半数を代表する者
 (2)労働基準監督署長への届け出
 (3)周知
    労基法では、つぎの方法で労働者に周知する義務を課している。
    ①常時各作業場の見やすい場所に掲示し、または備え付けること
    ②書面を労働者に交付すること
    ③磁気テープ、磁気ディスクその他これに準じるものに記録し、かつ、
     各作業場に労働者がその記録の内容を常時確認できる機器を設置すること

 このように10人以上のときは、(1)(2)(3)の手順に沿って進めていくだけですが、10人未満の場合はどうするのか。労基法89条では、常時10人以上の事業場では、就業規則を作成・届け出しなければならないとされており、同じ労基法90条では、この作成・届け出をしなければならない就業規則の作成には、労働者の意見聴取をしなければならないとされておりますので、10人未満の事業場には、労基法89条及び90条は適用がないことになります。したがって、基本的には、(2)の労基署への届け出も(1)の労働者の意見聴取も必要ありません。ただ、10人未満であっても労基署への届け出をしてもいいわけで、このことにより、うちの会社の就業規則は届け出を済ませており、しっかりした対応がされていると従業員には示すことができます。

 では(3)についてはどうでしょうか。周知義務は、労働基準法106条に書かれております。この規定は罰則を伴っており、10人未満事業場の就業規則について元々作成義務がない使用者が「任意に」作ったがために、その使用者に罰則が科されることになると妥当性を欠くことになりますので、10人未満の事業場の就業規則には、この労基法106条の周知義務の規定は適用されないとの解釈があります。しかし、労働法のバイブルともなっている菅野「労働法」では、この就業規則の周知義務は「法令の周知義務と並ぶもの」で10人未満の事業場にも及ぶとあります。この周知義務は、就業規則だけでなく労働基準法令の要旨、労使協定等の周知義務ともなっております。単に就業規則だけでなく労働基準法全般に及ぶ周知の規定で、第9章就業規則(第89条~92条)の関係規定とは別個に第12章雑則の中の第106条(法令等の周知義務)として規定されております。法令等にもかかる周知義務として、就業規則の関係規定とは別に規定した以上、労基法106条の周知義務は10人未満労働者の使用者にも適用になるという解釈であると思われます。

 こういった解釈が分かれている以上、現実には(3)の周知には、ちゃんと対応して①②③の周知のいずれかを図るべきであろう。具体的には、従業員がいつでも閲覧できるところに就業規則を置いておくか、パソコンでだれもが閲覧できる状態にしておけばいいので、そう難しいものではありません。

 まとめると、10人未満の従業員のいる就業規則の作成については、(3)(①②③のいづれか)周知の対応だけでよいことになります。

 ところで、社長が作った就業規則について、従業員の誰も見たことも聞いたこともなかった場合を考えてみます。全く従業員に公開されていない場合には、就業規則として、労働者の職場規律や労働条件としての意味を持たないことになります。労働基準法106条の周知は厳格に周知の具体的方法を示してありますが、労働契約法では、例えば7条(労働契約を結んだ場合に合理的な就業規則が労働者に周知されていた場合には、その就業規則の内容が労働条件となる。)の周知については、実質的に周知されていれば足りるとされています。この周知については、回覧や説明会などなんらかの方法で事業場の労働者の大半が就業規則の内容を知り、または知ることができる状態におかれていればよいことになっております。(東京高判平成12.8。23 就業規則モデル条文・中山著) この実質の労働者への周知さえなされてなかった場合には、就業規則の効力要件として、全く就業規則の意味は持ちませんので注意が必要です。最低でも、就業員に何らかの形で公開されて、初めて就業規則は規則としての意味を持ってくるということです。

 そして、就業規則を作成したならば、その会社にあった従業規則に随時改正していくことが必要ですが、この場合にもやり方は変わりません。(注意;労使慣行) ただ、就業規則の改正については、労働条件が労働者にとって「不利益に変更される場合」に限っては、例えば労働時間7時間に規定していたところ8時間に変更するなどのときには、原則として、従業員のそれぞれの同意(「周知」ではなく「同意」であることに注意)を得てから、就業規則の変更をすることが必要でしょう。(労働契約法8条) 10人未満の1桁代の従業員の全員の同意を得ることは、そう困難とは思えませんので、この方法の方が順当でしょう。

 就業規則の内容に直接変更を加えて、労働条件を変更することもありですが、この場合には、変更後の就業規則を労働者に周知させ、労働者の不利益について、程度・必要性・相当性など比較考慮した上で、合理的であると認められなければなりません(労働契約法10条)のでより一層の注意が必要になります。ですから、例えば「会社の窮状」を説明しても一人だけどうしても同意しなかったという場合などには、この規定によることになるのでしょう。
 
 (注意;労使慣行) 労使慣行とは、成文の形になっておらず、集団的な取り扱いが長い間反復継続的に行われ、それが使用者・労働者の間で事実上の行為準則として機能するものをいいます。それが就業規則として機能するものであれば、その労使慣行を改正後の就業規則で変えることは、上に述べた方法で可能です。
 ただし、これが、就業規則ではなく、労働協約の機能を有していた場合には、就業規則の新設・変更によっては変えることはできませんので、困難な場面に直面することになります。労働協約は労働組合がいなければなりませんので、労働者10人未満の事業場にはあまり適用はないかもしれませんが、この意味からも労使慣行扱いになる前に、ちゃんと就業規則を作成しておくべきでしょう。

 (その他の注意) 当たり前の事かもしれませんが、就業規則が有効に作成されたというためには、作成権限のあるものにより作成されたことが必要です。また、労働基準監督署に届け出ない場合には、就業規則の施行日をどうするかですが、一般的には、従業員に周知して社長が決めた日を施行日とすることになります。
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