超級龍熱

香港功夫映画と共に

地下鉄を出ると、そこは地獄戦場だった!デイヴ・バウティスタ主演「ブッシュウィックー武装都市」来月公開!

2018-07-28 21:30:15 | 作品レビュー

昨日当ブログにアップしました「死亡の塔」オープニングで秦谷と闘った白人空手家グラハム・レイヴィ師範のインタビューですが、その後「超級龍熱Facebook」でも常連さんたちやインタビュアーのリー・ホームズも交えたコメント殺到で大盛り上がりでした(^_^)。
既に寄せられた多くの情報から黄正利とグラハム師範が闘った庭園の場所と名称も確認が取れました。
恐らく当ブログと「~Facebook」がいま日本で「死亡の塔」を信者たちが最も熱く語り合っている“聖地”と言っていいでしょう。私も大変嬉しく思います(^^)v。

さて、先週は都内某所でジョナサン・ミロ&カリー・マー二オン監督、デイヴ・バウティスタ&ブリタニー・スノウ主演「ブッシュウィックー武装都市」(16)を試写で観て来ました。
ニューヨーク州ブッシュウィックの大学院生ルーシー(ブリタニー・スノウ)は彼氏のホセと共に家族に会うため地下鉄を降りると地上出口に向かおうとしていました。
ところがそこに突然火ダルマになった男性が絶叫しながら走り込んで来ます!唖然とするルーシーを置いてホセが様子を見ようと地上に出ると、手榴弾がホセを直撃!
ホセは泣き叫ぶルーシーの眼前で黒焦げで息絶えます・・・!!
ルーシーが半狂乱で地上への階段を駆け上がると、そこではまるで戦場のように激しい銃弾が飛び交い、空をヘリコプターや戦闘機が旋回していた!!
さらには街のいたるところでマスクで顔を隠し武装した戦闘部隊が住民を次々と銃撃している!あの正体不明の戦闘部隊は誰なの?外国の侵攻?一体・・・このブッシュウィックで何が起こっているの?
近くに住む叔母や妹の安否を確認しようと急ぐルーシーを街のチンピラたちが襲いますが、そのチンピラを怒涛の鉄拳で撃退しルーシーを救ったのが謎の巨漢ステュープ(デイヴ・バウティスタ!)でした。
ルーシーは並外れた体力と優れた医療知識を持ちながら何処か影のあるステュープと共に何とかこの絶望と混乱に満ちたブッシュウィックから脱出しようとしますが、彼女たちはそこから想像を絶する幾つもの修羅場を潜り抜けていく事となるのでした・・・。
謎の戦闘部隊の正体は?そしてその目的とは?果たしてルーシーとステュープが進む先には何が待っているのか!?

映画の中盤で謎の武装集団の意外な正体が判明しますが、そこからも映画のテンションが落ちる事なく、一気に衝撃にして驚愕のエンディングに向かって突き進んでいきます。
約94分の上映時間の間、ストーリー的に一切の無駄を排除し、ひたすらルーシーとステュープの主人公2人が突如戦場と化したブッシュウィックから脱出しようと懸命にもがき、足掻く姿をカメラは冷たく突き放したような映像として淡々と映し出しています。
ラストの余りのバッドエンディング振りは確かに観る側からすると唖然としますが、ここまで徹底してハイテンションな展開を最後まで貫き通すのなら、逆にこの衝撃のラストこそが相応しい、と私は思い切り納得しました。
そう、この圧倒的なまでの80年代B級サバイバル・アクション映画の香りと佇まい。いいよねえ!いや私は大変面白く観れました。ギリギリ最終試写で観れて良かった(^_^)。

余談ですが、主人公の1人ステュープを快演したデイヴ・バウティスタ。言うまでもなく彼はWWEスーパースター出身の元プロレスラーで、鍛え上げられた肉体から繰り出す必殺技バティスタ・ボムと共に2000年代中盤までのWWEユニバースを支えたトップレスラーでした。個人的には同じWWEスーパースターのジョン・シナなんかよりよっぽどバウティスタの方が俳優業に向いていると断言していいくらい抜群のカッコ良さを誇る人です(^_^)。
実はWWE参戦以前のバウティスタは独立プロなどでは「リバイアサン」のリングネームで闘っていました。
あとバウティスタはフィリピンとギリシャのハーフで、彼の奥さんは沖縄出身でアメリカ人と日本人のハーフだったりします。
バウティスタのあのワイルドでエキゾチックな風貌はそのような国際色豊かな血筋からだと思うと納得ですし、私もWWE時代から大ファンだったバウティスタにはこれからもこの「ブッシュウィックー武装都市」のような良質なアクション映画にドンドン出演して欲しいですね。
さあ、この「ブッシュウィックー武装都市」は来月11日から新宿シネマカリテ他にて全国順次ロードショー公開との事ですので是非!!


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闘神伝説~李小龍(111)遂に判明した「死亡の塔」白人空手家の正体!その名はグラハム・レイヴィ!

