先日まで羽田空港内のギャラリーで開催されていた「岡崎嘉平太とその時代」展に行って来ました。
岡崎嘉平太先生。一言で言うなら、日中国交正常化に向けて尽力された方です。外交史上、時の総理大臣である田中角栄氏が1972年9月に訪中して国交が正常化されたわけであり、その準備に携わった方は大勢いますが、それ以前から・・・それこそ戦後から「中国と手を結ぶためには民間レベルから」と貿易面で奔走したのが岡崎先生でした。この方の尽力がなければ、両国の国交正常化はもう少し遅れたかもしれません。
私の父は岡崎先生に心酔した一人です。我が家が北京に住んでいた頃、父と仕事上でお付き合いのあった岡崎先生は我が家にも何度か遊びに来てくれました。私にとっては「おじいちゃん的な存在」でした。やさしいおじさんでした。
父が亡くなった時も、真っ先に葬儀にご参列下さり、最前列の席で父の遺影を見守ってくれました。その後、私が旅番組の主役旅人でテレビに出た時も「今見てますよ」とわざわざ電話をくれたっけ。
展覧会を見て、改めて岡崎先生の偉大さに心を打たれました。
久しぶりの羽田空港でした。やっぱ、空港はいいなぁ・・・。
岡崎嘉平太先生。一言で言うなら、日中国交正常化に向けて尽力された方です。外交史上、時の総理大臣である田中角栄氏が1972年9月に訪中して国交が正常化されたわけであり、その準備に携わった方は大勢いますが、それ以前から・・・それこそ戦後から「中国と手を結ぶためには民間レベルから」と貿易面で奔走したのが岡崎先生でした。この方の尽力がなければ、両国の国交正常化はもう少し遅れたかもしれません。
私の父は岡崎先生に心酔した一人です。我が家が北京に住んでいた頃、父と仕事上でお付き合いのあった岡崎先生は我が家にも何度か遊びに来てくれました。私にとっては「おじいちゃん的な存在」でした。やさしいおじさんでした。
父が亡くなった時も、真っ先に葬儀にご参列下さり、最前列の席で父の遺影を見守ってくれました。その後、私が旅番組の主役旅人でテレビに出た時も「今見てますよ」とわざわざ電話をくれたっけ。
展覧会を見て、改めて岡崎先生の偉大さに心を打たれました。
久しぶりの羽田空港でした。やっぱ、空港はいいなぁ・・・。
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