1964年8月6日に時の教皇パウロ6世が「エクレジアム・スアム」という回勅を出しました。私はこの回勅を学生時代にカトリック教会との出会いから知ることが出来ました。まだ洗礼も受けていない時にこの回勅を読んで感銘を受けたことを憶えています。回勅は教会の組織に対して「自覚→刷新→対話」を求めています。教会の自らの問題点を教皇が指摘して自らの回心を求めているのです。これは個人の私たち自身にも当てはまることです。自らの問題点に盲人となり自覚がないまま自己保身にはしる自分ー自分の問題の自覚が無ければ自己を刷新することも出来ず、人と対話することも出来ません。半世紀以上前の教皇の言葉が今の私に目を覚ましてくれようとしています。
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