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超級龍熱

香港功夫映画と共に

龍熱の昭和プロレス放談86 猪木日プロ造反劇を特集するプロレス&ボクシング誌

2024-05-17 12:07:09 | 龍熱の昭和プロレス放談
アントニオ猪木の日プロでの“造反劇”を緊急特集するプロレス&ボクシング別冊1972年2月号。
特集の内容が内容だけに今ではかなりのプレミアが付いているレアな号です。
ただこの特集号を読みながら、最近ロッシー小川氏が新団体マリーゴールド設立に動いた際に当初スターダム社長の岡田太郎や周辺のファンがやたら“引き抜き”だ!“引き抜き”だ!と騒いだ事を思い出しました。
私が引き抜き行為を肯定するとか否定するとかの話ではなく、プロレス界は元々それを繰り返す事で活性化して来た特殊な世界なわけです。
ましてこのプロレス&ボクシング誌で大特集しているようにアントニオ猪木さんの日プロ追放の“罪状”は「会社乗っ取りの容疑」ですからね。
私に言わせれば、この猪木さんの日プロ追放劇の衝撃的なスケール感に比べたら、今回スターダムの岡田太郎がロッシー氏に対して行なった「選手たちが殆どロッシー小川新団体に追従しそうになって、慌ててロッシー氏を“引き抜き”行為の確信犯と断罪しスターダムから追放した」的な流れはとにかくチープ、スケールが小さいの一言です。
例え猪木さんが日プロ内で造反を起こしたとしても、そこから新日本プロレスを設立し、新日を世界有数のプロレス団体に発展させたアントニオ猪木こそ歴史上の勝利者でしょう。
歴史は繰り返す、と言います。私はスターダムから“引き抜き”確信犯と罵倒されたロッシー小川氏と、スターダムのファンから裏切り者!と罵られたマリーゴールドの選手たちが再び歴史上の勝利者となる、そのプロローグを見届けに5.20後楽園マリーゴールド旗揚げ戦に行きます🏵。

Old but rare Pro-Wrestling & Boxing Extra issue February 1972.
This issue features JWA Antonio Inoki incident.

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龍熱の昭和プロレス放談85 ドリー・ファンクJr☓アントニオ猪木(後編)

2024-05-03 11:18:53 | 龍熱の昭和プロレス放談
遂にゴングが鳴ったドリー・ファンクJr☓アントニオ猪木激突!NWA世界ヘビー級選手権。その挑戦者である猪木が若き世界王者ドリーが得意とする幾つかの必殺技で警戒するフィニッシュ技が3つありました。
それらがファンク一家直伝のスピニングトーホールド(ドリーはこの技でジン・キニスキーからNWA王座を奪取)。さらにはハイアングルから相手を叩き着けるバックドロップ。そしてテキサスブロンコ(ダブルアーム)スープレックスの3つでした。試合開始から10分、20分と時間が過ぎていく中、ドリーは不用意にヘッドロックを取って来た猪木をこの急角度から落とすバックドロップでマットに叩き着け、満員の観客から一斉に悲鳴が起こります。
そして30分が過ぎ、観客たちはこのドリーと猪木がお互いに1本も許さずに終始アグレッシヴに動きまくる気迫が漲った試合展開に大声援を送り始めます。

