五重塔の試練を全て突破し、自らに課せられた任務を達成したハイ・ティエンは五重塔の1階、グランドフロアに降りると、そのまま塔の出口に姿を見せた。
そこでハイ・ティエンが目の当たりにした光景は、ハイ・ティエンの想像を超えた状況だった。まずハイ・ティエンの目に飛び込んで来たのは妹のリーエル(苗可秀)が髭面に黄色いジャンパーを着た白人の巨漢にガッチリと抱えられており、その横で数日前に1度だけ会っている韓国人の王国豪(朴魯植)が弟のローバ(孟海)に銃を突き付けている姿だった。
傍らでアコン(李昆)が両手を後ろに回し、両膝を着きながら憮然たる表情で王を睨んでいる。「あっ!ハイ・ティエン?無事だったのね!」「哥哥?哥哥!!」
リーエルとローバは鮮血と汗でボロボロになった黄色いトラックスーツ姿の兄を見ると2人が同時に身を捩りながら喜びの声を上げた。
ハイ・ティエンは妹や弟と久々の再会を果たしながらも、白人の巨漢の背後に止まっている黒塗りのロールスロイスに用心深く目を走らせる。その車の窓はスモークウィンドウで車内は全く見る事が出来なかった。
ハイ・ティエンが「王国豪、私はお前の要求通りに五重塔の番人を全て倒した。さあ、約束通りに私たちを解放してくれ!」と韓国人黒社会の住人に迫る。
「残念だが、お前とこの妹にはまだ大事なミッションが残っているんだ!」王の代わりにハイ・ティエンに答えたのが暴れるリーエルを掴んだまま離さない白人の巨漢だった。
「ユーは誰だ?何故ここにいる?その後ろの車には誰が乗っているんだ?」
ハイ・ティエンの問いかけに白人の巨漢は意味深げな笑みを浮かべたが、傍らの王国豪は「ハイ・ティエン、結局生き残ったのはお前1人か。ジェームズには前金を渡して隙があったらお前を消せと含ませていたんだがな。ミスターオカタ、あとは打ち合わせ通りですな?」とローバの頭に銃を押し付ける。泣きながら身体を捩るローバ。王からオカタと呼ばれた白人の巨漢ことロブ・オカタ(ボブ・ウォール)は唸る。「ハイ・ティエン、お前とこのリーエルにはもう1度五重塔の最上階まで上がって貰う!」「何だって?一体何のためにだ!」
「それは最上階に行けば判る。さあ、来い!」「嫌!離して!嫌!ハイ・ティエン!ハイ・ティエン!」「リーエル!」オカタに引き摺られるように五重塔の入り口に連れ込まれそうになるリーエルをハイ・ティエンが追う。
王がローバの髪の毛をグイッと掴み「この坊主はどうします?」とオカタに声をかける。オカタは暴れるリーエルの腕を捩じ上げながら平然と一言「・・・殺せ!」とだけ言い放ち塔内に駆け込む。
それを聞いたハイ・ティエンが怒りのコブシを握りオカタに迫ろうとした時、ハイ・ティエンの背後から猛スピードで五重塔目掛けて疾走して来る1台のアストンマーチンが目に入った!!「ゴオオオオオォォ!」
タイヤを軋ませ急停止するアストンマーチンに全員の眼が一斉に注がれた時、アコンが王国豪に身体ごと体当たりし、王を転倒させる!「わああああ!」ローバが泣きながら走り出す!
そこにアストンマーチンから飛び出て来た屈強な白人男性がローバを抱き止めると、大声で叫びながら自分とローバに銃口を向ける王国豪を抜き放ったワルサーPPKで射殺する!
「ズキューン!」「うぎゃあ!」胸板を撃ち抜かれた韓国人の悪漢はそのまま背後のロールスロイスに仰向けに崩れ落ちるが、それを合図かのようにロールスロイスが急発進する!
だがハイ・ティエンはロールスロイスが走り去る直前に、僅かに開いたスモークウインドウから異様に変形した黒い左手袋が見えたのを一瞬目撃する!
「ミスターハイ・ティエン、早くロブ・オカタを追うんだ!君の弟はここで私が守る!」
ハイ・ティエンは精悍な口髭を蓄えたその英国訛りの白人男性に振り返ると「ユーは誰だ?」と問う。
ローバを優しく抱き抱えた英国人(ジョージ・レーゼンビー)は「私はジム・フレミング。英国諜報機関の者だ。さあもう時間がない。あのロブ・オカタの言ったように最上階の“秘宝”を手にするためには君とリーエルが必要なんだ!」と力強く応える。
「・・・判った。ユーはローバを救ってくれた。信用しよう。アコン、ここを頼むぞ!」
「おう、任せろって!ハイ・ティエン!」ハイ・ティエンはアコンの返事を背に3人を残し、五重塔の1階へと駆け込んでいった。いま全ての決着が着こうとしている・・・!!
