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勝海舟の人生を振り返る(10)-皆が西欧列強へ目を向けていた時にアジアを向いていた

2017-07-16 20:51:48 | 日記
人は時の流れに乗って大半の人は動きますが、人の流れに逆らってもあるべき方向に向いていた人物がどの時代にも必ず居ます。それが勝海舟でした。明治の勝海舟は特にそれが表れています。誰もが西欧列強に目を向けて追いつけ追い越せと明治政府の号令のもと動いていた時に明治政府に身を置きながらも勝海舟はアジアに目を向けていました。明治政府は西欧列強に肩を並べアジアへ侵略しようとする姿勢に対して勝海舟はむしろアジアと協力して西欧列強に対しようとしました。勝海舟は日清戦争にも反対し清国の代表である李鴻章とも友人関係にありました。また清国艦隊の丁汝昌提督は勝海舟のことを大変尊敬して交友関係を結んでいました。勝海舟は幕末の神戸海軍操練所時代にも海軍でアジアとの連携を考えていました。当時は幕府により操練所は閉じられてしまいましたが、明治に入ってもこの考え方は変わらず、常にアジアとの連携を考えていました。
どんな時代にも人は時の流れにそって動きます。またどんなに暗い時代にも勝海舟のように流れに逆らってでも、あるべき道、哲学をしっかり持って動いた人物がいます。時代は変わりますが第2次世界大戦中の暗い時代でも日本には非戦を唱えた戦後に東大総長になった南原繁や矢内原忠雄がいました。どんなに暗い時代でも、あるべき道、哲学を持って動いた人物がいるからこそ今日のそして将来の日本があるのだと思います。
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