超級龍熱

香港功夫映画と共に

ブルース・リー生誕祭スペシャル!龍熱トークライブ2019開催決定!!

2019-10-28 07:39:48 | ニュース

皆さん、私こと龍熱こと知野二郎のイベントの告知です😊。来月11月27日、リーさんこと李小龍の79回目のお誕生日のその日に巣鴨は「闘道館」でトークライブを開催します!題しまして・・

猛龍魂継承!ブルース・リー生誕祭スペシャル: 龍熱トークライブ2019!
いまブルース・リーからドニー・イェンへ!誰がドラゴンかは自分で決めろ!

私もトークイベントは久々になりますが、当日は珍しい映像やこれまでお話していないレアなエピソードも色々お話したいと思いますので、是非いらっしゃって下さい😊。今回のイベントは副題がありまして「誰がドラゴンかは自分で決めろ!」なんですね。そう、果たしてドラゴンは李小龍ことブルース・リーか?甄子丹ことドニー・イェンか?それとも・・龍熱か??イベントではそれを皆さんと楽しく熱く語り合いたいと思っています😊。というわけで、誰がドラゴンかは自分で決めろ!これは最終決定だ!いまぁ!龍熱が決めた!ケッテェェェ!

●日 時:11月27日(水)PM7時~(受付開始PM6時45分~)
●場 所:『闘道館』2Fイベント・スペース(東京都豊島区巣鴨2-5-12・ガーベラ巣鴨ビル1F&2F)📞03-5944-5588 ※JR巣鴨駅・北口を出て右に周り込むように徒歩1分
●参加費:スペシャル・シート4000円(当日4500円)ゼネラル・シート3000円(当日3500円) ※スペシャル・シートは知野二郎氏のサイン入り色紙+2ショット撮影
●出 演:知野二郎(香港クンフー映画評論家)

★イベントへのお申し込みは…‥①お名前 ②電話番号 ③参加人数 ④イベントへの要望 ⑤このイベントを知った経過

を必ず明記の上,下記のメール・アドレスからお願いします。

⏩️wearewing199194@gmail.com

My Bruce Lee & Donnie Yen talk-live coming on Nov 27th‼


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「死亡遊戯:THE DESTINY」⑤

2019-10-28 00:10:57 | 闘神伝説~李小龍

私たちリーさん信者がリー監督の原案による「死亡遊戯」では、リーさん以外にも五重塔に挑戦する格闘家が何人か同行する設定だったと初めて知ったのは、恐らくケイブンシャから出版された「死亡遊戯」特集号に掲載されたノベライズ(かなり脚色されてましたが😉)だったと思いますし、少なくとも当時の龍熱少年はそうでした。このリーさん原案版「死亡遊戯」に登場する田俊や解元たちの詳細なキャラクター設定に最も肉薄したのがジョン・リトルが製作した「A Warriors Journey」DVDに特典収録された「The Story」でしょう。