猪木は当初から自分が目指した「60分3本勝負のこの試合、敢えてお互いが1本も取らずに動いて動いて動きまくる!」という言わば“未知の挑戦”を、王者ドリーが真っ向から受けて立って来た事に心の中で感動さえ覚えていました。
そしてドリー自身も自分と同年代の日本人の挑戦者が挑んで来た純粋で崇高なストロングプロレスに対して、心の中で静かなる闘志を燃やしていたのでした。「イノキよ、ユーがババとは全く違う新しいファイトスタイルでミーと闘う事でババにも勝とうとしている事は判っているさ。ミーもNWA世界チャンピオン、それこそ毎日が60分フルタイムの連続だ。それも世界各国のトップレスラー相手にな。ミーは60分フルタイムならその60分の攻防で15分1本勝負を4回やるつもりで闘う。そう、観客は15分に1回、ミーのスープレックスやバックドロップが炸裂する度に総立ちになるんだ。さあ、イノキ、残り30分でミーの底無しのスタミナにユーが何処までついて来れるか見せて貰おうか!」
試合は40分を超え、ドリーのテキサスブロンコスープレックス、猪木のブレーンバスターが交互に決まり、さらには冷酷な王者振りを見せるドリーがセコンドのハーリー・レイスのアシストを得て負傷した猪木の指を攻める事で観客は大興奮状態となります!
そして55分が過ぎ、さらに残り1分となった時、猪木のコブラツイストがドリーを捕えます!!王者ギブアップか!?それとも時間切れで逃げ切り防衛か!?試合は懸命にロープに手を伸ばしたドリーが猪木と同体でコーナーに崩れ落ちた瞬間、60分フルタイム引き分けのゴングが鳴ったのでした。
目の前で珠玉の名勝負を目撃した大阪府立体育館の観客が万雷の拍手で2人のプロレスラーを讃える中、ドリーと猪木は疲れ切った身体と共に無言で歩み寄り、お互いにリング中央でガッチリと握手を交わしたまま暫しの間、立ち尽くしていました。それは自分たちが挑んだ“未踏の境地”を共に全力で走り切った2人のプロレスラーだけにしか判り得ない“真実の瞬間”だったのです。


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龍熱の昭和プロレス放談84 ドリー・ファンクJr☓アントニオ猪木(前編)

2024-05-03 11:18:33 | 龍熱の昭和プロレス放談

昭和44年12月2日の大阪府立体育館は久方ぶりのNWA世界ヘビー級タイトルマッチに超満員となっていました。挑戦者は“若獅子”アントニオ猪木、王者は“闘う機械”と言われた無敵王者ジン・キニスキーを破り若干28歳でNWA世界王者となった新時代の旗手ドリー・ファンクJr。
今回がNWA世界王座初挑戦となる猪木は心中大いに期する物がありました。それは王者ドリーに対してだけでなく、自分の試合の翌日に同じくドリーに挑戦が予定されている宿命の好敵手ジャイアント馬場に対してでした。何としても馬場を乗り越えたい猪木はドリーとの世紀の一戦を前にこう固く決意していました。
「恐らくドリーと馬場さんの試合は定番通りに3本勝負をお互いの得意技を駆使して1対1からの引き分けだろう。あの馬場さんがNWA王者相手にセオリーを無視した試合をするはずがない。だとしたら俺が馬場さんの試合を超えるインパクトを観客に与えるにはどうすればいいか?馬場さんと同じ内容の試合をしたって永遠に馬場さんには勝てないぞ。そうだ、60分3本勝負の試合なら、敢えてお互いに1本も取らずに60分間動いて動いて動きまくるってのはどうだ?これだ、これしかない!」
幸いにして当日の試合のレフェリーは猪木派のユセフ・トルコで、この猪木の熱きモチベーションを全面的に支持する事は間違いなし。ただ猪木の唯一の気がかりが世界王者のドリーがこの猪木の意気込みに対してどう試合で応えて来るか、でした。
そして試合当日、先に父のドリー・ファンクSrとハーリー・レイスを従えリングに上がっていた世界王者のドリー・ファンクJrはお気に入りの毒蛇のリングガウンに身を包み、これまたセコンドに吉村道明と大木金太郎を従えて颯爽とリングに駆け上がってきた猪木を冷静な眼差しで「ジッ」と見つめています。
TV中継するNET(現テレビ朝日)がこのドリー☓猪木の世界戦を中継録画し、大晦日の怪物番組である紅白歌合戦に真っ向からぶつけるべく万全の態勢を整える中、遂に運命のゴングが鳴った!!(以下、後編に続く!)


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龍熱の昭和プロレス放談83 史上初のNWA世界☓WWWF統一2冠戦が実現!

