goo blog サービス終了のお知らせ 

元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

会社は生態系とは「いい得て妙」➣人の組織は「働きアリの法則」「傍観者効果」が妥当

2022-01-01 16:22:15 | 職場・組織等
 会社も所詮「人の集合」であり、アリの組織にも類するもので、これらの生態系は複雑系 

 「会社って、ひとつの生態系みたいなところがあります」(漫画家「しりあがり寿」氏。矢口誠解説「ことば巡礼」より)<参考1> とあるが、会社の組織というものを十分に言い得ている。大きな池の中の「外来種のブラックバス」を撲滅すると、今度はアメリカザリガニが増えるという。また、有名な例だが、沖縄のハブを退治するために、マングースを持ってきたことがあった。ところが、マングースはハブを捕獲することはできるものの、実はマングースの好物は、ハブではなく他の小動物だったという。そのため、ハブではなく小動物が減ってしまったという。

 ある動植物を人工的に駆除しても、またその天敵を導入しても。もとに戻るかと言うとそうではなく、他の動植物が激増したり、天敵かどうかを確認しないと、減らすべきものは減少しなくて貴重な他のものが減ってしまう。それほど非常に生態系は微妙なものでうまくいかないものなのだという。

 会社の組織というものを生態系に例えた冒頭のことばは、非常に興味深い。組織も人の集合体で、人同士が関連しあって、業務を実行していくにすぎないものであって、個人個人は人そのものなのだ。微妙な人間関係のバランスがその組織に影響を与えるのだ。こいつは組織の雰囲気をみだすとして、異動させたとしても、もとにもどるかというとそうでもない。真面目に働いていた人間がそれを機にさぼりだしたり、おとなしかったものが頭をもたげてきてちがった雰囲気になることもあろう。なんとかしようとして組織の長は、組織からの排除を試みるのだが、予期した結果を生じないことも多い。

 「働きアリの法則」というのがある。ありの集団では、勤勉でよく働くアリ2割、怠けるアリ2割、普通に働くアリ6割であるという。人の組織においてもなぜだか同じ比率になるという。この場合に怠けるアリを排除すればいいと考えるのだが、これを排除してもまた別の2割の怠けるアリがでてくるという。人のグループにおいても同じだという。
 また「皆で頑張る」と「誰かが手を抜く」という原則もある。(「皆が電話を取らない」等特に怠け者でもないのに皆が動かなくなる現象から「傍観者効果」ともいう。) みんなで頑張ろうという社長の掛け声は、頑張らない者を生みかねない。そうではなく、各自埋没しないよう一人ひとりに声をかける必要がある。つまり、誰かが手を抜いても、それが分からないような「埋没」した状況では手を抜きやすいのである。だれもが「誰かがやるだろう」との思い込み、自分ひとり手抜きしても差し支えないと思うのである。(社会心理学のB・ラタネの研究) 戦国時代武将の長曾我部元親が偉かったのは、今から戦いに行く武者一人ひとりに、頑張ってくるよう声をかけたという。<参考2><参考3>

 このように、人間社会においても、一人ひとりが「人」という動物であることをかんがえると、まさに生態系そのものであると言える。確かに、組織論やリーダー論など人を動かす論理・学問は、出てきてはいる。しかし、ひところの物理学のように数式でとけるものではなく、複雑系で確たるものがないのも事実であろう。『複雑な生態系が「ちょうどいい」状態になることは珍しいと心得ていれば、経営者も会社員も少しは気が楽になるのではないか』と解説の矢口誠氏は言うのだが・・・。

 そうはいっても、経営者にとっては、悪質な「ブラックバス」であれば、まずはその生態系から排除しなければ悪影響を与えるのは必至であり、その後の処理は、自分なりの方法で見つけていかなければならないというのも実情であろう。経営者にとっては、経営者なりの覚悟を持って対処するしかないのである。