「ハイ・ティエン!私はここよぉ!ハイ・ティエン!」ハイ・ティエンは五重塔内の上階からリーエルの悲鳴が木霊する方向を見上げながら、グランドフロアから2階の“豹殿”、さらに3階の“虎殿”の階段を駆け上がると、目の前の床に転がっていた自分のバオを拾い上げ、そのまま4階の“龍殿”への階段を駆け上がっていく。
長く苦しい闘いを終えたばかりのハイ・ティエンの呼吸は荒く、目の前がボンヤリと翳んで見える中、ハイ・ティエンはやっと5階に辿り着いた。
ロブ・オカタは暴れるリーエルを抱き抱えたまま、最上階へと繋がる階段に片足をかけ、憎々しげな笑みを浮かべながらハイ・ティエンを待っていた。
「あっ!ハイ・ティエン?来てくれたのね!」「リーエル、大丈夫だ。必ず助けるぞ!」
オカタはリーエルの乱れた黒髪を掴むと「さあ、ハイ・ティエン。可愛い妹を助けたいならさっさと上がって来い!」と唸ると、そのままモガくリーエルを抱え最上階への階段を上がっていく。ハイ・ティエンも背中越しに持ったバオを手に階段に駆け寄ると、用心深く五重塔の最上階への階段を上がっていく。
五重塔の最上階。そこは塔内で最も狭く、また最も奇妙な空間だった。窓は2つのみでそれぞれに鉄格子が填められていた。
四方の壁には「陰陽」を象った文字が刻まれ、そのフロアの中央には古く、それでいて頑丈な黒い木箱がポツンと置かれていた。
ロブ・オカタは無言で荒々しくリーエルの右腕を掴むと、そのか細い腕に填められたハイ・ティエンからリーエルに贈られたプレスレットを奪い取ると、ハイ・ティエンに向かって「お前のそのブレスレットも寄こせ!」と言い放った。
「何故だ?」「いいから黙って渡せ!」ハイ・ティエンが自分のブレスレットをオカタに渡すと、口を歪めて笑ったオカタは左手でリーエルの腕を掴み、右手で中央の木箱の蓋を開けると、そこにある2つの円形の窪みに2つのブレスレットを填めこんだ。
「ジィィィィ!ジィィィィ!」木箱の中で2つのブレスレットがまるでワイヤーのように可動するのがハイ・ティエンにも見て取れた。
次の瞬間、木箱の底が「ガタッ」と音を立てて引き出しのように押し出され、その中に分厚く黒い表紙の本が収められているのが見えた。
「それが“秘宝”なのか?」ハイ・ティエンがオカタに問う。オカタが答える。
「どうせお前らはこの五重塔から生きては出れないんだ、教えてやろう。これがアフリカからこの韓国まで渡って来た“幻の書”だ。ここに収められている物こそ全ての格闘者にとっての“絶対の境地”なのだ。俺のボスがこの“幻の書”を自分の個人博物館のコレクションに何としても加えたがってな。だがそれにはお前たち兄妹が持っているこのブレスレットがどうしても必要だったし、この下の5階の化け物が邪魔だった。あの化け物もこの“幻の書”の番人としてアフリカから連れて来られたのさ!」
ハイ・ティエンはオカタが次々と明らかにする驚きの事実に聞き入っていたが「ミーとリーエルのブレスレットと木箱には何の関係が・・・それにユーのボスとは何者だ?あの車に乗っていた義手の男がそうなのか?」とさらに問い質す。
オカタが暴れるリーエルから手を放し“幻の書”を小脇に抱えながら「フン!よくボスが義手だと判ったな?ブレスレットはお前の師匠の方丈に訊く方が早いぜ。もっともお前たち兄妹は今ここで死ぬんだがな!」とリーエルに再び手を伸ばした瞬間!
ハイ・ティエンが後手に持っていたバオをリーエルに投げ与えた!それを受け取ったリーエルは振り向き様にオカタの左目目掛けてバオを振り下ろす!
「バシュゥ!」「ぐおおああ!?こ、このビッチがぁぁ!死ねえぇ!」怒り狂ったオカタはドクドクと血が流れ出す左目を抑えながらリーエルの首筋に手刀を叩き込む!
「バキィ!」「あう!」リーエルは口から大量の血反吐を吐き床に倒れ込む!
「リーエル!?ぬううう!オカタァ!オオオオチャアァ!」遂に全ての怒りを爆発させたハイ・ティエンは自らトラックスーツの上半身を力の限りに引き裂き、その鍛え上げられた肉体を剥き出しにするとオカタに突進!
