68回目の終戦記念日より一夜明けました。
毎年夏を迎える頃から戦争に関するドラマや情報番組、映画或いは書籍などが目の前に出て来ます。そして8月15日を境に少なくなっていきます。“一種の風物詩”になっている感じがしてなりません。
忘れちゃいけない事だから、常に憶えておかなければならない事だから、風物詩的な扱いをしてほしくない。そう思っています。
母のアルバムにあった写真です。母(左)と友人。“昭和十八年八月”と記されています。女学校に入学して4カ月の写真です。
僕が今携わっている劇団の公演内容がちょうどこの時期の話です。色々な人が色々と大変な境遇にいて、色々な思いを巡らせながらも戦争のど真ん中にいたんだな、と。
こちらも母です。“昭和二十年秋 終戦直後 国民服にモンペ姿”とあります。母の家も横浜大空襲で全焼の目に遭い、この頃は親戚宅に身を寄せていました。
終戦直後の8月20日。生まれたばかりの女の子が亡くなりました。栄養失調。母親の腕に抱かれながら逝ったそうです。生きていれば68歳。私の叔母です。
上の“秋の写真”の母はどんな思いだったのかな・・・と。
毎年夏を迎える頃から戦争に関するドラマや情報番組、映画或いは書籍などが目の前に出て来ます。そして8月15日を境に少なくなっていきます。“一種の風物詩”になっている感じがしてなりません。
忘れちゃいけない事だから、常に憶えておかなければならない事だから、風物詩的な扱いをしてほしくない。そう思っています。
母のアルバムにあった写真です。母(左)と友人。“昭和十八年八月”と記されています。女学校に入学して4カ月の写真です。
僕が今携わっている劇団の公演内容がちょうどこの時期の話です。色々な人が色々と大変な境遇にいて、色々な思いを巡らせながらも戦争のど真ん中にいたんだな、と。
こちらも母です。“昭和二十年秋 終戦直後 国民服にモンペ姿”とあります。母の家も横浜大空襲で全焼の目に遭い、この頃は親戚宅に身を寄せていました。
終戦直後の8月20日。生まれたばかりの女の子が亡くなりました。栄養失調。母親の腕に抱かれながら逝ったそうです。生きていれば68歳。私の叔母です。
上の“秋の写真”の母はどんな思いだったのかな・・・と。
写真のお母様、強さを感じます。
そうなんですよね。あのとき以上に怖いものは無い。おばあちゃんも母親も言っていました。あの頃の人たちは強いですよね。
とは言え、両親とも田舎育ちなので、空襲の話はほとんどなかったけど、十分悲惨な話だと感じました。
お母様の凜とした立ち姿、何か語りかけてくるようですね。
空襲の有無に関係なく、戦時中はどこも大変だったんだよね。そういう事を僕らはどれだけ的確に伝えていけるんだろう・・・って事あるごとに考えます。