2024-03-28 11:55:56 | 龍熱の昭和プロレス放談

今から40年以上前の全米のプロレス界にはNWA、WWWF(現在のWWE)、AWAと3つの世界王座が存在していました。当然、日本の馬場さんや猪木もこれらの3大王座奪取を目標としていたわけですが、そんな1978年1月25日にフロリダ州マイアミで、何と時のNWA世界ヘビー級王者ハーリー・レイスとWWWFヘビー級王者スーパースター・ビリー・グラハムがお互いのタイトルを懸けて初となる世紀の統一戦を行う事が決定!
私も当時はこの世紀の統一戦を「別冊ゴング」や「月刊プロレス」で知り、「こりゃ凄いな!勝った方が本当の世界一だな!」と興奮していたんですが、最近このレイスvsグラハムの試合映像(調印式、試合前の2人揃っての舌戦インタビュー、本番の試合(ダイジェスト))を観る事が出来ました!
特に2人がスタジオで名アナウンサーのゴードン・ソリーを間に激しく舌戦を展開する様子は、まさに古き良き70年代アメリカン・プロレスを堪能できて最高でした(^_^)。

ソリー「今日は決戦を前に2人の世界チャンピオンをお招きしました!」
グラハム「いいか?俺のパワーでこの隣の男を必ず倒すぜ!俺は契約書なんかにサインはしねえ!何故なら俺はこのレイスを倒して必ずNWA王者になる事を、いまこのテレビの前で俺のハートと魂に誓うぜ!」
レイス「俺はレスラーになって18年だ。世界王者にも2度君臨している。それに俺はこのグラハムに過去勝っている。おい、グラハム!言っておくが、これまでみてえなお前のショボいファイトじゃ俺には勝てねえぞ!?」
ソリー「な、なるほど(汗)。それでは・・・」
グラハム「(遮って)ちょっと待て!これを見ろ!(と突如シャツを脱ぎ出しトレードマークのド迫力の筋肉美を披露!)レイス、これだ!お前にこれがあるか!どうだ!お前にこれがあるのかよぉぉぉ!?」
レイス「俺にそんなモンは要らねえ。何故なら俺は既にトップだからな!」
グラハム「フン!(と憮然としながら、その場から退場)」

このレイスvsグラハムの世紀の統一戦は野外スタジアムの「オレンジ・ボウル」で60分3本勝負で行われ、1本目はグラハムがベアハッグで、2本目はレイスがブレーンバスターで返し、3本目は額から流血しグロッキー状態のグラハムをレイスがスリーパーホールドで後一歩まで追い込みますが、60分時間切れで引き分けとなりました。
その後、WWWFはグラハムからボブ・バックランドに王者が交代し、バックランドは再びNWA世界王者のレイスやAWA世界王者のニック・ボックウィンクルと統一戦を行いましたが、これまた引き分けが続きました。
日本でもリック・フレアーとリック・マーテルの間でNWA&AWAの統一戦が東京は両国国技館で行われ大きな話題となりましたが、この全米3大王者の統一戦シリーズはファンも決して王座が統一されない事を十分に知りつつも、豪華でスケールの大きいアメリカンプロレスを象徴するイベントとして強い印象を残した試合でした。

NWA Champ Harley Race vs WWWF champ Super star Billy Graham double title match on Jan 25th 1978 at Florida USA.


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龍熱の昭和プロレス放談82 “最強”高田延彦絶頂!“最凶外敵”北尾光司に激勝!