ただ個人的にはハイティエンら挑戦者たちと五重塔1階周辺を守る黄仁植らとの乱戦は是非撮影して欲しかったんですが😉。
田俊は主人公ハイティエンに執拗に対抗意識を燃やす格闘家の設定が興味深いんですが、実際の田俊も「ドラゴン危機一発」(71)で当初は自分が主役候補だったのをリーさんにそれを横取りされた事に今でも拘っていると言われていますが、こればっかりは田俊本人に確認してみないと何とも言えません。
ただ田俊も70年代には愛妻が自殺未遂を起こすなどプライベートが騒がしかった人なので、
本人も自分の過去に関しては色々思う事があるのでしょう。
もう1人の解元は丸太を振り回すやや単細胞😅、いやいや猪突猛進的なキャラクターの格闘家ですが、実は実際の解元本人も殆どそのまんまの人物だったそうです。
私が解元と香港映画で何本も共演している倉田保昭さんにインタビューした際に解元の思い出を訊くと、倉田さんは「あ〜!解元ねえ。彼はマレーシアの華僑でね、空手をやってたんですよ。僕も解元とはよく食事に行きました。でも解元は人は良いんですが、アクションとかの動きがもうハオ〜!ハア〜!って感じでね(苦笑)。もう監督の呉思遠からしょっちゅうコラ解元!お前何やってんだぁ!って怒られてましたよ(苦笑)。本当に人柄は良かったんだけど」との大変貴重な証言を頂きました😊。
まあ解元の役柄に関してはリー監督は本当はサモハンを使いたかったんですが、ちょうど「死亡遊戯」の撮影時期にサモハンが海外ロケ作品に出演していて「死亡遊戯」に出演出来ず、ならばとリー監督は解元を起用した経緯があるわけです。
解元は78版「死亡遊戯」完成直前の1977年に脳腫瘍で急逝していますが、奇しくもリーさんと同じ32歳の若さでした。
最後に、これは敢えて未確認情報ながら初めて書きますが、生前の解元は嘉禾影業のドン鄒文懐に「死亡遊戯」に関する情報を一切他言禁止との文書にサインをさせられていた、との話を聞いた事があります。
これは78版「死亡遊戯」と「死亡の塔」(81)でビリー・ローを演じた金泰靖も鄒文懐と同じような契約を交わさせられていたと何処かで読んだ記憶がありました。
私たちが待ちに待っていた78版「死亡遊戯」を完成させてくれた鄒文懐ですが、鄒文懐が亡くなった途端に様々な人物が堰を切ったかのように口を開き始めたのを見ても、鄒文懐自身ももしかしたら“幾つもの顔”を持っていた人だったのかも知れませんね。
そう、それら「死亡遊戯」の秘められた闇を探求する旅もまた、私たちの“宿命”なのです。
Yes I Do Not Fear the Game of Death !!

Buddy or enemy? Bruce Lee,Gai Yuen and James Tien.Three challengers of pagoda.


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「死亡遊戯:THE DESTINY」④

2019-10-27 09:56:18 | 闘神伝説~李小龍

ビリー・ローvsパスカル、その壮絶なるヌンチャク合戦の決着シーンです。当時の私は「死亡遊戯」のこのインパクト抜群の決着シーンを見て、それまで只単に振り回したり、相手を叩いたりするだけだと思っていたヌンチャクにこのようなヌンチャクで相手の首を絞める攻撃方法がある事を初めて知りました。それはかなりの衝撃でした。

ちなみにリーさんはこのダン・イノサント先生を仕留めるシーンで、ヌンチャクの紐がイノサント先生の顎に引っ掛かってしまうNGテイクを出していまして😉、公開版で使用されたOKテイクは2度目に撮影したテイクでした。
さて「死亡遊戯」でのリーさんは、それまで「ドラゴン怒りの鉄拳」(72)と「ドラゴンへの道」(72)で使用した黒のヌンチャクの間を鎖で繋いだタイプを使用していましたが、「死亡遊戯」では黄色のヌンチャクの間を紐で繋いだ新タイプのヌンチャクを使用しています。このイエローヌンチャク、映像や写真を見るとヌンチャクのグリップの部分が撓ったりしているのでラバー性も含んだ材質かも知れませんね。またラフカットを見ると、リーさんがヌンチャクの中身の芯を交換しているテイクも確認出来ますので、リーさんもイノサント先生もこのヌンチャク合戦の撮影中はお互いに相当激しくヌンチャクを使い込んだと思われます。
さて、ここからが本題です。ではこの「死亡遊戯」でリーさんが使用したイエローヌンチャクは現在どこにあるのでしょうか?
まずイノサント先生が撮影に使用した赤のヌンチャクは現在もイノサント先生が所有しています。これは私がイノサント先生本人に直接確認しましたので間違いありません。
ではリーさんのイエローヌンチャクは果たしてどこに?「燃えよドラゴン」(73)でリーさんが使用した黒のヌンチャクは、撮影後にリーさんが自分のお気に入りのカメラマンだった陳旭氏にヌンチャクに白のマジックでサインを入れて(!)プレゼントしている事が分かっています。