「があああああ!」オカタも左目を抑えたままハイ・ティエンに右からの正拳突きを叩き込む!だが怒りに燃えるハイ・ティエンはそのオカタの突きを胸板で受け止めると、オカタの顔面に怒涛の掌底を叩き込む!「アジョオオォ!」「げふぅ!」
「アオオオチャア!」さらにハイ・ティエンの後ろ廻し蹴りがオカタの顔面に炸裂!
その衝撃でオカタは“幻の書”を床に落とすと、下階への階段前にヨロヨロと後退する。それを見たハイ・ティエンは最後の力を振り絞りオカタ目掛けて助走からの怒りのサイドキックを叩き込む!「オオオオアチャアァ!」「ドガァ!」
「ぐおおああ!」オカタはハイ・ティエンのキックの衝撃で後方に吹っ飛ぶと、そのまま5階への階段を転げ落ちていく!!「ドタ!ドタン!ガラガラ!ドタァン!!」
ハイ・ティエンはオカタが5階の床に叩き着けられ、その場で血泡を吐くのを見届けると、眼下のオカタに向かって両手のコブシを握り締め、憤怒の雄叫びを上げる!
「お前の負けだ!ロブ・オカタ!!」
オカタはヨロヨロと起き上がると、怨念の込められた片目で階段上のハイ・ティエンを見上げながら「ハイ・ティエン!覚えてろよ?この傷の恨みは忘れんぞ。お前との決着は必ず着ける・・・ボスの島で待ってるぞ!」と言い残すと、左目を抑えながら4階の階段へとフラフラと走り去った。
「リーエル?リーエル!」ハイ・ティエンは仰向けに倒れている最愛の妹に駆け寄ると、瀕死のリーエルを優しく抱き上げる。
「哥哥・・・私・・・死ぬのね?」「嗚呼、リーエル!」リーエルは口から血を流しながら目の前の兄の顔をジッと見つめると「・・・闘ってる時の哥哥が好きだった・・・でも引退に悩んでいる哥哥を見るのは辛かったな。もう1度だけ・・もう1度だけあの綺麗な雪山を哥哥と・・・見た・・・かった」
「リーエル?・・・リーエェェェル!」ハイ・ティエンは息を引き取った妹の亡骸を力一杯抱き締めると、静かに、ただ静かに涙を流しながらジッと目を閉じていた。
「全てはこの“幻の書”が原因だ。これを求めて多くの人間が命を落とした」その声にハイ・ティエンが振り返ると、ジム・フレミングが“幻の書”を手に立っていた。
フレミングはハイ・ティエンが抱き締めているリーエルの亡骸を痛恨の表情で見つめていたが「いま血だらけのオカタが逃げていったが、君たちの安全が先だ。安心したまえ。ローバにはアコンが付いている。彼は今では君の信者だよ。ハイ・ティエン、この“幻の書”はまず君に優先権がある。君はそれだけの犠牲を払ったんだ。どうする?この中身を見てみたいか?」
ハイ・ティエンはフレミングの言葉に無言で頷く。フレミングはハイ・ティエンの傍に膝を着くと、おもむろに“幻の書”を開いた。
「あっ!こ、これは!?」
ハイ・ティエンとフレミングの目に飛び込んで来たのは「鏡」だった。見開きの形で右と左の頁に映った「鏡」には、驚きと困惑の表情を浮かべるハイ・ティエンとフレミングの顔がまるで冷たく、突き放すかのように映し出されていた。
ハイ・ティエンは“幻の書”から無表情で目を離し、既に冷たくなって来たリーエルの亡骸をより強く抱き締めると「これが・・・これが多くの人間が追い求めた“絶対の境地”なのか?このために私はこの五重塔で命を懸けて闘い、多くの死を目の当たりにし、そしてリーエルを失ったのか!?何のために・・・一体何のために!!!」
ハイ・ティエンは怒りと悲しみで身体中を震わせていたが、やがてリーエルを抱き抱えユックリと立ち上ると、傍らで立ち尽くすフレミングに静かに、しかし毅然と言い放った。「さあ、この地獄を出よう。ゲームは終わった」
金浦国際空港。多くの人が行き交う空港ロビー。紺のコートを着たハイ・ティエンは弟のローバが大事そうに抱える純白の布に包まれたリーエルの遺骨にソッと手を添える。そして目の前のジム・フレミングとアコンに静かに向き直った。
アコンは真っ赤な鼻をさらに真っ赤にしながら「ハイ・ティエン、俺は王国豪の金に釣られてお前を五重塔に連れてった自分が恥ずかしい。なあ、俺を許してくれるか?」と項垂れる。
ハイ・ティエンは泣き顔のアル中の錠前屋と握手を交わすと「ああ、許そう。だが一つ条件がある。今日で酒を止めろ。いいな?」と穏やかな笑みを返す。照れくさそうに頷くアコン。