2024-02-11 18:14:56 | 龍熱の昭和プロレス放談

先週、ズッと買うかどうか迷っていた「俺たちのプロレス」シリーズの「UWFインターナショナルの真実」を購入した事もあって、久々に高田延彦vs北尾光司戦を鑑賞してみました(注:本稿執筆当時)。
この試合、試合前から高田サイドと北尾サイドがルール含めて散々揉めたそうですが、私が思うに北尾サイドはラウンド制を使って判定ドロー狙い、高田サイドは北尾の試合前の発言「自分、打撃は全然OKですから!」を逆手に取って“入っちゃったらゴメン!”的勝ちを狙って双方が試合に挑んだと思われます。

つまり、お互いがプロレスラーにとって不可欠な最低限の信頼関係が良い意味でも悪い意味でも築けないまま試合に挑んだわけで、北尾は当初のワンマッチのみの参戦契約で山崎一夫を破り、そのまま“勝ち逃げ”を狙いましたが、高田率いるUインターは「勝ち逃げする気か?そうはいくかい!」とエースの高田が出て来て文字通りの必勝決戦だったんですね。
で、問題の第3ラウンドの高田が北尾の顔面に入れたハイキックですが、何度見てもかなり強烈な一撃で、北尾が腰から崩れ落ちるようにマットにダウンしてますね。これは完全に高田の“不意打ち”が成功したんでしょう(^。^)。
でもリング上は闘いの場なので、北尾がどんな言い訳をしようと自分たちのリングに北尾を再び強引に引き摺り上げて勝負を迫った高田たちUインター(宮戸&安生&鈴木健含む)の作戦勝ちでしょう。

この高田の勝利は新日での長州力に対する移動バス内での民族差別発言、SWSでのジョン・テンタに対する「お前なんか八百長野郎じゃねえか!?」など、数々の暴言でプロレス界を侮辱して来た“最凶の外敵”北尾潰しを願っていた多くのプロレスファンを狂喜させました。
ただ同時に自分たちの目的を達成するためにはリング上も含めて何だってやってやる的な行動で突っ走っていく高田&UWFインターは、後にその強引過ぎるスタイルのツケを“400戦無敗”の男との闘いで余りにも無残な形で払わされる事となるのでした。

Best match of Nobuhiko Takada against ex-Yokozuna Koji Kitao.


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龍熱の昭和プロレス放談81 ビル・ロビンソンを巡る馬場☓猪木代理闘争!

