実は『死亡遊戯』は五重塔内ファイトの“龍殿”で解元のスタントダブルを黄仁植が担当しているのでは?との噂は『BRUCE LEE in GOD/死亡的遊戯』(00)公開の頃からありました。
ただその噂の出処が今一つ信憑性に欠けていたりで、私も深く考えずに聞き流してしまっていました。
それが昨年でしたか、ご覧の驚愕の集合写真が発掘された事で黄仁植=解元スタントダブル担当は事実である!と広く認識され、さらには今回ArrowVideo製作『The Final Game of Death 』の鮮明画質で解元の黒の道着を着た黄仁植の顔がハッキリと確認出来た事でそれは確信的事実となったわけです。
ただ私こと龍熱はそこからさらに突っ込みます。それは果たして黄仁植は解元のスタントダブルを何故担当する事になったのか?です。
その理由を徹底検証すべく、熟考の結果、以下の理由をリストアップして見ました。
(1)“龍殿”の池漢載☓田俊&解元戦撮影日に解元が何らかの理由でセットに来れなかったから。
この『死亡遊戯』撮影期間である1972年9月から10月前後の解元は在籍していた邵氏兄弟公司を出て羅馬や呉思遠などの独立系監督作品に多数出演していた時期と重なっています。
また解元が洪金寶の代打出演だった事もあり『死亡遊戯』と他作品の撮影日が重なり、どうしてもこの日解元が五重塔セットに来れなくなった事による黄仁植スタントダブル代替出演だった可能性があります。
(2)解元が池漢載との対戦を嫌がったから。
96分のラフカットや110分のラフカットでも確認出来ますが、あるテイクで池漢載が解元の手首を決めたまま一気に投げ飛ばすシーンで、池の投げる角度がかなりキツかったらしく、何とか投げられながら受け身を取った解元がサッと立ち上がると、池に詰め寄りクレームしているように見えるテイクが確認出来ます。
あくまでも俳優ではなく武道家である池漢載が関節技や投げの“加減”が上手くいかず、それに対して不満や不快感を訴えた解元が池との対戦シーン撮影をある期間拒否した可能性も考えられます。
(3)李小龍監督が解元を外し黄仁植をスタントダブルに起用した。
私が何人もの関係者にリサーチした過程で「李小龍は本当は『死亡遊戯』に田俊や解元を起用したくなかったが、諸事情で仕方なく2人を起用した」との証言を得る機会がありました。
確かに田俊は李小龍初監督作品『ドラゴンへの道』(72)には出演していませんし『死亡遊戯』を中断して撮影に入った『燃えよドラゴン』(73)にも出演していません。
また解元も李小龍監督が本来『死亡遊戯』に起用したかった洪金寶が多忙と連絡ミスなどで出演出来ず、その代打で『死亡遊戯』に出演した経緯があります。
もし李小龍監督が代打である解元のアクションにズッと不満を感じていて、韓国合気道金段である池漢載の合気道の荒技の凄味を100%引き出し、そして受け切るために同じく韓国合気道の師範代格の黄仁植を解元の替わりに使おうと思った可能性も考えられます。
以上、黄仁植=解元スタントダブルの真相を様々な角度から検証して見ましたが、出来る事なら今だカナダで健在の黄仁植師範がお元気な内にこの『死亡遊戯』の大きな謎について是非黄仁植師範御本人の解答を求めたいと思っています。Let's the death game begin!!
Tさん、画像提供ありがとうございました😊。
Yes Hwang In Shik did stunt doubled Gai Yuen in Game of Death.