それを見ていたフレミングが咳払いをしながらハイ・ティエンに手を差し出し「ハイ・ティエン、英国諜報機関を代表して“幻の書”の譲渡に心から感謝の意を表するよ」と微笑む。
ハイ・ティエンはフレミングの手を握り返しながら「あの本は今のミーにとって何の意味も持たない。それにこれはきっとリーエルも望んだ事だと思う。“絶対の境地”は自分で探すさ」と笑みと共に応える。
ロビーに香港行きの便の搭乗アナウンスが流れ始めた。
ハイ・ティエンはローバの手を握りフレミングとアコンに別れを告げようとしたが、フレミングはそのハイ・ティエンのコートの胸ポケットに素早く一通の封筒を入れると「これは英国諜報部の私の上司から君へのメッセージだ。中身は機内で読んでくれ」とだけ囁くと、戸惑った表情のハイ・ティエンともう1度固く握手を交わすのだった。
心地よくエンジン音が響く機内。ハイ・ティエンはローバと隣同士で席に座りながら、飛行機の窓の外に広がる金浦空港の滑走路を眺めていた。
ハイ・ティエンは最愛の姉を亡くし、その遺骨を抱え悲しみに沈むローバに自分のバッグから紙袋を取り出すと、それを弟の膝の上に置いた。
「哥哥、これ何?」「開けてごらん」ローバがその紙袋を開けると、そこには上半身部分がボロボロに引き裂かれ、血と汗が染み着いた黄色いトラックスーツがあった。「あっ・・・これは哥哥の!」「これをお前に受け取って欲しい。これからお前の人生には様々な試練が待っているだろう。だがそんな時はこのトラックスーツを見て、私の闘いを思い出して欲しい。例えどんな試練に直面しても、決して逃げずに立ち向かう勇気をお前に持って欲しいのだ」
ローバはそのトラックスーツを強く握り締めると、隣のハイ・ティエンの目を正面から見据えながら「哥哥、分かった。僕、もう泣かないよ。哥哥みたいに強くなるよ!」
離陸に備えて機長のアナウンスが流れ、機内のエンジン音が次第に高くなる。
ハイ・ティエンはコートの内ポケットからジム・フレミングから渡された英国諜報機関からの手紙を取り出し、封筒の中に入っているメッセージを読み始めた。
その手紙は今回のハイ・ティエンの尽力に対する感謝とリーエルの死に対する哀悼の意から始まり、“幻の書”がジム・フレミングによって無事英国博物館の厳重な管理下に入った事が記されていた。また今回の韓国での誘拐事件、及び“幻の書”強奪未遂事件の背後にいる人物こそが国際的な犯罪組織を率いる“片腕”の中国人であり、ロブ・オカタもその組織の1員である事が記されていた。そして手紙はこの犯罪組織壊滅に是非ともハイ・ティエンの協力を仰ぎたいとの強い要望で終わっていた。
手紙を読み終えたハイ・ティエンが隣のローバを見ると、ローバは亡き姉の遺骨と黄色いトラックスーツを抱き締めながら穏やかな寝息を立てていた。
ハイ・ティエンは弟の頭を優しく撫でると、再び窓の外に視線を戻す。
飛行機がスピードを上げながら滑走路を力強く疾走し、そしてユックリとその機体が滑走路を蹴った。窓の下の韓国の大地が少しずつ小さくなっていく。
ハイ・ティエンは手紙をコートのポケットに戻すと、コートの下に着込んでいる純白の中国服の襟を正した。そして目を閉じ、自分自身に向かって静かに語りかけるのだった。
「私は恐らくこのブレスウェイトという男のオファーを受けるだろう。そして香港に戻り、師父に残された謎を問いかけてみたい。
“幻の書”の正体は「鏡」だった。今の私にはそれが意味する真実にはまだ辿り着けない。だがそれでも私には判る。何時か私がもう1度“鏡の幻影”と言う名の試練と対峙する時が来る事を。その時こそ私が「絶対の境地」に到達する瞬間なのだ。
リーエルよ、見ていてくれ。もう私は迷わない。もう私は逃げない。引退の影に怯えていた“黄色い虎”ハイ・ティエンはもういないのだ。
私は五重塔での命懸けの闘いをこの2つのコブシだけで生き抜き、いま新たなる悪との闘いに挑もうとしている。例えその闘いが再び“死のゲーム”になろうとも、例え身に纏ったこの純白のトーナメント・ウェアが“死装束”になろうとも、私は決して恐れない。そう、何故なら、私は“ドラゴン”だからだ!」
「死亡遊戯:完全版2015~AFTER THE GAME」完。