2024-02-02 11:13:24 | 龍熱の昭和プロレス放談

アントニオ猪木の生涯の名勝負と言われる“人間風車”ビル・ロビンソンとのNWF世界ヘビー級選手権。
蔵前国技館で行われたこの試合は1対1から時間切れ引き分けとなり、ロビンソンは日本人レスラーに2フォール負け無しの最強神話を守りました。
ところが、その後ロビンソンはアッサリとジャイアント馬場率いる全日本プロレスに引き抜かれ、今度は馬場のPWFヘビー王座にロビンソンが挑む決戦が同じく蔵前国技館で行われました。
「まさか・・・」猪木信者の不吉な予感は的中し、馬場はバックドロップとジャンピングネックブリーカーでそれぞれ2ピンフォールをロビンソンから奪い、日本人レスラーで初めてロビンソンから2フォールを奪った最初の栄誉を勝ち取りました。
「最強と言われ、猪木でも勝てなかったロビンソンから馬場は2フォール奪って勝った。だから猪木よりも馬場の方が強い」。
この三段階的比較論法には、当時の猪木信者は心底激怒し悔しがっていました。逆に言えば、そうまでして馬場さんは自分の方が猪木よりも格上なんだ、と世間に証明したかったんでしょう。
ただ馬場さんにとっては、ここからビル・ロビンソンに出来た“大きな借り”を返す長い道程が始まったのでした。
まず馬場さんは国際プロレスから移籍して来たキラー・トーアカマタに40回防衛目前だったPWF王座を奪われます。これはPWFルールによる反則負けでの王座移動で、実質馬場さんには殆どイメージダウンが無い事と、国際の吉原社長が「元国際のトップ外人のカマタが馬場君からタイトルを奪った事で国際のイメージアップになった」と大変喜び、国際に恩を売る事が出来たと、まさに一石二鳥の王座転落でした。
で、ここで馬場さんに2フォールを“献上”しているビル・ロビンソンが登場します。究極の善玉×悪玉対決となったカマタvsロビンソン戦は、ロビンソンが必殺のワンハンド・バックブリーカーでカマタを撃破!新PWF王者となります。ここで馬場さんはまず一つロビンソンに“借り”を返しました。
ロビンソンは直ぐにアブドラ・ザ・ブッチャーにPWF王座を奪われますが、これも膝を負傷したロビンソンが戦闘不能になった事での敗戦で、完全なフォール負けではないロビンソンのイメージは殆ど落ちませんでした。
その後、馬場さんはブッチャーをシカゴまで追いかけPWF王座を奪回しますが、何故こんな回り諄い方法を取ってまでロビンソンにPWF王座を取らせたのか?それは全ては自分がロビンソンとの初対決に勝つ事で三段階的比較論法で自分が猪木より強い事を証明するためで、だからと言ってロビンソンに借りた“借り”を返すために馬場さんがロビンソンに直接負けては何の意味もない。
なのでカマタ→ロビンソン→ブッチャー→馬場さんといったタイトルの盥回しをする事で、ロビンソンをPWFヘビー王者に着かせたわけです。
しかし馬場さんのロビンソンに対する“借り”返済はまだ終わっていませんでした。今度は愛弟子のジャンボ鶴田の持つUNヘビー級王座(元々は日プロ時代に猪木が保持していたタイトル)をまたもロビンソンが死闘の果てに奪取します。
それもリターンマッチで鶴田vsロビンソン戦史上最も壮絶なフルタイムマッチの果てにロビンソンがUN王座を防衛し、ロビンソンはチャンピオンのまま帰国する、というまさに破格の待遇となりました。
結局、フロリダまでロビンソンを追いかけた鶴田が何とかロビンソンからタイトルを奪回(それもちゃんとブッチャーの乱入というロビンソンに対する同情票をセッティング)しますが、こうしてやっと馬場さんに2フォールを取られたロビンソンに対する馬場さんの“借り”返済は終わります。
何故ここまで長々と馬場さんとビル・ロビンソンの話を書いて来たか。それはジャイアント馬場というレスラーは約束した事や借りた“借り”はちゃんと返す男だ。馬場は信用できる男だ。との全米での信用はこのような労苦の積み重ねで築かれたと言いたかったからなんです。
逆に言えば、対戦相手に対してはある意味非情に徹し、時に切り捨てる事もあったアントニオ猪木からはビル・ロビンソンだけでなく、スタン・ハンセン、タイガー・ジェット・シン、ハルク・ホーガン、長州力、前田日明など次々と好敵手や愛弟子が去っていきました。

「リングの上は闘いなんだ。敵である相手に情けは要らない!」との猪木の心情もレスラーとしては一理あるからも知れません。
ただ新日から全日に移籍後、そのまま晩年までの殆どを全日で過ごしたロビンソンの姿を見てみると、どのような業界でも如何に人間同士の信頼関係が大切かを改めて思い知らされる思いです。
最後に写真でロビンソンが馬場さんにサイド・スープレックスをかけようと必死の表情を見せていますが、最後までロビンソンの面倒を見た馬場さんも、ロビンソンの代名詞であるダブルアーム・スープレックスだけはロビンソンに最後まで1度もかけさせませんでした。
それは同じダブルアーム・スープレックスの使い手であるドリー・ファンクJrやジャック・ブリスコにはこの技で何度も投げられる事を許した馬場さんの“人間風車”に対する最後の意地だったのかも知れません。

Giant Baba vs Bill Robinson.Baba was only Japanese wrestler who got 2 falls from unbeatable Robinson.