 <参考1>しりあがり寿氏のこの言葉は、サラリーマン時代にデビュー、10年ほど会社員と漫画家の2足のわらじを履いていたことから出たものだろう。当該記事は宮崎日日新聞21年12月21日掲載
 <参考2>話の本筋ではないが、組織論的には、この場合には役割分担と責任の範囲を明確にする必要があると識者は言うであろう。
 <参考3>「働きアリの法則」「傍観者効果」・・・・できる人は「この法則」を知っている!(水野俊哉著・三笠書房)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本人の特性/国民性をよく言い表したジョーク「船事故;みんな飛び込んでいる・本社に聞く」

2021-05-09 10:54:28 | 職場・組織等
   あるときには強みに、あるときは弱みに

 日本人の特性=国民性を踏まえたジョークに次のようなものがあるそうです。<※注1>

(1) ある豪華客船が航海の最中に沈みだした。船長は乗客に速やかに船から脱出して海に飛び込むよう指示した。
    アメリカ人には「飛び込めば貴方は英雄です」
    ドイツ人には「飛び込むのが規則になっています」
    イタリア人には「飛び込めば女性にもてます」
    フランス人には「飛び込まないでください」
    日本人には「みんな飛び込んでいます」

(2) ある時大型客船が難破し、それぞれ男2人と女1人という組み合わせで、各国の人が無人島に流れ着いた。それからその島で何が起こったであろうか。
    イタリア人:男2人が女をめぐって争い続けた。
    フランス人:女は男1人と結婚し、もう一人の男と浮気した。
    日本人:男2人は女とどうしたらいいか、トウキョウの本社に携帯電話で聞いた。

  個人的にはみんなの流れに同調し、会社という組織の中にあっては、忠実に組織のオキテに従うという日本人の特性をうまく言い表しています。あるときには強みになり、ある時には批判されるべき弱点にもなり得るものです。外国人にとっては、結局のところ、何も考えていないように(=自分の意思で行動しない)思われるのかもしれません。<※注2>

 <※注1> 「13歳からの日本外交」孫崎享著に紹介されているが、元々は早坂隆著「世界の日本人ジョーク集」に掲載されたものだとのこと。
 <※注2> こう考えたとき、明治維新のあの原動力はなんだったのだろうかとも考えます。尊王、攘夷、開国と争い、そして、国を作り上げたあの気概って、「火事場のバカ力」なのか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孫氏の兵法「(兵)少なければ逃れ、しからざればこれを避く」(外交の基本)

2021-05-02 11:11:17 | 職場・組織等
 現実、いやおうなしに相手との力関係により決まってくる

 孫氏の兵法の「敵を知り己を知れば100戦危うからず」は有名であるが、外交官だった孫崎享氏<*注>は、外交の観点からも、孫氏の兵法は深遠な思想が詰まっているとしている。その中でも、すばらしいものとして、次のようなものを紹介している。

 「用兵の法は、10なればすなわちこれを囲み、5ならばすなわちこれを攻め、倍すればすなわちこれを分かち、敵すればすなわちこれと戦い、少なければすなわちこれを逃れ、しからざればすなわちこれを避く。ゆえに小敵の堅は大敵の擒なり」
 ⇒戦いの原則は、敵の10倍の戦力があれば敵を取り囲み、5倍であれば攻め、2倍であれば敵を分断し、互角の時は全力で戦い、少なければ退却し、勝ち目がないと見たら戦わない。つまり、自軍が劣勢のときは強気に出て戦えば、強敵の餌食になるだけだ。
 (「13歳からの日本外交」孫崎享著 かもがわ出版)
 
 歴史的な評価・経緯は別にして、第2次世界大戦の前1925年の段階の資料では、GDPは米国は日本の約14倍、軍事支出で実に約4倍です。冷静な分析を行えば、とても勝ち目はなかったように思われます。

 現実の問題として、相手の国にどのように対応するかは、いやおうなしに、相手と自分との力関係で決まってくるともいえます。
 「相手より兵力が少なければ退却し、勝算が立たなければ敵軍との衝突をさけるべき」なのです。
 特に、現在においては、日本は紛争を解決する手段として戦争は放棄しております。