そこでハイ・ティエンが目の当たりにした光景は、ハイ・ティエンの想像を超えた状況だった。まずハイ・ティエンの目に飛び込んで来たのは妹のリーエル(苗可秀)が髭面に黄色いジャンパーを着た白人の巨漢にガッチリと抱えられており、その横で数日前に1度だけ会っている韓国人の王国豪(朴魯植)が弟のローバ(孟海)に銃を突き付けている姿だった。
傍らでアコン(李昆)が両手を後ろに回し、両膝を着きながら憮然たる表情で王を睨んでいる。「あっ!ハイ・ティエン?無事だったのね!」「哥哥?哥哥!!」
リーエルとローバは鮮血と汗でボロボロになった黄色いトラックスーツ姿の兄を見ると2人が同時に身を捩りながら喜びの声を上げた。
ハイ・ティエンは妹や弟と久々の再会を果たしながらも、白人の巨漢の背後に止まっている黒塗りのロールスロイスに用心深く目を走らせる。その車の窓はスモークウィンドウで車内は全く見る事が出来なかった。
ハイ・ティエンが「王国豪、私はお前の要求通りに五重塔の番人を全て倒した。さあ、約束通りに私たちを解放してくれ!」と韓国人黒社会の住人に迫る。
「残念だが、お前とこの妹にはまだ大事なミッションが残っているんだ!」王の代わりにハイ・ティエンに答えたのが暴れるリーエルを掴んだまま離さない白人の巨漢だった。
「ユーは誰だ?何故ここにいる?その後ろの車には誰が乗っているんだ?」
ハイ・ティエンの問いかけに白人の巨漢は意味深げな笑みを浮かべたが、傍らの王国豪は「ハイ・ティエン、結局生き残ったのはお前1人か。ジェームズには前金を渡して隙があったらお前を消せと含ませていたんだがな。ミスターオカタ、あとは打ち合わせ通りですな?」とローバの頭に銃を押し付ける。泣きながら身体を捩るローバ。王からオカタと呼ばれた白人の巨漢ことロブ・オカタ(ボブ・ウォール)は唸る。「ハイ・ティエン、お前とこのリーエルにはもう1度五重塔の最上階まで上がって貰う!」「何だって?一体何のためにだ!」
「それは最上階に行けば判る。さあ、来い!」「嫌!離して!嫌!ハイ・ティエン!ハイ・ティエン!」「リーエル!」オカタに引き摺られるように五重塔の入り口に連れ込まれそうになるリーエルをハイ・ティエンが追う。
王がローバの髪の毛をグイッと掴み「この坊主はどうします?」とオカタに声をかける。オカタは暴れるリーエルの腕を捩じ上げながら平然と一言「・・・殺せ!」とだけ言い放ち塔内に駆け込む。
それを聞いたハイ・ティエンが怒りのコブシを握りオカタに迫ろうとした時、ハイ・ティエンの背後から猛スピードで五重塔目掛けて疾走して来る1台のアストンマーチンが目に入った!!「ゴオオオオオォォ!」
タイヤを軋ませ急停止するアストンマーチンに全員の眼が一斉に注がれた時、アコンが王国豪に身体ごと体当たりし、王を転倒させる!「わああああ!」ローバが泣きながら走り出す!
そこにアストンマーチンから飛び出て来た屈強な白人男性がローバを抱き止めると、大声で叫びながら自分とローバに銃口を向ける王国豪を抜き放ったワルサーPPKで射殺する!
「ズキューン!」「うぎゃあ!」胸板を撃ち抜かれた韓国人の悪漢はそのまま背後のロールスロイスに仰向けに崩れ落ちるが、それを合図かのようにロールスロイスが急発進する!
だがハイ・ティエンはロールスロイスが走り去る直前に、僅かに開いたスモークウインドウから異様に変形した黒い左手袋が見えたのを一瞬目撃する!
「ミスターハイ・ティエン、早くロブ・オカタを追うんだ!君の弟はここで私が守る!」
ハイ・ティエンは精悍な口髭を蓄えたその英国訛りの白人男性に振り返ると「ユーは誰だ?」と問う。
ローバを優しく抱き抱えた英国人(ジョージ・レーゼンビー)は「私はジム・フレミング。英国諜報機関の者だ。さあもう時間がない。あのロブ・オカタの言ったように最上階の“秘宝”を手にするためには君とリーエルが必要なんだ!」と力強く応える。
「・・・判った。ユーはローバを救ってくれた。信用しよう。アコン、ここを頼むぞ!」
「おう、任せろって!ハイ・ティエン!」ハイ・ティエンはアコンの返事を背に3人を残し、五重塔の1階へと駆け込んでいった。いま全ての決着が着こうとしている・・・!!