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龍熱の昭和プロレス放談80 ジャンボ鶴田のジャーマンスープレックス考察

2024-01-27 12:48:02 | 龍熱の昭和プロレス放談

亡きジャンボ鶴田がまだ“若大将”なんて呼ばれていた時の売りが「4種類のスープレックスを使いこなす男」でした。つまりジャーマン、サイド、フロント、そしてダブルアームの4種類のスープレックスを変幻自在に使い分ける新時代のプロレスラー、それが当時の鶴田の専売特許だったんですね。

ただ個人的には鶴田はフィニッシュに使っていたダブルアームスープレックスや当時は殆ど使い手のいなかったフロントスープレックスは切れ味もインパクトも抜群でしたが、難度の高いジャーマンスープレックスはよく最後のブリッジが崩れてしまい失敗が多かったんですよ(^_^;)。
私が覚えているだけでもvsバーン・ガニア戦(「試練の十番勝負第1戦」)、vsラッシャー木村戦(「~同第2戦」)、vsキム・ドク戦(UNヘビー戦)、vsリック・フレアー戦(NWA世界戦)と、ことごとくブリッジが「グチャッ」と崩れていた不完全なジャーマンスープレックスでした。逆に成功したのがvsザ・ファンクス戦(事実上の日本デビュー戦)、写真のディック・スレーター戦(第8回チャンピオンカーニバル優勝戦)、そして年間最高試合賞に輝いた札幌でのvsハーリー・レイス戦(NWA世界戦)ぐらいだったと思います。
余談ですが、この鶴田が見せた中でも最高のジャーマンスープレックスと称されるレイス戦は長年未ソフト化でかなりレアだったんですが、最近入手したものの依然放置状態です(^_^;)。(注:この後にシッカリ観賞し、この時のジャーマンも若干ブリッジが崩れそうになっていたのを確認)

その後、鶴田は「僕のジャーマンスープレックスはね、背があるから相手をハイアングルで頭からマットに落とすでしょ?だから危険なんだ。それもあって使うのを自粛してるんだよ」とコメントする事でジャーマンスープレックスを封印します。これは私が思うに同時期にジャーマンの創始者カール・ゴッチ直伝のジャーマンスープレックスに加えて衝撃の新必殺技ドラゴンスープレックスを引っ提げ凱旋帰国した藤波辰巳の出現が鶴田に相当のプレッシャーを与えた事が大きな原因だったと思います。
そりゃドラゴンの美しいブリッジから放つそれは見事な爪先立ちのジャーマンスープレックス(殆ど失敗ゼロ!)を毎回見せられたら、いくら能天気なジャンボでも「もうジャーマンは止めた!」となりますよね(^。^)。


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龍熱の昭和プロレス放談79 猪木戦直前にモハメド・アリが挑んだ異種格闘技戦!

2024-01-07 12:26:43 | 龍熱の昭和プロレス放談

驚愕スクープ映像発掘!(注:本稿初投稿時)1976年6月26日にアントニオ猪木と「格闘技世界一決定戦」を行う直前のモハメド・アリが既にプロレスラーと対決していた、という証拠映像を遂に入手しました!!
1976年の5月にWWWFの大会でゴリラ・モンスーンとバロン・シクルナ戦のリングに突然乱入して来たアリがモンスーンに対決を迫る!
このアリの暴挙に怒ったモンスーンはアリを抱え上げると、豪快なエアプレーンスピンでアリを何度もブン回す!!目が回りフラフラになったアリは、そのままリング上から逃走!!
まだ怒りが収まらないモンスーンをリング下に呼びインタビューしているのが若き日のビンス・マクマホンだったりするんですが、僅か5分程度の映像とはいえ、よくこんな良好画質でこの激レア映像が現存していました。私も苦労して入手した甲斐がありました(^_^)。
ゴリラ・モンスーンはシュートでも大変な実力者として知られていましたが、一体何故にアリはこんな暴挙を敢行したんでしょうね?
恐らく約1ヶ月後に迫っていた東京での猪木戦に絡んだ何らかのデモンストレーションだったと思いますが、実はアリは昔からプロレスのファンで、特にフレッド・ブラッシーの大ファンでした。
あの現役時代のアリが対戦相手を罵倒するパフォーマンスは、アリがブラッシーの現役時代のそれをコピーしたと言われています。
だからこそアリが猪木との世紀の一戦のため日本に乗り込んで来た時、アリの傍らには李俊九師範と共にブラッシーがピッタリと寄り添っていたわけです。

