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元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

働きアリ法則・ユダヤ法則・パレート法則(残りの2割管理はどうしてもできない!!)

2022-03-12 13:55:25 | 職場・組織等
 完璧主義者であっても8割の達成を良しとして後の2割の改善を次々に図ることが大切
 
  会社において、管理者がいくら頑張ってマネジメントをしたとしても、「働きアリの法則」というのがあり、勤勉なアリが2割、普通に働くアリは6割 結局仕事が一人前にできるアリは8割で、後の2割は怠け者のアリだという。社員においても全く同様の比率のようだ。じゃあ、この怠け者を除ければいいのだということになるが、この怠け者をのぞいても、普通に働いていた者の中から怠け者が発生し、また同じ比率になるという。この原因ははっきりわかっていないのが実態であるが、「社会的手抜き」が考えられる。だれかが手を抜いても分からないよう状況では、だれもが手を抜きかねないのだ。

 また、ユダヤの法則と言うのをご存じだろうか。これは、世の中にはお金を貸したい人と貸りたい人の割合は、78対22の割合いると考えて、この割合で銀行を管理してユダヤ人は成功を収めたといわれています。この比率「78対22の法則」はもともと宇宙の法則であり、世の中のすべてはこの比率で成り立っていると考えられるという。人体を構成する水分とそれ以外、健康な人の腸に住む善玉菌と悪玉菌の割合、地球の海と陸地の割合、空気中の窒素とそれ以外の空気等の比率などである。空気中の窒素とそれ以外にあっては、確かにちゃんと一致するところであるが、人体は人それぞれで、海・陸の割合にあっても、気候の変動によっても変わるものであって、必ずしもそうでもないといえそう。しかし、これらの数字に近いものであることではある程度はいえるものでもあろう。少なくとも、いえることは約2割については、別種のものであり、これらは完全に管理できないということであろう。

 では、会社の仕事において、うまく管理するためにはどうすればいいのか。パレートの法則と言うのがある。これはもともと国家の富の分布は「不均衡」であって、ごく少数の人々に多くの富が集中しているという統計的分析による。※注※ この分布の「不均衡」は業務においてもいえるところであって 、仕事においても適用することができて、一日の仕事のうちで、2割の重要な作業を完全に行えば、業務の8割は達成できるというのである。業務の2割は完全に達成できなくとも、重要な2割の仕事をやり遂げれば8割の業績は達成できるので、この重要な仕事について十分管理しようというものである。よく考えれば、我々は完璧主義を目指して、細部まで小さなところまで一生懸命やるという、重要なところではないところで頑張っているところがないだろうか。2割の業務はよほどの完全・完璧な管理を行わなければならず、言い換えると本当に事細かな細部のことまで管理しなければできるものではないので、ここは譲って、8割の業績を達成できればいいと考えるのである。

 人間である以上、人間の英知には限界があり、 どんなに頑張っても細部までマネジメントできないところがあって、また、いざ実行すると予期しないことも発生することもあり、働きアリの法則で8割、ユダヤの法則で78%達成すればよしとせよということになります。後の2割等は不完全な形になりますが、あなたがどんなに完璧主義者であっても100%は出来ないことを心得るべきです。問題はその後です。まずは8割で「良かったね」となっても、次回に改善して、また次の次の回はさらに改善を加え、これを何度も何度も繰り返し、100%を目指していく努力が大切と思われます。

※注※ 分布の不均衡については、統計的には正規分布やカイ2乗分布等があるが、例えば正規分布は、これは富士山の山を考えればいいのだが、真ん中にトップ点がありそれがずっとすそ野まで広がるような形である。この形は、クラスの成績や身長にも当てはまると考えられています。この正規分布においても、真ん中部分に、より多くのデータがあり「 不均衡」な形となっている。山の頂上から標準偏差(データの偏りを示す統計的処理をしたもの)=「σ」の分だけずれると、山梨県側と静岡県側それぞれあるので、これを両方合わせて68.3%、標準偏差×2倍=「2σ」の分だけずれると95.4%、標準偏差×3倍「3σ」の分だけずれると99.7%のデータがこの範囲内に含まれ、頂上分を含む真ん中部分にデータが集まっていることが分かる。
 あくまでもイメージだが、形は富士山だが富士山よりもっと急な高さの山を考えると、富士山の8合目からトップまでの部分(すなわち2合)で山の全体の8割部分を占めるというようなことを考えると、「パレートの法則」はイメージしやすいのではないか。
 
 
 
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ロシアのウクライナへの侵略に合理性はない<「同族意識」なしでは同じ民族ではない>

2022-03-07 02:06:46 | 職場・組織等
 専制国のロシアが西側諸国に取り囲まれた焦り!!