ちなみに「燃えドラ」のヌンチャクはリーさんがジョン・サクソンとオフタイムに2本のヌンチャクを自分の肩にかけて談笑しているスチールがある事から、撮影用に複数のヌンチャクが用意されていた事が分かります。
では「死亡遊戯」のイエローヌンチャクは何本製作されていたのでしょうか?
既に「死亡遊戯」の製作関係者の多くが鬼籍に入っている現在、その正確な答えを私たちに提供出来る人間は田俊ぐらいかと思いますが、ご存知のように田俊はリーさん関連のインタビューはNGな人なので大変残念です。
そう、イエローヌンチャクと共に同じくその行方が不明状態である李小龍が着用したジャバールの足型付きのイエロートラックスーツ、黒のヌンチャクケース、バオ、エレファントブレスレット、イエローシューズ、これら伝説の“デスゲーム・コスチューム”の行方を何としても探さんと、また追い求める事は私たちに課せられた“宿命”なのです。Yes I Do Not Fear the Game of Death !!
「死亡遊戯:THE DESTINY」次回をお楽しみに!!

Bruce Lee finishing Dan Inosanto off!!
We already confirmed sifu Inosanto still keeping his red nunchaku.
But where is yellow nunchaku Bruce used in Game of Death now???


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「死亡遊戯:THE DESTINY」③

2019-10-26 08:53:30 | 闘神伝説~李小龍

今回の特集の裏テーマ、いえ未完成に終わった「死亡遊戯」という作品の永遠のテーマが果たして「死亡遊戯」の未公開映像はまだ存在するのか?でしょう。

まずは何と言っても既に発掘はされたものの、依然一般公開されていない3階は“虎殿”のダン・イノサントvs解元&田俊の丸太戦映像。
そしてイノサント、池漢載、黄仁植、そしてリー監督も参加した新界野外ロケ映像でしょう。
さらにリンダ夫人が所有している李振輝が撮影したリーさん、ジャバール、田俊が参加した約30分のフォトセッション映像も依然その全てが公開されないままです。
で、ここからさらにハードル(?)が上がりまして、ロバート・クローズ版こと78版「死亡遊戯」の様々な編集素材が収められた約2時間(カジノグッズのオープニングのクレジットが入らないバージョン等々)の映像。これには以前にYouTubeに映像がアップされた「Making of Game of Death」やビリーロー役の金泰靖のアクションシーンのNGテイクも収録されている可能性が高いです。
そして98年前後に香港で2度に渡って開催された「死亡遊戯」ラフカット上映ツアーで、そのツアーに参加した私の友人から実に興味深い証言を貰っています。
「ラフカットの上映前にクローズ版メイキング映像等を流していたのですが、突然1秒くらいの細切れのレア映像がババっと流れました。
ただあまりにも短く瞬間映像みたいな感じでしたし、かなり昔に1度見たきりなので説明が難しいのですが」
この貴重な証言に加えて、その細切れのレア映像の中には、ご覧の写真のようなカメラがヌンチャクを構えたリーさんを正面から、それも全身(!)を映したカットがあったそうです。
そう、もし約96分のラフカット、いえ約107分のラフカット全長版以外に「死亡遊戯」の映像が存在するとしたら???
私が何故にこの友人の証言を重要視するかというと、遥か昔からやれジョン・ラダルスキーが丸太戦が収録された「死亡遊戯」の予告編を持っている。やれそれは広東語版の予告編で日本人のファンがラダルスキーにそれを見せて貰った等々の“都市伝説”がありましたよね?
で、実際はラダルスキーは丸太戦の映像を持っていませんでした。これは私がラダルスキーと私の共通の友人を通じてラダルスキー本人に確認しました。
しかし!「死亡遊戯」の丸太戦が収録された劇場予告編を当時に劇場で撮影し、それを現在も所有している人物がいるのは事実だったのです!!私の海外の友人の友人がその人物です。既にその人物の名前も分かっています。
要するに「死亡遊戯」に限らず、李小龍の未公開映像に関しては、私たちの許に伝わって来た何らかの証言や情報には必ずその未公開映像に辿り着くヒントや道標があり、それらを決して聞き漏らしてはいけないのです。そう、そのデスゲームという名の終わりなき旅を彷徨う長く険しい道程こそが私たちの“宿命”なのです。
Yes I Do Not Fear the Game of Death!!
「死亡遊戯:THE DESTINY」まだまだ続きます!!