さて、このモンスーン戦のリングサイドでアナウンサーを務めていたビンス・マクマホンは、猪木戦が単なる“ショーマッチ”だと高を括っていたアリが滞在する東京のホテルに乗り込むと、いきなりアリの腕をアッサリと決めて見せた後にアリにこう言い放ちます。
「アリ、私でもユーの腕をこんなに簡単に決められるんだぞ!イノキはあのガチガチのシュート野郎だったカール・ゴッチの弟子なのを知ってるか?イノキはユーとの試合では必ずそのシュートテクニックを使ってユーの腕をヘシ折りに来るぞ。ユーにはその覚悟は出来てるんだろうな!?」
このマクマホンの言葉を聞いたアリの顔は真っ青になり、その日からアリ陣営は猪木側との試合のルール交渉に関して異常なほど細かく注文を付けて来るようになりました。
そう、この時からモハメド・アリはプロボクシング世界ヘビー王者としてプロレスラーのアントニオ猪木との“真剣勝負”に挑まざるを得なくなった事を悟り、その覚悟を決めたのでした!!

Before World Mixed match between Aontonio Inoki in Tokyo,Muhammd Ali faced another pro-wrestler Gorilla Monsoon on WWWF ring in May 1976 !! Whacha gonna do Greatest !?
Very rare footage I found recently with very good condition.


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龍熱の昭和プロレス放談78 “NYの帝王”その名はボブ・バックランド!

2023-12-28 13:51:05 | 龍熱の昭和プロレス放談

最近、元WWFヘビー級王者ボブ・バックランドの防衛戦の映像を多数見る機会があったのですが、その映像を観て、改めてバックランドは当時の全米マットで強豪と言われたレスラーたちの挑戦を敢然と退け続けた無敵の王者だったんだ、と思い知らされました。その挑戦者の面子も前王者のビリー・グラハムやイワン・コロフに始まり、パット・パターソン、アーニー・ラッド、グレッグ・バレンタイン、ハーリー・レイス(!)、ビッグジョン・スタッド、スタン・ハンセン、キラー・カーン、ハルク・ホーガン、アントニオ猪木、藤波辰巳などなど・・・まさに錚々たる顔触れです。

特に猪木と藤波以外の殆どがWWFの本拠地であるニューヨークのファンが好んだパワー・ファイターだった点に注目です。それは同時にバックランドがWWFの総帥だった故ビンス・マクマホン(シニア)によって、それまでのWWFの象徴だった怪力が売りのブルーノ・サンマルチノとは全く異なったストロング・スタイルを得意とするレスラーとしてWWF王者に抜擢された事の証明でもありました。
それが証拠にバックランドはそのアマレスの輝かしい実績を証明するかのように歴代のWWF王者の中では得意のハイアングルアトミックドロップと共にジャーマンスープレックスをフィニッシュ技としていた唯一の王者でした。
ただバックランドと数え切れないほどWWF王座を争った猪木のバックランド評は余り芳しくなく、猪木さん曰く「バックランドは試合が長引くだろ?そうすると相手をフォールするのに片手だけ相手の身体にかけて、そのまま自分は休んでるんだよ。あれはちょっとなぁ」との事でした。
その猪木に徳島で敗れて1度だけWWF王座を失った時のバックランドの試合後のブチ切れ振りはかなりの物で、それは没収試合となった蔵前での猪木の初防衛戦の試合後の混乱ではさらにエスカレートする始末でした。ハッキリ言って私はエプロンでベルトを抱き抱えながら新間寿氏に食って掛かるバックランドと、それに応戦する新間氏の激しいやり取りの方が試合よりも面白かったほどでした(ってオイオイ?)。
そんなバックランドも、マクマホンJRの全米侵攻のエースには時代遅れ!との烙印を押され、アッサリとアイアン・シークにWWF王座を奪われ、そのアイアン・シークから王座を奪ったハルク・ホーガンは世界のスーパースターへと駆け上がっていきました。
バックランドはマクマホンから自分の次のWWF王者がホーガンだと聞かされた時は激しく抵抗したそうですが、恐らく超レスリングエリートだったバックランドから見ると、ホーガンはろくにレスリングも出来ない「デクの坊」に見えたんでしょうね。
まさに歴代のWWF王者史上最強のレスリングマスター、それがボブ・バックランドでした。最後に同じくアマレスからプロの世界に入った長州力のバックランド評をどうぞ!
長州力「あのねえ、僕が嫌いだったレスラーはねえ、ボブ・バックランド!彼はねえ、アマレスから来てるでしょう?で、彼は僕もアマレスからプロに入ってるのを知ってて、やたらそれを意識した動きをして来るんですよぉ!それがもう・・・嫌でしたねえ。あとね、嫌いな体育館は四日市ね!もう夏は暑いの何のって!(四日市の皆さん、どうか長州を許してあげて下さい(^_^;)」

Bob Backlund.Former WWF champion.He was real wrestling master of WWF.
Eventhough he lost his WWF title once in Japan by Antonio Inoki in 1979. Inoki`s champion record is not on WWF champion history.


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龍熱の昭和プロレス放談77 8mmで現存していた猪木☓ゴッチ実力世界一決定戦!

2023-12-25 14:35:03 | 龍熱の昭和プロレス放談

リーさんことブルース・リーに“幻の映像”があるように、昭和プロレスにも様々な“幻の試合映像”が存在します。その一つが1972年10月に蔵前国技館で行われたカール・ゴッチvsアントニオ猪木の「実力世界一決定戦」です。
この試合、当時の新日本プロレスがまだノーTV団体だったため東京12チャンネル(現テレビ東京)が単発放送するも、東京12チャンがこの試合の映像を保存しなかったため、猪木さんが師匠であるゴッチに初めて勝利した歴史的な試合の映像は永遠に消失したのでした。
唯一当日実況を担当した国際プロレスの名実況アナウンサーだった杉浦氏が自分のテレコを放送席に置き試合実況音声を録音していたために、後にこの貴重な実況音声がアントニオ猪木関連レコードの最高傑作である2枚組LP「燃えよ闘魂」に収録されたのでした。
で、実はこのゴッチvs猪木戦の映像が何と8㎜映像で現存していたんです!!私が今回入手できたその映像は無音声ながら画質はマアマアで約5分間のダイジェスト映像でした。
まずは猪木&ゴッチの入場シーン&花束贈呈、特別レフェリーであるルー・テーズのスピーチ、ゴッチの珍しいワンハンド・バックブリーカー、猪木のドロップキック連発からゴッチとの壮絶な殴り合い、最大の見せ場である猪木にキーロックをかけられたままのゴッチが片腕で猪木を持ち上げ、そのまま猪木をロープまで運ぶ怪力振り、ビル・ロビンソンが大嫌い(?)だったゴッチがそのロビンソンの得意技ダブルアーム・スープレックスを猪木に見事に決めてみせる瞬間(龍熱的にはここは何度も観返したお気に入りシーン(^_^))、そして場外でゴッチのジャーマン・スープレックスを浴びた猪木が逆に間一髪で先にリングインしゴッチにリングアウト勝ち!その判定に不服のゴッチがテーズに抗議する中、豊登(!)らセコンドに肩車された猪木さんが思わず感極まって頭を抱える感動のフィナーレ・・・と試合の見所は殆ど収録されていて、私的には大満足でした。
このゴッチvs猪木戦は以前にFacebookで私が触れました「昭和プロレス試合探索リスト」を遂にコンプリートするに至った過程で、某凄腕コレクター氏から「これ収録時間も短いのでオマケで差し上げます」と快く贈呈して頂いた映像でした。

最後に昭和プロレスにおける“幻の映像”では、もう1試合、あの新日本が1976年に行ったブラジル遠征で起こった余りにも凄惨な異種格闘技戦映像も入手できました!このオランダの柔道王vsブラジルの最強挌闘家のリングが鮮血に染まった戦慄のシュートマッチも機会を見て「龍熱の昭和プロレス放談」で紹介できればと思っています。


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