「ハイ・ティエン!私はここよぉ!ハイ・ティエン!」ハイ・ティエンは五重塔内の上階からリーエルの悲鳴が木霊する方向を見上げながら、グランドフロアから2階の“豹殿”、さらに3階の“虎殿”の階段を駆け上がると、目の前の床に転がっていた自分のバオを拾い上げ、そのまま4階の“龍殿”への階段を駆け上がっていく。
長く苦しい闘いを終えたばかりのハイ・ティエンの呼吸は荒く、目の前がボンヤリと翳んで見える中、ハイ・ティエンはやっと5階に辿り着いた。
ロブ・オカタは暴れるリーエルを抱き抱えたまま、最上階へと繋がる階段に片足をかけ、憎々しげな笑みを浮かべながらハイ・ティエンを待っていた。
「あっ!ハイ・ティエン?来てくれたのね!」「リーエル、大丈夫だ。必ず助けるぞ!」
オカタはリーエルの乱れた黒髪を掴むと「さあ、ハイ・ティエン。可愛い妹を助けたいならさっさと上がって来い!」と唸ると、そのままモガくリーエルを抱え最上階への階段を上がっていく。ハイ・ティエンも背中越しに持ったバオを手に階段に駆け寄ると、用心深く五重塔の最上階への階段を上がっていく。
五重塔の最上階。そこは塔内で最も狭く、また最も奇妙な空間だった。窓は2つのみでそれぞれに鉄格子が填められていた。
四方の壁には「陰陽」を象った文字が刻まれ、そのフロアの中央には古く、それでいて頑丈な黒い木箱がポツンと置かれていた。
ロブ・オカタは無言で荒々しくリーエルの右腕を掴むと、そのか細い腕に填められたハイ・ティエンからリーエルに贈られたプレスレットを奪い取ると、ハイ・ティエンに向かって「お前のそのブレスレットも寄こせ!」と言い放った。
「何故だ?」「いいから黙って渡せ!」ハイ・ティエンが自分のブレスレットをオカタに渡すと、口を歪めて笑ったオカタは左手でリーエルの腕を掴み、右手で中央の木箱の蓋を開けると、そこにある2つの円形の窪みに2つのブレスレットを填めこんだ。
「ジィィィィ!ジィィィィ!」木箱の中で2つのブレスレットがまるでワイヤーのように可動するのがハイ・ティエンにも見て取れた。
次の瞬間、木箱の底が「ガタッ」と音を立てて引き出しのように押し出され、その中に分厚く黒い表紙の本が収められているのが見えた。
「それが“秘宝”なのか?」ハイ・ティエンがオカタに問う。オカタが答える。
「どうせお前らはこの五重塔から生きては出れないんだ、教えてやろう。これがアフリカからこの韓国まで渡って来た“幻の書”だ。ここに収められている物こそ全ての格闘者にとっての“絶対の境地”なのだ。俺のボスがこの“幻の書”を自分の個人博物館のコレクションに何としても加えたがってな。だがそれにはお前たち兄妹が持っているこのブレスレットがどうしても必要だったし、この下の5階の化け物が邪魔だった。あの化け物もこの“幻の書”の番人としてアフリカから連れて来られたのさ!」
ハイ・ティエンはオカタが次々と明らかにする驚きの事実に聞き入っていたが「ミーとリーエルのブレスレットと木箱には何の関係が・・・それにユーのボスとは何者だ?あの車に乗っていた義手の男がそうなのか?」とさらに問い質す。
オカタが暴れるリーエルから手を放し“幻の書”を小脇に抱えながら「フン!よくボスが義手だと判ったな?ブレスレットはお前の師匠の方丈に訊く方が早いぜ。もっともお前たち兄妹は今ここで死ぬんだがな!」とリーエルに再び手を伸ばした瞬間!
ハイ・ティエンが後手に持っていたバオをリーエルに投げ与えた!それを受け取ったリーエルは振り向き様にオカタの左目目掛けてバオを振り下ろす!
「バシュゥ!」「ぐおおああ!?こ、このビッチがぁぁ!死ねえぇ!」怒り狂ったオカタはドクドクと血が流れ出す左目を抑えながらリーエルの首筋に手刀を叩き込む!
「バキィ!」「あう!」リーエルは口から大量の血反吐を吐き床に倒れ込む!
「リーエル!?ぬううう!オカタァ!オオオオチャアァ!」遂に全ての怒りを爆発させたハイ・ティエンは自らトラックスーツの上半身を力の限りに引き裂き、その鍛え上げられた肉体を剥き出しにするとオカタに突進!
「があああああ!」オカタも左目を抑えたままハイ・ティエンに右からの正拳突きを叩き込む!だが怒りに燃えるハイ・ティエンはそのオカタの突きを胸板で受け止めると、オカタの顔面に怒涛の掌底を叩き込む!「アジョオオォ!」「げふぅ!」
「アオオオチャア!」さらにハイ・ティエンの後ろ廻し蹴りがオカタの顔面に炸裂!
その衝撃でオカタは“幻の書”を床に落とすと、下階への階段前にヨロヨロと後退する。それを見たハイ・ティエンは最後の力を振り絞りオカタ目掛けて助走からの怒りのサイドキックを叩き込む!「オオオオアチャアァ!」「ドガァ!」
「ぐおおああ!」オカタはハイ・ティエンのキックの衝撃で後方に吹っ飛ぶと、そのまま5階への階段を転げ落ちていく!!「ドタ!ドタン!ガラガラ!ドタァン!!」
ハイ・ティエンはオカタが5階の床に叩き着けられ、その場で血泡を吐くのを見届けると、眼下のオカタに向かって両手のコブシを握り締め、憤怒の雄叫びを上げる!
「お前の負けだ!ロブ・オカタ!!」
オカタはヨロヨロと起き上がると、怨念の込められた片目で階段上のハイ・ティエンを見上げながら「ハイ・ティエン!覚えてろよ?この傷の恨みは忘れんぞ。お前との決着は必ず着ける・・・ボスの島で待ってるぞ!」と言い残すと、左目を抑えながら4階の階段へとフラフラと走り去った。
「リーエル?リーエル!」ハイ・ティエンは仰向けに倒れている最愛の妹に駆け寄ると、瀕死のリーエルを優しく抱き上げる。
「哥哥・・・私・・・死ぬのね?」「嗚呼、リーエル!」リーエルは口から血を流しながら目の前の兄の顔をジッと見つめると「・・・闘ってる時の哥哥が好きだった・・・でも引退に悩んでいる哥哥を見るのは辛かったな。もう1度だけ・・もう1度だけあの綺麗な雪山を哥哥と・・・見た・・・かった」
「リーエル?・・・リーエェェェル!」ハイ・ティエンは息を引き取った妹の亡骸を力一杯抱き締めると、静かに、ただ静かに涙を流しながらジッと目を閉じていた。
「全てはこの“幻の書”が原因だ。これを求めて多くの人間が命を落とした」その声にハイ・ティエンが振り返ると、ジム・フレミングが“幻の書”を手に立っていた。
フレミングはハイ・ティエンが抱き締めているリーエルの亡骸を痛恨の表情で見つめていたが「いま血だらけのオカタが逃げていったが、君たちの安全が先だ。安心したまえ。ローバにはアコンが付いている。彼は今では君の信者だよ。ハイ・ティエン、この“幻の書”はまず君に優先権がある。君はそれだけの犠牲を払ったんだ。どうする?この中身を見てみたいか?」
ハイ・ティエンはフレミングの言葉に無言で頷く。フレミングはハイ・ティエンの傍に膝を着くと、おもむろに“幻の書”を開いた。
「あっ!こ、これは!?」
ハイ・ティエンとフレミングの目に飛び込んで来たのは「鏡」だった。見開きの形で右と左の頁に映った「鏡」には、驚きと困惑の表情を浮かべるハイ・ティエンとフレミングの顔がまるで冷たく、突き放すかのように映し出されていた。
ハイ・ティエンは“幻の書”から無表情で目を離し、既に冷たくなって来たリーエルの亡骸をより強く抱き締めると「これが・・・これが多くの人間が追い求めた“絶対の境地”なのか?このために私はこの五重塔で命を懸けて闘い、多くの死を目の当たりにし、そしてリーエルを失ったのか!?何のために・・・一体何のために!!!」
ハイ・ティエンは怒りと悲しみで身体中を震わせていたが、やがてリーエルを抱き抱えユックリと立ち上ると、傍らで立ち尽くすフレミングに静かに、しかし毅然と言い放った。「さあ、この地獄を出よう。ゲームは終わった」
金浦国際空港。多くの人が行き交う空港ロビー。紺のコートを着たハイ・ティエンは弟のローバが大事そうに抱える純白の布に包まれたリーエルの遺骨にソッと手を添える。そして目の前のジム・フレミングとアコンに静かに向き直った。
アコンは真っ赤な鼻をさらに真っ赤にしながら「ハイ・ティエン、俺は王国豪の金に釣られてお前を五重塔に連れてった自分が恥ずかしい。なあ、俺を許してくれるか?」と項垂れる。
ハイ・ティエンは泣き顔のアル中の錠前屋と握手を交わすと「ああ、許そう。だが一つ条件がある。今日で酒を止めろ。いいな?」と穏やかな笑みを返す。照れくさそうに頷くアコン。