There is 107 minutes Game of Death out-takes include log fight scenes.
But who can declare there are more Game of Death missing footages???


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「死亡遊戯:THE DESTINY」②

2019-10-25 09:40:42 | 闘神伝説~李小龍

「BRUCE LEE in GOD/死亡的遊戯」(00)が日本で製作された事で国内に入って来た約96分のラフカット。それは最初2本の60分のVHSに分かれてアートポートの某関係者の許に送られて来たそうです。ただその某氏が比較的気軽に2本のテープを持ち歩き、また比較的気軽😅に各所で再生していた事もあり、最初はコンディションが良かったそのテープですが、一時期から4階は“龍殿”のフロアのシーンにテープ損傷によるノイズが入ってしまったそうです😅。

さて、ここからが今回の本題です。ご覧の“龍殿”でのリーさんvs韓国合気道金段こと池漢載の戦闘開始シーン。この2人が睨み合った直後にリーさんが「アチョオォォォ!」と池師範の顔面を蹴り上げるシーンとなるんですが、ラフカットを見るとリーさんがこの蹴りのテイクを何度も何度も、それこそ執拗に撮り直している事が分かります。
まあそれは相手の池師範のドン臭い(失礼!😅)リアクションもリテイクの原因かと推察しつつ、実はこのリーさんが池師範を蹴り飛ばすシーンで、そのリーさんの蹴りがスローモーションで撮られているテイクが幾つかあるのに気がつかれたでしょうか?
この「死亡遊戯」約96分のラフカットでスローモーションで撮影されたシーンは、このリーさんが池師範を蹴り飛ばすテイクのみです。
では何故リーさんはこのシーンをスローモーションで撮影したのか?
残念ながらその理由は分かりません。それを知っているのは天国のリーさん、そしてもしかしたら今もご存命の池漢載老師だけでしょう。
このように「死亡遊戯」のラフカットには「GOD」と「A Warriors Journey」(00)が公開された後も、依然として謎に包まれたままのテイクが幾つも存在しているのです。
例えば、ダン・イノサントが守る“虎殿”でリーさんが自分の頭にヌンチャクが当たりNGのはずのテイクを完璧主義者のリーさんが何故OKテイクとしたのか?
終盤のイノサントとのヌンチャク合戦で、どうやっても編集が繋がらないヌンチャクスイッチワークを見せるリーさんを横から撮っているテイクがあるのは何故なのか?
ジャバールの“未知の恐怖”のフロアで明かされたジャバールのあの衝撃の“猫目”は誰かどのように撮影したのか?本当にジャバールの目にコンタクトを入れて撮影したのか?
いま私が思いつくだけでもこれだけの謎が残されたままの「死亡遊戯」のラフカット。
だからこそ私たちの「死亡遊戯」探しの旅はまたまだ続くのです。そしてそれが私たちの“DESTINY(宿命)”なのです。Yes I Do Not Fear the Game of Death!!
「死亡遊戯:THE DESTINY」次回をお楽しみに!

Bruce Lee against Korean hapkido master Ji Han Jae confrontation.
From 96 minutes out-takes,we can find when Bruce kicks master Ji's face,Bruce shots the scenes as slow-motion few times.
Nobody know the reason and answer of this action sequence.


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「死亡遊戯:THE DESTINY」①

2019-10-24 09:05:35 | 闘神伝説~李小龍

お待たせしました!ではいきましょう!「死亡遊戯:THE DESTINY」第1回です。

ご覧のスチール、リーさんがカリーム・アブドゥル・ジャバールをフルネルソンに捉えているレアなスチールです。
ジャバールが本番用の青のシャツではなく白の短パン姿である事から、このスチールが「死亡遊戯」のリハーサル、またはフォトセッション時に撮影されたショットである事が分かります。
ではこのリーさんとジャバールのフルネルソンは本番向けのスチールではないから恐らく映像は存在しない?おっとそれはまだ断定は出来ません。何故ならKK氏の某ビデオに収録されたリーさん、ジャバール、田俊によるフォトセッションの収録時間はたった約5分。
そして私がこの「死亡遊戯」のフォトセッションを自分のビデオカメラで撮影したリーさんの実弟であるロバート・リーこと李振輝氏本人に直接確認したフォトセッションの撮影時間は約30分でした。
では残りの約25分のフォトセッション映像には一体何が撮影されているのか?
私はかなりの確率でその約25分のモノクロ音声入り映像にはこのリーさんのフルネルソンの場面も収録されているのではないか?と思っています。
既にロバート氏からリンダ夫人にバックヤード映像と共に返却されている「死亡遊戯」フォトセッション映像。そこにはもしかしたら私たちが想像も出来ない驚愕映像が収められているかも知れません!!
「死亡遊戯:THE DESTINY」次回を待て!!
Yes I Do Not Fear the Game of Death!!

Bruce Lee and Kareem Abdul-Jabbar are stretching during the Game of Death photo session time.
But how could be so sure this stretching was not filmed by Robert Lee's video camera ???


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「超級龍熱Facebook」で大好評連載の「死亡遊戯:THE DESTINY」近日登場!!

2019-10-23 17:19:22 | 闘神伝説~李小龍

もはや「死亡遊戯」の秘められた謎は尽きたのか?龍熱の“「死亡遊戯」探しの旅”は本当に終わりを迎えたのか?いや、例えそうだとしても龍熱、いや私の旅は終わらない。何故ならデスゲーム探索の旅は私たちの“DESTINY(宿命)”なのである!
「死亡的遊戯」永遠の旅人の誇りと真実、我にあり!私は確信する!この闘いに必ず勝ち、生き残る事を!
何故ならI Do Not Fear the Game of Death!!
「超級龍熱Facebook」Presents「死亡遊戯: THE DESTINY」近日当ブログに登場!ご期待下さい!
アタ!アタタタタタタタタァ!アタアァァ!!

Dragon Fever Web-log presents GAME OF DEATH:THE DESTINY coming soon!!


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

特集「燃える闘魂!アントニオ猪木」⑩ “韓国の猛虎”との喧嘩マッチ!

2019-10-20 13:24:16 | 龍熱の昭和プロレス放談

三浦アナ「いま話せますか?僕らは猪木さんがリング上で泣くのを見たのは初めてですよ!」

猪木さん「つい・・涙が出ました!」

1974年10月10日、蔵前国技館で行われたアントニオ猪木vs大木金太郎のNWF世界ヘビー級選手権。
大木は猪木のデビュー戦の相手であり、日プロ時代から様々な因縁がある両雄は試合前から激しい舌戦を繰り広げ、ファンはこの世紀の喧嘩マッチを固唾を呑んで見守ったのである。
試合はゴング前に猪木が大木の顔面に叩き込んだナックルパートで幕を開けた。さらに猪木のダブルアームスープレックス、大木のブレーンバスターが火花を散らすが、中盤から大木の原爆頭突きが猪木に炸裂し一気に試合は大木のペースとなる。
1発!もう1発!と大木の原爆頭突きが何発も猪木に炸裂し、猪木は額から流血!
それでも猪木は大木を睨み着けながら吠える!

猪木「さあ!来い!この野郎!」
大木「猪木!行くぞ!」

遂に大木の必殺の一本足原爆頭突きが猪木に炸裂し、ガクッと膝を着いた猪木だったが、大木の一瞬の隙を突き猪木のナックルパートが大木の顔面に決まる!
猪木はボディスラムから、一気にバックドロップで大木を叩き着けスリーカウント!
13分13秒の死闘であった。そして試合後、レフェリーの豊登を間に向かい合った両雄はお互いに微かに頷き合うと、どちらともなく抱き合い涙を流した。そしてマイクを向けられた猪木が口にしたコメントが冒頭の言葉である。
激しく闘志をぶつけ合った男たちが試合後にはお互いの健闘を称え合い涙を流す。
このアントニオ猪木vs大木金太郎戦こそ、如何にも日本人好みの日本人らしい昭和の名勝負であった。
ところが、この猪木vs大木戦にはさらなるドラマがあった。翌1975年の10月に同じ蔵前国技館でジャイアント馬場が大木金太郎の挑戦を受けて立ち、僅か6分弱でジャンピングネックブリーカーで大木をフォールしたのである。
当時執拗に猪木から対戦を迫られていた馬場は、猪木から「立ち給え!馬場君!」とまで挑発されるも、どうしてもリング上で猪木と対峙した際の信頼関係に不信感があり対戦を拒否し続けていたのである。
そこで馬場(あるいは馬場のブレイン)が考えたのが“直接対決回避型段階比較”である。
要するに猪木が13分かけて勝った大木に馬場は半分の時間の6分で勝った。だから馬場が猪木より強い、の論法である。
私は馬場さんのスケールの大きなプロレスや馬場さんの偉大な実績、そして馬場さんの懐の深い人柄は好きだし、その深みのある人間性に今も敬意を払っています。
でもこの“直接対決回避型段階比較”だけは馬場さん、それはないでしょう?支持派である。
猪木が大木に勝つのに13分かかって勝ったのではない。猪木だからこそ単調なファイトスタイルの大木と13分も緊張感漲る闘いが出来たのである。私はここは強く主張しておきたい。

アントニオ猪木と大木金太郎は、この世紀の喧嘩マッチの後に韓国で大木のインターナショナル選手権を懸けて闘い引き分け。第2回ワールドリーグ戦開幕戦で大木が猪木にリングアウト勝ちし、両者は1勝1敗1引き分けのイーブンで対戦成績を終えた。
この2人の最初の対決は現在も試合前の控え室での両者のインタビューから、試合後の感動の握手までほぼノーカットの映像が残されているので、是非ご覧頂きたい。
そこにはストロングスタイルと言う名の命懸けの闘いに自らの血と肉と闘魂を捧げたプロレスラーアントニオ猪木、その全盛期の雄姿がある。迷わす行けよ、行けば分かるさ!ありがとー!

Antonio Inoki against Kintaro Ohki!!


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

特集「燃える闘魂!アントニオ猪木」⑨ 世紀の日本人大物対決!

2019-10-20 13:23:44 | 龍熱の昭和プロレス放談

 力道山vs木村政彦戦以来の大物日本対決!と日本中のプロレスファンを熱狂させた1974年3月に行われたアントニオ猪木vsストロング小林のNWF世界ヘビー級選手権は期待通りの名勝負となり、今でも猪木さんの名勝負を語る際、必ず登場するほど有名な試合ですね。