 必ずしも、そういった「兵力」だけの問題の話ではなく、もっと大きな「国力」として考えても同じことがいえると思います。
 
一般的に、小国が大国に戦いを挑むのは、「孫氏の兵法」を持ち出すまでもなく無謀なことだし、大国は核を持って戦えば結局のところ、地球は崩壊してしまうという状況にあります。今ほどに、平和憲法を持った日本の外交の真価が問われる時代はないと思います。
 
 外交に限らず、日常の世界・ビジネスにおいても、この「孫氏の兵法」考えるべくヒントはありそうです。
 
 <*注> 孫崎享氏は著書「13歳からの日本外交」(かもがわ出版)の中で、『時代は変わりました。「核兵器、ミサイルの発達で、軍事力で国を守る」ということができない時代に入りました。非軍事の分野で、軍事衝突にいかないシステムを作る必要性がいつの時代よりも必要になっている。幸いなことに、これまで人類が考えてきた英知は十分あります。・・・人類が、そしてその中の国家が、知性に背を向けて、生存や繁栄はないと考えます。』とし、著名にあるように”若い人々”の「自ら考える」ことに、その未来を託すような終わりになっている。 
 
 
  
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

外交を模した「ゲームの理論」の答えは?必ずしも「平等」とは限らない!!

2021-04-25 10:48:53 | 職場・組織等
 自分本位の考え方ではその後の交渉に悪影響を与える場合もあり

元外交官の孫崎享氏の「13歳からの日本外交」を読んだ。外交って、相手があってのこちらの出方であるし、その点相手のものの考え方や文化・歴史などを知らなければならないし、ものすごい「智」のやり取りの上で成り立っているなあと思い、興味をひかれた。

 その著書の中で、上智大学の教授たちと戦略論の講義をしたこと、そして教授が次のような「ゲームの理論」の問題を出されたという。

 Xという人が、AとBに合わせて100万円をあげることにした。ただし条件が付いている。
 ①AがAとBの間の配分を決める。この決定は1回だけ。
 ②Bがこの合意に賛成すれば、AB双方がもらえる。
 ③貴方がAの時にどちらにするか。
  (あ) Aが90万円、Bが10万円
  (い)AB双方が50万円。      (⇒以上、問題文は同著P71・72からそのまま引用)

 これに対して、上智大学の学生たちはほとんどが(い)を選択した。しかし、教授は(あ)に対する解答も大いにあり得るとした。

 考えてみると、明らかにAの方が立場は上である。Aが配分を決めることができるのである。(あ)のように、不平等な配分であっても、弱い立場のBは、ここで拒絶をすれば、10万円ももらえなくなるのである。そこでBはやむなく10万円の配分で決着をつけることになる。そこで、Aは、(あ)を選択しても、Bは応じる可能性はある。そこで、限定的には、確実に、答えは、(あ)である。

 しかし、孫崎氏は、外交って、そんな簡単なものではないという。(い)の答えもあり得るという。まずは、「公平」論である。もっとも日本人的な考え方です。これを基礎にして、ABの関係は、ここの場でのお金のやり取りに限られないというのがあります。将来、ずっといい関係を続けたいという考えがあります。他の解決すべき問題ではBが優位にたっているもの、または同程度のものであるかもしれませんが、その場合にはBに助けてもらう場面も出てくるかもしれません。そこで、将来を見据えた、長期的な選択をした場合は、答えは(い)となる。(あ)のように、Aの自分本位の考え方は、結局、今後の交渉に悪影響を与えるということです。同盟国であればなおさらです。
 また、外交って、その2国間の協議は、他の国にも影響を与えます。Aの自分本位の考え方は「そういう人よ」との評価になり、他のC、Dさん・・・という第三者の評価が加わってきて、Aにとっての外交はやりにくくなります。