 私は今まで「世界史」の勉強から逃げてきたので、あまりにも勉強不足で認識不足を感じている自分がいる。しかし、ことプーチン大統領になると彼の歴史認識はどうなっているのか疑いたくなる。9世紀後半から13世紀半ばまでウクライナに起源を発するキエフ大公国という大国があり、その中にロシアも含まれていたのであり、ロシアとウクライナは同じスラブ民族であったというのである。むしろ、ウクライナの方がこれら民族の故郷でもあるという。その後、ロシア側は東の方から来たモンゴル帝国の支配下になる。そして、ロシア革命が起こったのちに、ウクライナとロシアは、ソ連邦が崩壊するまで同じ連邦の下にあった。そこで、ロシアとウクライナは、兄弟同士でありソ連邦の下では同じ政治体制で機能していたというのがプーチンのもともとの侵略の主張のようなのだ。

 しかし、民族の定義は様々あり難しいようだが、少なくとも「同族」の意識がないと同じ民族とはいえない。同族であるかどうかは、その集団の中に芽生えた「意識」の問題でありウクライナがロシアを同族でないとするなら、同じ民族ではない。これは、それぞれの歴史的な文化的な過程において作られていくものなので、たとえ元は同じ民族であっても、今はウクライナ民族であるという認識が出来上がっているのであって、とても同じ民族とはいえないのではないか。今ではロシアとウクライナという全く違った主権国家があるのに侵略していくのは、実にばかげている。どう考えても、いまさら元々同じ民族で兄弟同士だから「統合」しようというのは筋が通らないのである。

 結局、専制国家であるロシアが民主自由国家に取り巻かれてしまい、ウクライナまでもNatoに加入すると、直接西側諸国と相対することになり、それでは自分の専制の座が脅かされてしまうということなのだろう。ソ連の崩壊前では、周りを固めていたポーランドやル-マニアなどの国家があったがこれらもNatoに加入してしまったところであり、ウクライナが抜けると丸裸になる。思うにナポレオン侵攻や第2次世界大戦のドイツ侵攻の悪夢が頭から離れないプーチンとしては、何らかの緩衝地帯を設けたいということなのだろう。ウクライナとしてはいい迷惑であろう。

 全くプーチンに正義はない。プーチンがこういった合理的でない主張をするのは、戦争をするための、他に合理的な理由が見つからないからだろう。それとも本当に同じスラブ民族の共通の論理展開が可能だと今でも考えているとすれば、誤った歴史認識もはなはだしい。彼の従来からの主張(論文)を見てみると、そう思い込んでいるような感じでもある。 
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ロコソラーレのチームワーク<楽しい雰囲気のコミュニケーション>

2022-02-28 09:39:30 | 職場・組織等
  自分の強み・弱みを補い合うチームワークこそ最高

 北京の冬季オリンピックにおいて、女子カーリングのココ・ソラーレが、前回の銅メダルに続き、今回銀メダルを獲得しました。カーリングは、氷上のチェスというぐらい知的なゲームであるという。それも個人戦ではなく、1チーム4人で戦うのであるからチームワークが必要なのは言うまでもない。リード・セカンド・サード・スキップと呼ばれる4人の投げ手の連携によって、最後の投げ手による円内(ハウス)のストーンの配置状況によって点数を獲得するスポーツである。それゆえ、リードから最後のスキップまでの投げ手が、最後の場面をどうするか頭に描いていなければならず、相手の出方によって状況が変化し、当方の前者の投げようによっては次がフォローしなければならない場面もあるし、投げ手だけでなくスウィーピングの技術も大きく影響するようだ。要するに、リード・セカンド・サード・スキップまでの流れいかんによって勝敗が決まるので、最後まで手を抜くこともできない一貫したチームワークの勝負でもある。

 ロコ・ソラーレは、常に大きい声をかけコミュニケーションを図り、常に楽しい雰囲気を醸し出していた。誰かがミスをしたときでも、次の投げ手がフォローしながらも、責めるようなこともなく、むしろ励まし合うような様子が見られた。

 斎藤一人はいう、「お互いが自分の強みを出し合い、相手の弱いところを補ってあげれば、みんな弱みがなくなってしまう。互いの強みを出し合った時、その力は足し算ではなく、掛け算になる。」
 「人の欠点を責めはじめると、自分の弱いところを隠そうとする。・・自分があの人の役に立てる部分はここなんだという捉え方をしていけばいい」
 
 みたいなスポーツが嫌いになった者としては、ロコ・ソラーレの雰囲気はこういうスポーツもあるんだということで、スポーツの考え方を変えさせられた。私たちの世代に育ったスポーツは、良きにつけ悪きにつけても根性論があったように思う。しかし、夏のスケートボードの「真夏の大冒険」にしてもしかり、冬の女子スノーボード・ビッグエアの4位に入った岩淵選手のパフォーマンスにしてもしかりであるが、国うんぬんではなく競技者が互いの素晴らしい技をたたえあうようであった。ここには競技そのものを楽しんでいるようでもあり、何か新しいスポーツの感覚があるように思う。

 根性ではなく、楽しいスポーツ。チームプレーにあっては、楽しい感じの雰囲気でスポーツが育っていることは、非常にうれしい。本来、スポーツの原点ってそんなものであるのではないかと思う。外からロコ・ソラーレの彼女たちのプレーを見ていて、朗らかでほほえましく、そして(スポーツマンに対しては失礼かもしれないが)癒されるような気になったのは私だけだろうか。