2018-07-27 21:38:50 | 闘神伝説~李小龍

さて、「超級龍熱」と言えば「死亡の塔」!「死亡の塔」と言えば「超級龍熱」!と称されるほど長年「死亡の塔」の謎をトコトン追求し、その殆どの謎を解明して来ました当ブログですが、今回その僅かに残された「死亡の塔」の謎が遂に解明されました!!
「ブルース・リー死亡の塔」(81)のオープニングで、日本庭園を舞台にビリー・ローの眼前で秦谷(黄正利)に撃退される白人空手家。
この精悍な面構えの白人空手家については、これまで“「死亡の塔」撮影当時に日本で空手を修行中だった青年”との本当に僅かな情報しかなく、事実私も以前に各媒体にそのように書いた記憶があります。ところが!先日「超級龍熱Facebook」で私とFacebook朋友であるT.NさんのFBでご覧の空手着姿の中年男性の写真を見た私は思わず声を挙げていました!

龍熱「おお!こ、これはあの「死亡の塔」の白人空手家の現在の写真じゃないか!?」

そうなんです。この白人空手家こそイギリス出身にして剛柔流空手の達人グラハム・レイヴィ。そして彼こそが「死亡の塔」で秦谷と闘った白人空手家だったのです!!
そうとなったら、あの“死の宮殿”の番人ルイスことロイ・ホランとの2度に渡るインタビューで「死亡の塔」の謎をほぼ全て解明した「死亡の塔弁護士会」会長の龍熱としては早速グラハム師範に直撃インタビューを申し込みました。
ところがグラハム師範のサイトを管理するK女史の返信によると、何と一足違いで「The Clones of Bruce Lee」というイギリス(だか何処かだの)のサイトがグラハム師範のインタビューを収録したとの事。
ならば、せっかくなのでその「The Clones~」のグラハム師範のインタビューを抜粋掲載させて貰おう♪っと、これまたかなりチャッカリな龍熱なのでした(^。^)。
では以下、グラハム師範が語る「死亡の塔」の真実をどうぞ!

グラハム師範「私は14歳から武道を始めて今年で50年になる。主に剛柔流空手を学んだ。日本の東京にある「代々木道場」で12年間に渡って修行を積んだよ。
日本ではアルバイトで英語を教えたりしていたんだけど、日本の映画でエキストラの仕事もしていたんだ。ある日、エージェントから電話があって東京でクンフー映画の撮影があって、武術の出来るエキストラを探してるって言われてオーディションに行ったんだ。
現場に行くとそこには私を含めて4人のエキストラ候補(恐らくこの内の2人が加藤寿と堀田真三)が来ていた。そこで名前は忘れたけど、この映画のアクションコーチ(恐らく袁和平か、袁氏兄弟の誰か)が7、8パターンの武術の型をやって見せて、それを真似てみろって言うんだ。
この4人のエキストラ候補の中で私が唯一の武道家だったし、私にとってコーチの動きを真似るのは簡単だった。他のエキストラは身体が大きかったり見た目も怖そうだったけど、皆が(武術の)技術不足もあって、コーチの動きを真似できないようだったね。
何日か経って、私がエキストラの役を獲得したとの連絡があった。
私にはこの映画が中国映画で、私の出演シーンの撮影期間は2日間。撮影場所は東京の六本木にある増上寺のグラウンド(ここ注目!)との事以外は何も知らされていなかった。
私が撮影現場に行くと、既に撮影クルーが忙しげに撮影を始めていて、そこでは黄正利が木刀の風圧で障子を破るシーンを撮影していた。黄正利の印象?彼は私のところにやって来て、こう自己紹介したのを覚えているよ。
「俺が黄正利だ。ブルース・リーが死んだ今、俺が最高のクンフーファイターだ!」ってね。それを聞いた私は「横柄な男だな。そんな事を言うなら君は全ての中国人と闘うべきだろう?」って思ったよ。
私と黄正利のファイトシーンの撮影が始まって気がついたのが、このシーンではカメラの前で如何に黄正利をカッコ良く見せて、如何に私を弱く見せるか、という事だった。
スタッフが私に少し動きのスピードを落としてくれ、あとヘンテコな表情をしてくれ、と言って来た。私はまあそれでギャラが貰えるならいいか、と彼らの指示通りにやったよ。
黄正利は他のアジア系の武道家と同じで動きはかなり早かったね。ただ私のような大柄の相手と闘うにはパワー不足だと感じたな。
あと黄正利がジャンプして私の延髄と腹を2段蹴りするシーンではOKテイクが撮れるまで何テイクも撮ったよ。私はこのシーンで黄正利が見せるサーカスみたいなパフォーマンスには感心したな。
このアクションで私が黄正利に「(キック)を直に当てていいよ、その方がよりリアルに見えるだろう?」て提案したら、黄正利は私の提案に驚いていたよ。
この連続2段蹴りのシーンでは5、6テイク辺りで私の腹が痛くなって来たので、彼らが用意した段ボールを腹に仕込んで撮影を続けたけど、最終的には10テイク目でOKテイクが撮れたよ。
ただ私と黄正利のファイトシーンでファイト・コーチがチョップ(手刀)を殺陣に入れた時、1テイク目に私が黄正利にチョップを放つシーンまでは順調だったが、私が剛柔流空手の横からの手刀を使ったら、その肘がダッキングしてチョップを避けようとした黄正利の頭に当たってしまった。その衝撃で転倒した黄正利は暫くボ~ッとしていたけど、起き上がると私に向かって「この馬鹿野郎!何だあの手刀は!?クンフー映画の手刀は真っ直ぐ真下に振り下ろすんだ!」って激怒していた。私はエゴが傷ついたらしい黄正利に謝ったけど、心の中では「良いチョップだろうと悪いチョップだろうと、実際の闘いでは利くんだぜ?」って呟いてたよ。
その後、改めて私が黄正利の気に入るようなチョップを出して、それを黄正利がダッキングしてカワす、のシーンを無事に撮ってからは、私たちはまた元の友好な関係に戻ったんだ。
金泰靖についてかい?私が出番がない時、黄正利が肩越しに投げたカップを金泰靖が椅子に座ったまま足で受け止める、ってシーンを横で見ていた。
スタッフたちはこのシーンを1ショットで撮りたくて、それこそ何テイクも撮り直していたな。ただ黄正利が投げたカップが色んな方向に飛んでいったりで・・・結局20テイク以上撮っても駄目で、とうとう彼らはこのカップ投げのシーンをカット編集を入れた2シーンとして撮る事にしたんだよ。これには金泰靖もホッとして喜んでいたね。
何故って20テイク近く撮って、金泰靖が黄正利が肩越しに投げたカップを何とか足でキャッチ出来そうなほど近くに飛んで来たのは4回ぐらいだったけど、その度にカップが足に当たってかなり痛かったようで、最後のほうは痛みを和らげるために彼は靴の中に段ボールを入れていたからね。
私に言わせて貰えば、このシークエンスを1シーンで撮るのは不可能だし、それはその場にいた他のスタッフも同じ思いだと、彼らの顔付きから判ったよ。
私のシーンの撮影が2日で終わった時は嬉しかったよ。その後は「死亡の塔」のスタッフの誰とも一切会う事はなかったね。
この時の私は黄正利がそんなに有名なスターだったとは知らなかったんだ。私がそれを知ったのは実は今から10年ぐらい前だったんだ。
この「死亡の塔」の撮影に参加した後の私は日本を離れて、オーストラリアで剛柔流空手を教えていたよ」

以上がグラハム師範のインタビューから抜粋した部分ですが、如何でしょうか。

私から見て、このインタビューが良い出来か悪い出来かと聞かれれば、良いインタビューだと思います。撮影中のグラハム師範と黄正利が一瞬即発だった事がよく分かりますし、ビリー・ローに扮した金泰靖の撮影中の興味深いエピソードも貴重な証言だと思います。
ただこのインタビューを読み終わった私は、グラハム師範のサイトの管理人K女史を通じて、改めてグラハム師範に1つだけ確認したい事柄を質問しました。
それがグラハム師範と黄正利が闘った庭園の正確な場所と名称です。この長年「死亡の塔」信者が探し求めている場所の正確な情報が判明すれば、一部のファンのように増上寺周辺をあてもなく徘徊する必要はもうなくなるわけですからね。(と言いながら、先ほど私とFacebook朋友の某師範から正確な場所と名称の情報を頂きました(^_^))。

それでも、もしグラハム師範本人から黄正利と闘った場所の確かな情報が来ましたら、是非当ブログでご報告したいと思っています。どうぞお楽しみに❗

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李小龍追悼特別企画 “天皇巨星”ジミー・ウォングが“功夫巨星”ブルース・リーを語る時!②

2018-07-20 00:10:49 | 闘神伝説~李小龍

さて、“暗黒”・・・いや“天皇巨星”ジミー・ウォングとのインタビュー第1戦を終えた私ですが、すぐ翌日にキングレコードさんのジミー主演作品DVDの映像特典用インタビューである第2戦が待っていました。このインタビュー第2戦のプレッシャー、それはとても第1戦の比ではありませんでした。

何故ならDVD特典向けのインタビューは当たり前ですが映像としてこれからも永久に残りますし、ジミー主演作品5本全てに関する質問をジミーに訊くため、インタビュー時間も午前中2時間、午後2時間と約4時間弱と長時間の収録になるからです。
このジミーとのタイマンインタビューでは、私がジミーを“毒の花”とか“暗黒武打星”とか好き勝手に書いている拙著「香港功夫映画激闘史」を誰だか知りませんが、その場でジミーに読ませていたり、インタビュー開始直後にインタビュー会場の電気が突如飛んでジミーがキレそうになったりと、様々なハプニングが起きた事は以前にも書きました。

実はこのインタビューで私がジミーにどうしても訊いてみたい作品がありました。それが「五金剛」(75)でした。
「五金剛」は1975年にイギリスとドイツの合作として製作され、そのキャストもオリバー・リード、スーザン・ジョージ、パトリック・ウェイン、三船敏郎(!)、そしてジミー・ウォングと世界から豪華な面子が集結した大作でした。ところがイギリスで撮影が開始されてから10日後にドイツ人の出資者が突如失踪したため製作が中止となる事態が起き、映画はそのままお蔵入りし、最終的に“幻の作品”となったのでした。ところが、この「五金剛」は撮影済みだった約20分ほどのカラー映像が現存しており、私は幸運にもその映像を1990年代中盤に観る事が出来ました。
注目のジミーと三船さんの絡みですが、豪邸の庭園のような場所でジミーと何故か忍者ルックの三船さんがお互いにお辞儀をしたり、邸内で主要キャストたちがテーブルを挟んで会食したりと、まさに香港と日本を代表する巨星2人の顔合わせに息を呑んだのを覚えています。

私がジミーとのインタビューで「五金剛」について訊くと、ジミーは台湾から持参した自分の主演作品のスチール群の中から唯一ラミネート加工された「五金剛」のスチールを大切そうに取り出し「ああ、この映画では日本のミフネサンと共演したな。残念ながら製作費が足りなくなって映画は未完成に終わったよ」と懐かしそうに語ってくれました。
さて、この“天皇巨星”と“世界の三船”の世紀の顔合わせが実現した「五金剛」ですが、もしかしたら・・・今年の秋に何とぉ!本作を日本で観れる可能性があるかも知れません!
諸事情でまだそのプロジェクトの詳細は明かせないのですが、もし無事にこの「五金剛」が日本で日の目を見た際は「ああ、龍熱があの時言っていたのはこの事だったのか!」と思い出して頂ければ幸いです(^_^)。
さて、ジミーとのインタビューも午前中の収録を終え、お昼タイムとなり、私たちは“天皇巨星”と一緒に餃子弁当を食べる栄誉(?)を授かりました。
ここでのジミーはお昼を皆で食べている気安さからか「おう成龍な、アイツは今でも俺から電話がかかって来ると電話を持ったままその場で直立不動だよ。台湾女優の⚫⚫⚫な、あれはセットの真ん中で煙草をプカ~ッなんて吹かしやがってありゃ駄目だね。袁和平か、アイツは俺の映画で絡みやっててよく蹴っ飛ばされててなぁ。やっぱり俺たちの時代は劉家良師父だよ。劉師父は本物だったよ!」と、横で聞いてる私がヒヤヒヤするほど何人もの大物映画人を次々と一刀両断していったのでした。
しかし、この直後、昼の休憩時間の最後の最後にジミーが私に向かって切々と語った言葉こそ、その1つ1つが私の心に今も強く刻まれる事となる金言となったのでした。

ジミー「お前、さっきインタビューで山茅の事も訊いて来たな。まさか山茅の事まで訊かれるとは思わなかったよ。山茅はタクシーの運転手と喧嘩して殺されちゃってなぁ・・・。お前の書いた本も読んだけど、お前は大した奴だな。あと李小龍だけどな、結果的にだけどアイツは32歳で死んだのは良かったかも知れないぞ。だって李小龍はこれからも永遠にあの32歳の若さのままなんだからな。お前は俺の腕がまだこんなに太いとか言ってくれるけど、俺の顔を見てみろ。皺が沢山あるだろう?人間が歳を取るっていうのはこういう事なんだ。でも李小龍はこれからもズッとあの32歳のままなんだぞ?」

私が何故このジミーがリーさんについて静かに淡々と語った言葉が強く心に残ったのか。
それは1973年に私たちが「燃えよドラゴン」でリーさんと初めて出会った時、既にリーさんはこの世を去っていました。
自分が夢中になり、熱烈に憧れ、崇拝する武打星の存在を知った時、その武打星がもうこの世にいない。その武打星には絶対に、決して会えない。
1人のファンとしてこれほどの喪失感と寂しさはありません。これはリーさん、いえブルース・リーのファン以外には決して理解出来ない感情です。
その宿命という名の重荷を背負い、またその重荷をリーさんに対する限りない敬意と愛情に変える事で私たちリーさん信者はその“ドラゴンの道”を今まで歩んで来たのです。

でも、そのジミーの温かく慈愛に満ちた言葉は、私たちに自信と勇気を与えてくれました。そう、私たちリーさん信者は“天皇巨星”の言葉に救われたのです。

そうだ、そうなんだ。リーさんはこれからも永遠に32歳のままなんだ。永遠にあの黄金に光り輝くドラゴンのままなんだ。これでいいんだ。これで良かったんだ!

合計4時間弱のインタビューが無事に終わり、心地好い安堵感を感じながら私は恐る恐るジミーに歩み寄り私とのツーショット写真をお願いしました。私の頼みを聞いたジミーは無言で私と並びカメラに視線を向けたかと思うと、徐に後ろの窓を振り返り「これだと逆光だな?」と呟くと片手でサーッとカーテンを引いてくれました。
その際に撮ったツーショット写真と共に、前日の映画雑誌のインタビュー取材後に撮ったツーショット写真が今回初公開となるご覧の写真です。このジミー・ウォングとのツーショット写真は香港功夫映画評論家である私の宝物の1つです。

今回、何故リーさんの命日に敢えてジミー・ウォングの特集を組んだのか。その理由は幾つかありますが、まず近い時期にジミーが出演した“幻の大作”「五金剛」が日本で観られる可能性が出て来た事。
さらには最近ある映画人の方から「台湾のジミーさんと連絡が取れない。もしかしたらまた体調を崩して入院しているのかも知れないな」と聞き、ならばこうして私がジミーの特集を組む事で皆さんに“天皇巨星”の雄姿を思い出して頂き、それを台湾のジミーに熱きエールとして送りたい!と思ったからでした。

そして最後にして1番の理由。それは長い激動の映画人生において破天荒かつ奇抜なアイデイアに満ち溢れたクンフー映画を次々と世に送り出し、一切の迷いもなく一直線に娯楽映画の王道を突き進む事で李小龍の“猛龍革命”にただ1人敢然と対抗して見せた“天皇巨星”ジミー・ウォングこそが“功夫巨星”李小龍を堂々と語る事が出来る唯一の武打星だからです。

ジミーさん、出来ることなら・・・もう1度貴方に会いたいです。もう1度会ってもっともっとリーさんや邵氏公司時代の思い出話を聞きたいです。もし出来ることなら・・・。

 そう、“天皇巨星”ジミー・ウォングが“功夫巨星” ブルース・リーを語る時!それは香港クンフー映画の“生きる伝説”がもう1人の“伝説の猛龍”に真っ向から、そして最後にして最大の“龍虎の闘い”を挑む時なのである!
“功夫巨星”よ、“天皇巨星”よ、偉大なる2人の巨星たちよ、共に永遠なれ!誠意献給一代巨星、李小龍!!

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李小龍追悼特別企画 “天皇巨星”ジミー・ウォングが“功夫巨星”ブルース・リーを語る時!①

2018-07-20 00:09:22 | 闘神伝説~李小龍

さてさて、今年も始まりました!“世紀の闘神”ブルース・リーこと李小龍の命日追悼特別企画です。
今年の追悼企画は私こと龍熱があの“天皇巨星”ジミー・ウォングこと王羽にインタビューした際、ジミーがリーさんこと李小龍について熱く語った思い出を完全再現したいと思います。
私もこれまで拙著「香港クンフー映画評論集/龍熱大全」をはじめ幾つもの媒体でジミーと邂逅を果たした際の思い出を語って来ましたが、今回は敢えてこれまで封印して来たジミーが語った数々の衝撃かつ強烈な“天皇巨星語録”もここに一挙公開したいと思います。
そう、伝説のドラゴンこと李小龍と唯一対等に位置する暗黒武打星にして“生きる伝説”ジミー・ウォングがブルース・リーを語る時、そこは威厳と戦慄を伴った巨星たちの世界となったのである!!

2003年11月。ジミー・ウォングが「東京国際ファンタスティック映画祭」での「ギロチン祭り」の特別ゲストで来日すると決まった時、私はキングレコードのYさんから当日新宿ミラノ座の舞台上に登壇し、ジミーとのトークセッションの進行役をやって欲しいと依頼されていました。
でも私はそのYさんの依頼を固辞しました。
何故なら私はその「ギロチン祭り」の翌日に某映画雑誌からの依頼でジミーとの2時間のインタビュー、さらに翌々日にはキングさんのジミー主演作品「片腕カンフー対空飛ぶギロチン」(75)など主要作品DVDの映像特典用のジミーとの4時間に及ぶタイマン・インタビューが控えていた事もあり、とても“天皇巨星”と3日連続の会見は無理だと判断したからです。
それもあって、「ギロチン祭り」当日の私は観客席から私の代理で進行役を務めた某宣伝マンとジミーのトークセッションを見守りながら、翌日の“天皇巨星”との第1戦に備えたのでした。
さて、某映画雑誌から依頼されたジミーとのインタビューでは一つ大きな課題がありました。それは当日私とインタビューに同席する編集者やライターも含めて、誰がブルース・リーについてジミーに訊くのか?でした。
何故ならジミーにとってリーさんは結果的にですが、自分を香港クンフー映画の帝王の座から蹴り落とした人物なわけで、オマケに羅維監督の日本ロケ作品「冷面虎」(73)ではリーさんが蹴った主役をジミーが無理矢理押し付けられる、という顛末もあったりで、これはどう見てもジミーがリーさんに対して良い印象を持っているわけがない、が私たちの共通した認識だったわけです。
ところが、明日にジミーとのインタビューを控えながら、誰もジミーにリーさんの質問をする人間がいないんですよ。
要するにリーさんの事を訊かれてジミーが怒り出したら嫌だとか何とかの理由で最後まで誰も質問を引き受けないので、結局私がジミーにリーさんの質問をする事になりました。
余談ですが、この時同席する某氏はジミーに渡す自分の名刺の住所を映画雑誌の編集部に変更した名刺を作っていました(オイオイ?)。

そしてインタビュー当日、遂に対面を果たした“天皇巨星”は予想よりも遥かに身長が大きく(175㎝以上はありました)、ジミーは悠然と私たちに歩み寄ると「はい、よろしく!はい、どうも!」と自分の名刺を1人1人に配り始めました。
私はちゃんと自宅の住所が入った名刺をジミーに渡し、その場でジミーから貰った名刺を見ると、そこには「王正權」とジミーの本名が記載されていました。
私はこの時ジミーから貰った名刺は今でも大切に持っています。
インタビューが始まり、各ライターや編集者がそれぞれ担当する質問をジミーに訊いていき、いよいよ私がジミーにリーさんについて訊く番がやって来ました。
勿論、当日のジミーとのインタビューで私が受け持った質問群は他にも邵氏公司時代の話題など色々あったのですが、結果としてはそれが幸いしました。
何故なら私はまずジミーの初監督作品である邵氏片「吼えろ、ドラゴン!起て、ジャガー!」(70)の質問をジミーに訊きながら、そのままさりげなく「そういえば、当時アメリカの映画館でジミーさんの「龍虎闘」を観た李小龍が香港に帰国を決意したんですよね?」と自然な形でジミーにリーさんの話題を振る事が出来たからです。
ジミーは私の“李小龍”との言葉に「ああ?李小龍?そうそう、李小龍は俺の「龍虎闘」が大ヒットしたおかげで香港に帰って来て映画を撮る事が出来たんだよ。うん!」と満足げに頷くと、さらにこう続けて語り始めました。

「李小龍とはお互いのカミさん同士が友達でな。ある時、俺が李小龍の家に遊びに行ったんだよ。カミさんたちが1階で話してる時、俺と李小龍は2階に上がって腕相撲をやったんだ。結果は3回とも李小龍がマケ!(負け。ここは何故か日本語)で、今度は李小龍が俺にキックミットを持たせて蹴るって言うんだな。その場で何発かアイツの蹴りを受けたけどかなりの衝撃だったよ」。

このジミーとリーさんの腕相撲のエピソードは完全に密室内で起きた事なので真実はジミーとリーさんの2人だけにしか分かりません。
それでも私はリーさんとジミーがこれほど親密な交流があった事が嬉しかったし、またそれをジミー本人から聞けた事に感激しました。
インタビューではジミーに「新座頭市・破れ!唐人剣」(70)で共演した勝新太郎との親交の詳細も訊いたりとそれなりに和やかな雰囲気で終わり、私と編集者たちは無事にインタビューが終わった事にホッとしながら会見場を後にしました。
しかし、私はインタビューの間、目の前のジミーが首から下げている見慣れないアクセサリーが何重にも重なったネックレスのような物が終始「ジャラ!ジャラ!」と音を発てているのが気になって仕方がなかったので、後にそれを配給元の関係者にそれとなく訊きました。
すると、関係者氏は私に向かって声を潜めて「いや、実はあれは台湾のヤ⚫ザが着けているお守りなんですよ!」と囁いたのでした。

その衝撃の事実を聞いた私が思わず「ええっ!」と絶句し、その場に立ち尽くしていると、その横を映画雑誌の編集者やライターたちが「いや~やっぱりジミーは凄い威圧感だったなぁ。あ、龍熱さんは明日もジミーとインタビューがあるんだよね。じゃあ頑張って!」と能天気に挨拶しながら立ち去っていったのでした。

既に日が暮れ、私はその場で呆然と立ち尽くしながらも、明日に迫った“暗黒武打星”ジミー・ウォングとの1対1のタイマンインタビューに挑む決死の覚悟を決めたのでした!以下、“天皇巨星”ジミー・ウォングがブルース・リーを語る時!②に続く!!

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今日は“世紀の闘神”ブルース・リーの45回目の命日です。

2018-07-20 00:08:10 | その他

さて、今年もやって来ました。そうです、リーさんこと李小龍の45回目の命日です。
今年も今頃は世界中のファンが自分たちなりの追悼の想いを込めて“世紀の闘神”の雄姿を偲んでいる事でしょう。
“世紀の闘神”の雄姿。そう、リーさんこと李小龍は確かに45年前に32歳の若さでこの世を去りました。
でもその黄金に光り輝くドラゴンの雄姿は永遠に32歳の若さのままで、決して老いる事なく、そのままの姿で、今までも、そしてこれからも私たちと共にあるのです。何と素晴らしくも絶対の真実なのでしょうか。
我が「超級龍熱」が皆さんに今回満を持してお届けする「李小龍追悼特別企画」は、その絶対的真実を私に直接教えてくれた伝説の武打星がリーさんこと李小龍を熱く語る姿を敢えて今日まで封印して来た本人の猛語録に加えて、驚愕の最新情報と共にここに再現します。
そう、その伝説の武打星こそ“世紀の闘神”李小龍と唯一対等の位置に君臨する“生きる伝説”ジミー・ウォング!!
題して「李小龍追悼特別企画」、“天皇巨星”ジミー・ウォングが“功夫巨星”ブルース・リーを語る時!
どうぞご期待下さい。誠意献給一代巨星、李小龍!!


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仰天スカイアクション&壮絶格闘アクションを観よ!トム・クルーズ主演最新作「ミッションインポッシブル:フォールアウト」来月公開!!

2018-07-19 19:00:56 | 作品レビュー

さてさて、ちょっと当ブログの特別企画の仕込みに没頭していましてご報告が遅れましたが、今週に都内某所でクリストファー・マッカリー監督、トム・クルーズ主演最新作「ミッションインポッシブル:フォールアウト」(18)の完成披露試写会&トム・クルーズ他主要キャストが登壇した来日記者会見に行って来ました。
まず「~フォールアウト」作品自体に関してですが、試写当日に配給さんから私たちマスコミにネタバレ防止も含めて作品紹介の際は細かいストーリー展開に触れる事は控えて下さいとのお達しがあったので、ここでは触れません。
ただそれでも敢えて触れますと、映画全体の7割がアクションシーンです。それもイーサン・ハントことトム・クルーズ本人がトンでもない仰天アクションに何度も挑んでいます。
そこはちゃんとトム本人がやっている事が判るようにトムの顔がハッキリ映ります(^_^;)。さらには映画の随所に登場するド迫力の格闘シーンではジャンピングアームロックやスタンディングネックロックなど、あのドニー兄貴の“MMA猛爆スタイル”を彷彿させる総合格闘技テクニックがバンバン!と盛り込まれています。
そのMMAテイスト全開の格闘シーンで、最も強烈なインパクトを観客に与えるのが映画の序盤の男子トイレ内でのトム、ヘンリー・カヴィル(スーパーマン!)、そしてリャン・ヤン(このスタントマン出身の中国系武打星、今後は要チェックかも)の三つ巴の大乱闘シーンでしょう。
ここはそれこそ説明不要、映画を観て下さい、としか言いようがない圧巻の格闘アクションです(^_^)。
映画自体も後半の一転二転、さらに三転していく目まぐるしいまでの騙し合いはそれこそイーサン・ハント並みの集中力でスクリーンを観ていないとアッサリと置いてきぼりとなる事必至です。私はこの「~フォールアウト」がシリーズのベスト作品だと思います。
また翌日のトム・クルーズ、サイモン・ペッグ、ヘンリー・カヴィル、そして監督のクリストファー・マッカリーが出席しての来日記者会見も取材して来ましたが、今回で23回目の来日となるトムは終始ご機嫌で和やかで楽しい記者会見となりました。
詳しい会見の模様はこちらをどうぞ。↓

https://eiga.com/news/20180718/13/

さあ、今回も自らが命懸けのスカイアクション&壮絶格闘アクションに挑んだトム・クルーズ主演最新作「ミッションインポッシブル:フォールアウト」は来月8月3日から公開となります!!


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龍熱が「闘道館」で世界No.1李小龍コレクター、ジェフ・チン氏と対面!

2018-07-10 18:08:57 | その他

さてさて、ちょっとご報告が遅れてしまいましたが、先週土曜に都内は「闘道館」で開催された李小龍の世界No.1コレクターであるジェフ・チンさんのトークイベントに行って来ました。皆さんもご存知のように私は昭和プロレスが大好きなので、巣鴨に移転した格闘技専門ショップ「闘道館」はそれこそ週一(っておいおい?)ぐらいで顔を出す、言わば龍熱の庭みたいな場所なんですが(^_^)、今回はさらに私がその真摯かつハイレベルなコレクター活動に一目置くカナダ人にして日本在住のコレクターであるブレット・マクファーレンさん主催のイベントである事も参戦理由の一つでした。
ほぼ満員状態で始まったブレットさん司会のジェフ・チンさんのトークイベントですが、運良く最前列中央の席(って私のチケット&席順番号は1番でした)を確保した私が真近で見たジェフさんの印象は渋い低音ボイス、温厚な雰囲気ながらことリーさんグッズの収集に関しては一切の妥協を許さない強い意志を感じさせる人でした。
イベントは会場のスクリーンに次々と映し出されるジェフさんのコレクター人生を彩った貴重なリーさんグッズの数々を楽しんだ後、ジェフさん×ブレットさんの「ドラ道」「燃えドラ」詠春アクション再現、ジェフさんへの質問コーナーに続いて、ジェフさんとのツーショット写真撮影&サイン会になりました。
ここで私は前の質問コーナーでジェフさんに浴びせられた質問が物足りなかった事もあって、壇上に上がりジェフさんとガッチリ握手を交わすと、その日会場に詰めかけたファンの誰もが予想すら出来なかった質問をジェフさんにぶつけたのでした!!
以下、その場で私とジェフさんの間で全て英語で交わされた会話をここにノーカットでお届けします。どうぞ!!

龍熱 ジェフさん、日本にようこそ!実は私とジェフさんはFacebook朋友なんです。

ジェフさん うん、知ってるよ。あとユーのチケットナンバーも1なんだよね?(笑)。

龍熱 よくご存知ですね!きっとブレットさんが教えたのかな。ところでジェフさんは「死亡遊戯」の丸太戦のフッテージは観ていますか?

ジェフさん えっ?えっと、それは「A Warriors Journey」のこと?

龍熱 いえ、新界野外ロケも含めた未編集のフッテージです。

ジェフさん あ、そうか。いや観ていないよ。でももしユーがその「死亡遊戯」のアンシーン・フッテージを観た時は真っ先に私に教えて欲しいな(笑顔)。

龍熱 分かりました(笑顔)。必ずお知らせします。

私とジェフさんがこのような熱い会話を交わした後、2人で並んでご覧のようなツーショット写真を撮り、今度はポートレートにジェフさんの直筆サインを入れて貰うサイン会になりました。
実はこのサイン会の時も、私とジェフさんは何故か「スタートレック」でミスターカトーを演じたジョージ・タケイの話や、ジェフさんが自身のコレクションルームで膨大な量のリーさん表紙本に囲まれポーズする有名な写真に関する意外な秘話を私に明かしてくれたりと様々な話題で盛り上がったのでした。
またこの時、ジェフさんの奥様から来場者全員に素敵なお土産も頂きました♪
さらに当日のイベント会場では、私も多くのリーさん信者の方々に声をかけて頂き、私も皆さんと一体何枚記念写真を撮ったか分からないほど本当に楽しい一時でした。
改めて、今回のジェフ・チンさんのトークイベント、毎年恒例になっているブレットさん所蔵の貴重なリーさんグッズを展示した素晴らしい展示会と共に、“世紀の闘神”李小龍のコレクション収集にその人生を捧げたジェフ・チンという類い稀なる人物と邂逅を果たせた事はとても有意義な事でした。ブレットさん、イベント本当に楽しかった。参加して良かったです(^_^)。
最後にジェフ・チンご夫妻、ブレット・マクファーレンさん、「闘道館」泉館長、そしてイベント会場で共に楽しい時間を過ごしたリーさん信者の皆さん、ありがとうございました。