 、2大大国のはざまにある日本である。日本の同盟国では、先の大統領は〇〇ファーストを掲げた。一方の国家主席は、〇帯〇路を掲げて、イメージ的には、どちらも(あ)の路線だったようだ。

 しかし、産業技術や経済規模等が絡んでくるとやっかいなのだが、純粋に「環境問題」をとらえれば、皆平等に(い)の考え方を推し進めるという考え方として捉えられるのではと思う。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

17条の憲法「和をもって貴し、事は独り定むべからず」(日本政治の基本)

2021-02-01 11:03:26 | 職場・組織等
 公卿も武家政治も基本合議制・強権政治は長く続いたためしなし

 歴史で必ず出て来る聖徳太子の17条の憲法では、「和を以って貴しとなし、さかふることなきを宗とせよ。・・それ事は独りさだむべからず。必ず衆とともに宜しく論うべし。」(和を尊び、人に逆らわないようにしなさい。物事は独断で決めるな。必ず皆と議論して決めなさい。)と定めているが、これは、国民に説いたのでなく、天皇の下での支配秩序のなかで、豪族たちに国家の官僚としての自覚を解いたものであるとされている。(*以下 趣旨は「繰り返す日本史 河合敦著」「徳川3代の人間学 童門冬二著」による) 
 
 以後、日本の政治の根本は、この政治的基本姿勢の中で行ってきた。朝廷のもとでは、太政大臣、右大臣、左大臣、大納言といった公卿たちの合議によって政策を決定、天皇の裁可を得たうえで、天皇の命令として出された。武家政治においても、長年続いた幕藩体制の創始者であると徳川家康は、岡崎城主であったころ、岡崎奉行を3人置いたので、「ホトケ高力(清長)、オニ作左(衛門・本田重次のこと)、どちへんなし天野康景」と庶民は言った。家康は、人間どこか欠点があり、すべてを備えた者などいないので、単独ではできないとして、チームワークや能力の相乗効果を重視したのであろう。幕藩体制においても、これを引き継ぎ、老中、若年寄、大目付、諸奉行の役職を設け、それぞれの役職について一人ではなく複数の者を任命した。家康は、下積み期間が長かったこともあって、人の信頼と同時に不信、用心深さというべきかもあって、複数任命という独特の組織体制を敷いたのであろうが、いずれにしても、それぞれの役職の合議制という、独断で決めるな、一人ではできないという政治基本が貫かれたことは間違いない。

 一方で、日本では、強権政治は、長くは続かず、必ず人心は離れて<麒麟はくる(42)=「離れゆく心」>政変が起きている。よく知られている例では、平清盛も一時は月の満ち欠けにも文句をいえるほどであったが、後白河法皇を幽閉、孫を天皇にするなど強引な手法で、清盛の死後数年で平氏はほろんだ。また、後醍醐天皇は、武家のなかで、強引に次々に新政策を実行したが、わずか2年で足利尊氏によって滅ぼされた。織田信長にあっては、皆殺しなど人を人と思わない性格や強引なやり方は、荒木村重、松永久秀、浅井長政など多くの家臣、身内の大名の謀反に合い、最後は義を重んじる明智光秀によって殺される。日本の中では、大きな権限を持ち、強権をふるった施政者は、必ずといっていいほど、長くは続かず、海外に見るような少なくても十年数年も続くような専制政治はできない。というのも、民衆の心が離れていくからである。今の政治にも学ぶところがあると考えるがいかがであろうか。

 憲法17条「和を以って貴しとなし、さかふることなきを宗とせよ。・・それ事は独りさだむべからず。必ず衆とともに宜しく論うべし。」なのである。非常時であれ、少なくともこの「独りさだむべからず」は重視しなければならない、一人よがりはゆるされない、非常時にこそ、民衆が何を考えているかを察知してすぐに動かねばならないのである。(どうも首相を始め各大臣がバラバラ動いて統一性がとれていないように感じるのは、私だけか。)
 
 参考 繰り返す日本史 河合敦 青春出版社
    徳川3代の人間学 童門冬二 NHK出版
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする