備忘録でもあるこのブログ。
過去のものを読んでいて、
ああ・・これだ・・と
立ち止まった記事。
寺本松野さんの言葉。
今一度、心に刻み直したく思います。
以下、再掲です。
緩和ケアチームに依頼があると
まず、症状緩和が図れること
専門チームである以上、必ず求められることです。
それに並行して
如何に、人を支え続けるか・・
この命題をチーム内で振り返り、
同じベクトルに向けていくことは
容易なことではないと感じています。
何となく時間をやり過ごしてしまうのではなく
意図してゆっくりと時間をかけることは異なること。
さらに、足が遠のいてしまうこともあります。
他大学で緩和ケアコンサルテーションを
始めたころ。
私自身が奮い立たされた言葉です。
私に、多くの示唆を与えてくださったシスター寺本松野さん。
聖母病院で終末期医療に寄り添われ
2002年に死去されました。
その活動は、緩和ケアといった言葉が出てくる前から
行われていました。
お名前で検索すると
今も、12万件を超えるものがヒットします。
“私、何ができるのかと思うと
あの患者さんのの所・・
中々、行くのが辛くて・・・”
死を意識された患者さんのケアにあたる時
そんな言葉を聞くことも少なくありません。
医療スタッフも葛藤があります。
最近読んだ本にこんな言葉を見つけました。
「逃げ出したい気持ちがあってこそ、
とどまる勇気が育つ」
看護師のシスター寺本松野さんの言葉です。
残念ながらお亡くなりになられましたが
心に染み入ります。
厳しく、優しく、深い言葉です。
マリア像のコメントを拝見して、こんな言葉がよぎりました。
PANDAの妻さんと娘さんの様子が思い描けるようです。
自己との対話・・本当に、大切な時間だと思います。
ご縁に導かれ、娘のカトリック幼稚園に伺いイエス様を抱くマリア様を拝見するたびに、この幼稚園になぜお導きがあったのか、とりもなおさず、私へのメッセージではないのだろうか…。そんな思いを感じております。
時間に追われ、日々に追われる日本人は、時に、自らの命、生きるということに、真正面から向き合い、想いを巡らす必要性を感じずにはいられません。
http://blog.goo.ne.jp/e3693/d/20080917
先人の多くの示唆に富んだ言葉は私達に力を与えてくれます。
言葉をつないでいきましょう!
直接患者さんにケアをしてあげることができないので
特に、終末を迎えた患者様が個室に入ってしまうと
自分に何ができるんだろう、と
中々、患者さんに会う勇気がでないこともあります。
そんなときに思い出すのが
緩和チームの精神腫瘍科の先生が
『行く、行かないの原則は
足の向かないほうの人のところに行く』
とカンファでおっしゃっていたセリフ。
さらっとおっしゃっていたのですが
心に響いて書き留めました。
同じように後輩が悩んでいるときに
その言葉を伝えるようにしています。
同室だった方から、サポートをもらっていらっしゃったのですね。その方々も、このシスターと同じメッセージを伝えてくださっていたのかもしれませんね。どこにいても、同じ心持で見守ってくださっていることと思います。
のぶさん
お辛い中コメントありがとうございます。疼痛には色々な種類があり、残念ながらオピオイドは万能薬ではないため、効かないものも沢山あります。かつては、診断名としても病態としても分からなかった脳脊髄液減少症。今、前に進んで行くことがやっとできるようになったのではないかと思います。とはいえ、痛いということは、時間を待っていられないということですよね。より早く道筋が見えてきますように。
「緩和ケア」で検索していましてここにたどり着きました。
今は初期ガンでもモルヒネを積極的に投与し、
患者の痛みを緩和してくれる、という事実を知り興味を持ちました。
私は、今、脳脊髄液減少症らしき病気で闘病中です。
この病気は、自覚症状がとても多彩です。
私の場合は、激痛というものはありませんが、人によっては全身が痛み、しかもモルヒネすら効かない、という過酷な病態です。
痛みが人の人格を壊すというのは、実感しております。
24時間休みなく身体の苦痛と向き合うのは、ものすごいストレスです。この状態でプラス思考を保つのは非常に困難です。
緩和ケアにより、患者が病気と前向きに向き合えるようになるという、ご意見はまさにその通りです!
Arugaさまのように、患者の痛みに添って下さるドクターの存在は、とても心強いです。
緩和ケアが、ガンだけでなく、他の辛い症状の疾患にも広がってくれる事を願ってやみません。
主人が私にとって、困る言葉を言い出すと、逆ギレして、よくケンカしておりました。
同室の、患者さんに・・・
「帰る時は、ニッコリ笑って、仲直りしてね!!」と諭していただいたり、「全く、仲良し夫婦なんだからぁ。」と、からかわれたり。
もしくは、私が困り出すと、病室の出入り口から顔を出し、スタッフステーションの担当医師や、担当看護師さんを探し出す私。
「キャッチバー・ぴょん」と、あだ名をつけて下さった、同室の患者さん。
本当に、患者さんにも助けていただきました。
天国から、今も、見守ってくれているでしょうか?あの方達も。