 しかし、好きだからやるというロコ・ソラーレの彼女たちの言葉のように、好きだから(=楽しいと同義か?)からこそ努力するのであり、一時期どん底にあったともいうが、そこには人一倍の努力の結果であること忘れてはならない。

 職場のチームワークにおいても、単に競い合って業務を推進してくだけではなく、それも必要なときはあるのは認めるが、楽しくコミュニケーションを取りながら、そして互いに補い合うような関係、ここにヒントがあるように思う。

<注> 長者番付日本一で有名な実業家 「斎藤一人のしあわせセラピー」kkロングセラーズ
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マニャーナの法則=明日できる仕事は今日やらない<明日の仕事のリスト化>

2022-01-30 09:01:46 | 職場・組織等
 今日しなければならない仕事に集中・明日までに頭の中で整理・明日には必ずやり遂げることに理あり

 明日できることを今日やらない(明日の仕事のリスト化)<マニャーナの法則=マーク・フォスター> ※注※

 これを実践した人は、残業が減ったと聞いた。仕事のやり方として、確かに納得するものはある。

 1点目は、明日できる仕事を区別し、今日しなければならない仕事に精力を傾けられることである。集中的に今日仕事ができる点であろう。

 2点目は、明日できる仕事をリスト化する段階で、頭の中のどこかで考えが出来上がっていくことになる。そして、明日の仕事をする段階では、ある程度の段取り等が整理されるという点である。これは、今日しなければならない仕事に集中するという1番目の点に矛盾するかと思われるかもしれないが、そうではなく、明日できる仕事のリスト化・そして時間の経過とともに「考えるとはなし」に、消化されて考えが整理されていくということである。 

 3点目は、明日できる仕事は、明日に必ずやるということであり、それ以上は伸ばさない。明日は必ずそれをやり遂げることにある。それ以上伸ばしてもいいことはない。機が熟するのを、明日という時点に置くということである。

 上司から命ぜられた仕事がすぐにできるからといって、これからやるのは、はたしてそれでいいのか考えてみよう。優先順位からいっても疑問だし、まずは優先順位を置いておいて、明日できる仕事かどうかを吟味してみようということなのだ。

 ※注※ イギリスのビジネスコンサルタント


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「邪魔」は人間生活の一部・物の見方が変わるメリットも=ブレーンストーミング・ディベートも大切

2022-01-22 18:17:10 | 職場・組織等
 邪魔をパフォーマンスをする際の「障害物」として見るのは間違いなんだと思う!!

 【邪魔が入るのも人間の生活の一部なんだと思う】(シンガー 米のノーベル賞作家)<注1>

 彼は、社会からすべてをリタイヤーした今になってから、これを読んで大いに感じるものがあった。それは同意したのではなく、自分は今までこの反対の生き方をしたという後悔からである。

 彼の場合は、この邪魔なるものを「障害物」とみなした。学生時代は、テストの点数が悪いのは、前の晩に母が用事を言いつけたのでその時間の分が勉強できなかったからだといい、試験日に隣のやつが騒いだので集中できなかったからだといい、全部他人のせいにした。友達だけでなく親もその「障害物」になったのである。

 社会に出てからも、自分の実力が発揮できなかったのは、全て他人のせいにした。自分のプランがうまく実行できなかったのは、A君のせいにしたのである。プランの全体はよかったように思えたのだが、A君がその細部を尋ねてきて、彼がうまく説明できなったからなのだが、それを全部A君が反対したからだと考えた。単にA君が反対したのは普段から仲が良くなく、その為の反対だったのかもしれない。まさに、A君が障害物だったのである。彼にとって、人間関係はわずらわしいものでしかなかった。

 しかし、世の中、そういうものではない。彼が職場で仕事ができるようになったのは、上司や同僚が技術・技能を教えたからである。敵視して、障害物と捉えるのは間違っている。職場の風土・雰囲気をも併せて、その環境の中で教示されて一人前に育ってきたのを忘れてはならない。だから、あのとき、だれだれが話しかけてきたから、十分なパフォーマンスができなかったというのは、言えないのである。そういうのも含めて、会社であり職場というということなので、その中で仕事をしていくということなのだ。職場は自分一人ではない。みんなで協力して仕事をしていくのが、会社なんだという認識が彼にはなかったのだ。
 
 【邪魔が入るのもときにはいいもんだと思っている。だって、書くのを中断したり、休憩したり、ほかのことで忙しくなったりすることで、ものも見え方が変わったり、視野がぐっと広がったりするもんだから】(シンガー 米のノーベル賞作家)<注2>

 まさにしかり。彼のプランが成功しなかったのは、発想はよかったのだが計画がまだ稚拙であったことによる。グレンストーミングやディベートなどの研修方法があるように、人とのやり取りの中でプランを練り上げていくものであって、そのための職場なのだ。少なくても彼が考えていた「障害物」と考えるのは、間違いなのだ。仮にもし職場にもどったら、少なくとも別の対応方法を取ると思うのだが、リタイヤーした今はもうそれもかなわない。


 <注1><注2> 2022年1月17日宮崎日日新聞「ことば巡礼」より引用

   
 
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