それを見ていたフレミングが咳払いをしながらハイ・ティエンに手を差し出し「ハイ・ティエン、英国諜報機関を代表して“幻の書”の譲渡に心から感謝の意を表するよ」と微笑む。
ハイ・ティエンはフレミングの手を握り返しながら「あの本は今のミーにとって何の意味も持たない。それにこれはきっとリーエルも望んだ事だと思う。“絶対の境地”は自分で探すさ」と笑みと共に応える。
ロビーに香港行きの便の搭乗アナウンスが流れ始めた。
ハイ・ティエンはローバの手を握りフレミングとアコンに別れを告げようとしたが、フレミングはそのハイ・ティエンのコートの胸ポケットに素早く一通の封筒を入れると「これは英国諜報部の私の上司から君へのメッセージだ。中身は機内で読んでくれ」とだけ囁くと、戸惑った表情のハイ・ティエンともう1度固く握手を交わすのだった。
心地よくエンジン音が響く機内。ハイ・ティエンはローバと隣同士で席に座りながら、飛行機の窓の外に広がる金浦空港の滑走路を眺めていた。
ハイ・ティエンは最愛の姉を亡くし、その遺骨を抱え悲しみに沈むローバに自分のバッグから紙袋を取り出すと、それを弟の膝の上に置いた。
「哥哥、これ何?」「開けてごらん」ローバがその紙袋を開けると、そこには上半身部分がボロボロに引き裂かれ、血と汗が染み着いた黄色いトラックスーツがあった。「あっ・・・これは哥哥の!」「これをお前に受け取って欲しい。これからお前の人生には様々な試練が待っているだろう。だがそんな時はこのトラックスーツを見て、私の闘いを思い出して欲しい。例えどんな試練に直面しても、決して逃げずに立ち向かう勇気をお前に持って欲しいのだ」
ローバはそのトラックスーツを強く握り締めると、隣のハイ・ティエンの目を正面から見据えながら「哥哥、分かった。僕、もう泣かないよ。哥哥みたいに強くなるよ!」
離陸に備えて機長のアナウンスが流れ、機内のエンジン音が次第に高くなる。
ハイ・ティエンはコートの内ポケットからジム・フレミングから渡された英国諜報機関からの手紙を取り出し、封筒の中に入っているメッセージを読み始めた。
その手紙は今回のハイ・ティエンの尽力に対する感謝とリーエルの死に対する哀悼の意から始まり、“幻の書”がジム・フレミングによって無事英国博物館の厳重な管理下に入った事が記されていた。また今回の韓国での誘拐事件、及び“幻の書”強奪未遂事件の背後にいる人物こそが国際的な犯罪組織を率いる“片腕”の中国人であり、ロブ・オカタもその組織の1員である事が記されていた。そして手紙はこの犯罪組織壊滅に是非ともハイ・ティエンの協力を仰ぎたいとの強い要望で終わっていた。
手紙を読み終えたハイ・ティエンが隣のローバを見ると、ローバは亡き姉の遺骨と黄色いトラックスーツを抱き締めながら穏やかな寝息を立てていた。
ハイ・ティエンは弟の頭を優しく撫でると、再び窓の外に視線を戻す。
飛行機がスピードを上げながら滑走路を力強く疾走し、そしてユックリとその機体が滑走路を蹴った。窓の下の韓国の大地が少しずつ小さくなっていく。
ハイ・ティエンは手紙をコートのポケットに戻すと、コートの下に着込んでいる純白の中国服の襟を正した。そして目を閉じ、自分自身に向かって静かに語りかけるのだった。
「私は恐らくこのブレスウェイトという男のオファーを受けるだろう。そして香港に戻り、師父に残された謎を問いかけてみたい。
“幻の書”の正体は「鏡」だった。今の私にはそれが意味する真実にはまだ辿り着けない。だがそれでも私には判る。何時か私がもう1度“鏡の幻影”と言う名の試練と対峙する時が来る事を。その時こそ私が「絶対の境地」に到達する瞬間なのだ。
リーエルよ、見ていてくれ。もう私は迷わない。もう私は逃げない。引退の影に怯えていた“黄色い虎”ハイ・ティエンはもういないのだ。
私は五重塔での命懸けの闘いをこの2つのコブシだけで生き抜き、いま新たなる悪との闘いに挑もうとしている。例えその闘いが再び“死のゲーム”になろうとも、例え身に纏ったこの純白のトーナメント・ウェアが“死装束”になろうとも、私は決して恐れない。そう、何故なら、私は“ドラゴン”だからだ!」
「死亡遊戯:完全版2015~AFTER THE GAME」完。