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今日は“薄命の貴公子”傅聲の35回目の命日です。

2018-07-07 00:13:48 | その他

今年も今日という日がやって来ました。そう、今日7月7日は邵氏公司、伝説の武打星アレクサンダー・フーシェンこと傅聲の35回目の命日です。
実は最近何とも残念というか、寂しい気持ちになる事がありました。私を含めた世界中の傅聲ファンが必ずや彼のベスト3に挙げるであろう張徹監督作品「唐人街小子」(77)。
久しぶりにこの映画が観たくなった私は天映娯楽社がDVDリリースしたシンガポール公開(短縮)版こと「ヒーロー・オブ・クンフー猛龍唐人拳」ではなく、昔からコレクターの間で出回っている約2時間のノーカット英語版をDVD化(したと称する)ソフトを某海外サイトで購入しました。
本当なら20年ぐらい前に購入した同英語版のオリジナルVHSを探せば良いのですが、肝心のVHSがどの段ボールに入ったか分からない状態なのと、今回良い機会なので「唐人街~」のノーカット版DVDを購入しておこうと思ったのでした。
ところが楽しみにしているところに届いた「唐人街小子」の英語版DVDを再生すると、何とそれは英語版は英語版でも90分もないカット版バージョンだったんですね・・・。
ちょっと前に某海外メーカーからリマスターされたノーカット2時間英語版DVDがリリースされていたのは知ってはいたんですが、今回購入した英語短縮版DVDのジャケが同作品の香港公開当時の素晴らしいイラスト仕立てのオリジナルポスターを使用していた事もあって、ついそちらを購入してしまった私だったのでした。
いま海外の友人に今度こそ「唐人街小子」のノーカット2時間バージョンを送って貰うよう頼んだところですが、それでも私は敢えて声を大にして言いたいのです。
日本の傅聲ファンの皆さん、いま国内で出ている「~猛龍唐人拳」はその大幅なカット編集も含めて、本当の「唐人街小子」ではありません。殆ど別の映画になっています。
本当の「唐人街小子」のソフト、本当の傅聲主演による傑作青春武打片は2時間ノーカット英語版だけです。
エンディングも全く異なります。それゆえノーカット版を観終わった時の思わず胸が締め付けられるような切ないほどの感動も「~猛龍唐人拳」では味わえません・・・。
私は角川がこの「~猛龍唐人拳」を含めた数本の邵氏公司作品をDVDリリースする際、某映画雑誌の編集者に頼まれて角川との打ち合わせに立ち合いましたが、その席でも角川の担当者2人に上記のノーカット版と短縮版の違いをそれこそ執拗に訴えたのですが・・・。

「唐人街小子」は、私こと龍熱が邵氏兄弟公司作品にハマった直後に観た張翼主演「魔魂鈴」(68)や劉家良監督作品「陸阿采與黄飛鴻」(76)などと共に、私の胸の奥底に忘れられない感動を刻み込んでくれた思い出の作品です。
今日、この七夕の日、きっと皆さんもそれぞれが様々な傅聲主演作品を観て、傅聲の雄姿を偲ばれる事でしょう。
そしてもし出来る事なら、そう、例え数人の方でもいいんです。
どうか是非「唐人街小子」を、それもノーカット英語版でご覧になって頂きたいでのです。
私はこの「唐人街小子」を初めて観た時「ああ、もしかしたら傅聲ってこの映画の主人公と同じような感じの青年だったんじゃないかな・・・」そんな気持ちになったのを覚えています。
そしてその時にコミカルで、時に爽やかで愛くるしい笑顔と俊敏な武打テクニックを併せ持った主人公こそが、誰よりも深く傅聲を溺愛した張徹監督がその監督人生で目指し思い描いた“浪漫英雄”と言う名の理想的青年像だったのかも知れません。
“薄命の貴公子”よ、邵氏公司伝説の武打星よ、今この瞬間も七夕の夜空に美しく光り輝く星となれ!アレクサンダー・フーシェンこと傅聲、その不滅の魂よ、永遠に!!!


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闘神伝説~李小龍(108) ブルース・リーがシャロン・テートの葬儀に参列する衝撃映像発掘!!

2018-07-01 18:28:01 | 闘神伝説~李小龍

さてさて、またしても“世紀の闘神”李小龍関連の衝撃映像が発掘されました。
ハリウッドを震撼させたあのチャールズ・マンソン一家によるシャロン・テート惨殺事件。そのシャロンの葬儀の映像に何とサングラス姿で参列しているリーさんが映っていたのです!!
まずは下記のリンクから映像をご覧頂きたいのですが、ほんの僅かのカットなのでよく見ないと判り難いかも知れませんが、確かにブルース・リー本人です。間違いないです。
シャロン主演作品「サイレンサー破壊部隊」(68)でアクション指導を担当するなど、リーさんとシャロンは親しい友人でしたし、事件当日シャロンと共にマンソン一家に殺害された美容師のジェイ・セブリングはリーさんをウィリアム・ドジャーに紹介した人物でした。
それもあってか、このシャロン・テート事件とリーさんに関しては、やれマンソンとリーさんは面識があったとか、やれ事件当日はリーさんもシャロン邸に招待されていたものの、予定が入り難を逃れた等々・・・いま現在も様々な未確認情報が乱れ飛んでいます。
ただこのシャロンの葬儀に悲痛に満ち、暗く沈んだ表情で参列するリーさんの姿を通して、私は今も昔もたった1つだけ断言出来る事があります。
それはもしもリーさん、いえ格闘家ブルース・リーが事件当日にシャロン邸に居合わせたなら、無敵を誇るジークンドーの達人がマンソンたちの魔手からシャロンやセブリングを必ずや守り切っただろう、という事です。
それを思うと、このような無惨な事件が起きてしまった事が改めて残念でなりません。
そしてこの伝説のハリウッド女優シャロン・テートの葬儀映像の中にシッカリと刻み込まれたブルース・リーの姿こそが、この時既にリーさんこと李小龍が単なる一中国人俳優ではなく、立派なハリウッドの住人となっていた事を改めて証明しているのです。

 https://m.youtube.com/watch?v=rjlxdiYPLIo


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