ただ私が興味深かったのが国際プロレスのエースだった小林がGK(って別人の国際のブッカー兼任レスラー😅)の虐めに嫌気が差して国際を出たがっていると聞いた猪木さんと馬場さんがそれぞれ小林さんの自宅に電話した時、猪木さんが「小林さん」とさん付けで呼び、馬場さんが「なあ小林よ」と呼び捨てだったのを親子電話で聞いていた小林さんのお母さんが「ウチのボクちゃんを呼び捨てにして!」と新日本プロレスを選んだ、という余りに非ストロングスタイルなエピソードでございます😅。
あとこれは余談ですが、私はこの猪木vs小林戦の本放送を当時テレビ録画した映像を所有しているんですが、当日の放送ではこの世紀の一戦のゴングの瞬間がコマーシャル中で放送されず、放送ではコマーシャル後に「1分経過」のテロップと共に試合映像が始まっている事に驚きました。いや〜当時日本中のテレビの前のプロレスファンはこの1分間のコマーシャルの間はイライラしたでしょうねー!😆。
試合自体は場外の鉄柱攻撃で額を割られた猪木さんを小林がブレーンバスターからカナディアンバックブリーカー! それを猪木さんがリバーススープレックスからバックドロップで形勢逆転し、一気に必殺のジャーマンスープレックスホールドで勝負を決めました。
いま観直してもまさに流れるような素晴らしい技の攻防です。このフィニッシュのジャーマンで小林を投げた際、その反動で猪木さんの両足が一瞬宙に浮くのは有名ですが、同時にこのジャーマンで猪木さんは首を痛めたらしく、その後猪木さんは暫くジャーマンスープレックスを使わなかった時期がありました。
また猪木さん自身はこのジャーマンスープレックスで小林をブリッジで固めている時「ブリッジが完全じゃなくてちょっと横に傾くのが今一つ納得いかねえんだよ!」と語っていたそうですが、私はそんなに気になりませんでした。
最後にこの世紀の日本人対決のリング上の激しい闘いをリング下のエプロンから食い入るように見つめるスポーツ刈りの若手レスラーがいました。
その若手レスラーは猪木さんが小林さんに攻め込まれるとマットを叩いて悔しがり、最後に猪木さんが小林さんをジャーマンスープレックスで倒すと、すぐに立ち上がり両手を頭上に掲げ何度も拍手をして自分の師である猪木さんの勝利を称えるのでした。
そう、その若手レスラーこそ吉田光雄、後の長州力でした。
そしてこのアントニオ猪木vsストロング小林戦から8年後のまさに今日10月8日の後楽園ホールで、長州力は藤波辰巳に突如「藤波!俺はお前の噛ませ犬じゃないぞ!コラァー!」と牙を向きます。
それは“燃える闘魂”の遺伝子を強烈なまでに受け継いだ“革命戦士”による日本人同士が死力を尽くして闘う、新たなる“名勝負数え唄”の始まりだったのです。
迷わず行けよ、行けば分かるさ!ありがとー!

Antonio Inoki finishing Strong Kobayashi off by German suplex hold.


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

特集「燃える闘魂!アントニオ猪木」⑧ 闘魂と鉄人式岩石落とし

2019-10-20 13:23:07 | 龍熱の昭和プロレス放談

果たして何時から猪木さんはバックドロップのスタイルを相手の股の間に左腕を入れて投げるバックドロップから、相手の腰に両腕を回して投げる、所謂ルー・テーズ式のバックドロップに変えたのでしょうか?

私もそれに対しては確かな答えは出せないのですが、かなりの確率で日本プロレス時代は前者のスタイル、新日本プロレス設立後から後者のスタイルにシフトチェンジしたと思われます。
ただ私はルー・テーズが猪木さんに直々にバックドロップを伝授した、と書かれた文献は読んだ記憶がないのですが、識者の皆さん如何でしょうか?
私が覚えている猪木さんとテーズ式(と敢えて言います)バックドロップの名シーンでは、何と言っても大木金太郎との世紀の喧嘩マッチのフィニッシュ、ワールドリーグ戦で初対決の坂口征二の巨体を見事に投げた一発、タイガー・ジェットシンからNWF世界王座を奪還した試合のフィニッシュ、NWF世界王座初防衛戦で元祖テーズを投げた一発、そして初の格闘技世界一決定戦でウィリアム・ルスカに決めたバックドロップ3連発でしょうか。
もう1つ言わせて貰えば、猪木さんはこのバックドロップの他にもカール・ゴッチ直伝のジャーマンスープレックスホールドも必殺技のレパートリーとして持っていたわけで、改めて新日本プロレス設立直後の逞しいモミアゲを蓄え、茶色のタイツ姿のアントニオ猪木こそは文字通り“世界一強かった”と断言したいのです。
迷わず行けよ、行けば分かるさ!ありがとー!

Lou Thesz and young Antonio Inoki.

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする