パンと珈琲日記~整形外科じゃなくて成形~

パン焼きと珈琲を趣味とするある整形外科医の日記

シフォン・ケーキ

2010-09-06 23:13:18 | 菓子
アイスクリームを作ったので卵白があまってしまい、消費目的に久々にシフォンケーキを焼いた。最近、パンごねは餅つき機で行っているのでこのところ休業中のキッチンエイドだが、久々に卵白の泡立てに大活躍。シフォンケーキは卵黄が余ってしまうので作る機会がどうしても少なくなってしまう。余った卵黄はアングレーズソース、カスタードクリームを作ってもよいのかもしれないが、なんとなく面倒になってしまっている。でもキッチンエイドを使ってこれだけ簡単に出来るのならもう少し作ってもいいかな。



A
卵黄           6個分
牛乳           110ml
グレープシードオイル   90ml
薄力粉          120g


B
卵白           8個分
グラニュー糖       120g

卵黄に牛乳を入れてかき混ぜ、ついで油を少しずつ分離しないように加えて乳化させる。その後、2度ふるった薄力粉を加えてよくまぜる。Bでメレンゲを作り、Aに混ぜて型に流し込んで焼成180度30分。 焼成後、さかさにして冷却し、ケーブインを防ぐ。



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12 コメント

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納得 (miniko)
2010-09-07 12:16:40
通りで嫌いだとおもったよ~、シフォンケーキ。

私、卵白が嫌いなんです。

そーかー。そうだったか、、、。

ちなみに、メレンゲは絶対食べられません。
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メレンゲ (ortho)
2010-09-09 06:55:53
シフォンケーキはケーキのふりをしたメレンゲです(笑)。


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混ざればOK (miniko)
2010-09-10 12:19:14
卵白が嫌いなので、目玉焼き、ゆで卵は、卵黄だけ食べて、極力こっそり卵白は食べずに過ごして来ましたが、最近、もったいないおばけに取り付かれ、我慢して食べたりもする、ちょっと、いい人間になりました。
でも、卵料理は混ざれば大丈夫。オムレツ大好き。しかし、こちらのメニューで、Add egg whiteとかあって、オムレツに卵白だけ足すことができたりして、白っぽいオムレツや、卵白だけのオムレツを食べてる人とか時々見かけて、おえっ、と、驚いたりすることもありますが、普通に混ざれば基本OKな適当な私の味覚です。だから、これまで、シフォンケーキがメレンゲだとは気づかず、なんとなく嫌いで完全嫌いではなく、過ごして来たのだと思います。
しかし、ところで、「混ざれば大丈夫。」と、思うと、思い出す詩があります。高校生のとき教科書の片隅に、参考作品として載っていて、その詩について授業では言及しなかったので、うる覚えなんですけど、世界がミルクコーヒー色になればいいのに、、、という感じの作品で、女性の詩人の作品でした。彼女の言いたい事は、黒人も白人も黄色人種も皆混ざり合えば戦争はないのに、、、。と言う事だったと思います。ずっと、心に留まってて、でも、作家の名前や本当のフレーズは忘れてしまいました。作家に対して申し訳ない事ですが、、。
しかし、本当、混ざれば大丈夫。混ざれば卵白も無理なく食べられるわたくしです。でも、混ざっても卵白率が高くなるとだめみたいです。
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混ざる (ortho)
2010-09-10 23:08:51
その詩はたぶん茨木のり子さんの「惑星」という詩ではないでしょうか? 彼女の詩はその他、教科書には「私がいちばんきれいだったとき」という詩が載っていたように記憶しています。

以下引用

「惑星」

ひとびとは やがて
ミルク珈琲色になるだろう
黒・白・黄が 烈しくまじり
煎れたての熱いミルク珈琲の色に

言葉は いつの日にか 世界に
共通のものを編みだすだろう
母国語はそれぞれの方言となって
野の花のように なつかしまれ

血は どれだけ流せばいいのか
流産はどれだけ繰返せばいいのか
ゆっくり 廻る さびしい 惑星

ばらばらなものを 一ツにしたい
何十億も前からの 執念を軸に
猛烈な 癇癪玉まで 手に入れて

ーーーーーーーーーーーーーーー引用ここまで

「血は どれだけ流せばいいのか
流産はどれだけ繰返せばいいのか」
というフレーズにボブ・ディランの影響を感じます。また「猛烈な 癇癪玉まで 手に入れて」という強い表現から革命思想的な詩とも言えるかもしれません。実に60年代的な詩だと思います。

「混沌から(発展して)秩序へ」
「母国語は、、、なつかしまれ」
という発展的歴史観はマルクス主義、実存主義の影響を受けているものと思います。たぶん、minikoさんがこの詩が気になるのはこの詩に流れるこういった歴史観からではないでしょうか?

混ざってしまえば大丈夫、という考え方も一理ありますが、自分的にはポール・マッカートニーとスティーヴィー・ワンダーの Ebony and Ivoryのような混ざらなくても協調してやってければいいんじゃない?って考え方もいいと思います。
(白と黒の世界で黄色と茶、赤は無視されてますが、、、、)

http://www.youtube.com/watch?v=TZtiJN6yiik
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Unknown (miniko)
2010-09-16 09:13:00
詩を教えて下さりありがとうございます。
つまり、最初の4行が決定的に印象に残っていたのですね。
茨木のり子さんと知って、色々な思い出が蘇り、涙がいっぱい出ました。
自分の無知や思いやりの欠落を嘆いたりもして、そして、なんだか、やはり断然サルトルが心のよりどころだなあ、、。とも思いました。

Ebony and Ivory のように、混ざらなくても協調してやって行く事は、混ざるより能力がいるような印象を受けました。
例として、、、
せっかく、卵黄と卵白が混ざらずにも同じ卵の殻の中で協調してお互いの役割を果たしつつ生きて来たのに、私という独裁者が「うわ~、てめーら、全然違う味じゃんかよ~。卵黄は美味しいけど、卵白はなんか、ぬるんとしててきもいじゃんかよ~。」と、だだをこねている図を浮かべたり、、、。反省、、、。

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サラダボウル (ortho)
2010-09-21 06:24:44
10年以上前、アメリカにいた時、こんなことを聞きました。
昔、アメリカは「人種のるつぼ melting pot」と言っていたが、最近では様々な文化がお互い影響を与えるが、混じりあって均一なものにはならない「サラダボウル」という風に思われてきていると。
http://en.wikipedia.org/wiki/Salad_bowl_(cultural_idea)

南部にいたので北部とか西海岸のことは良くわからないのですが、自分がいた南部では人種によって住むコミュニティが違っているように思えました。
また、宗教的に熱心な人が多い土地なので色々な教会(福音派、伝道派、英国国教会、カトリック)に現地の人に連れて行ってもらいましたが、ほとんどの教会では白人、黒人だけとか人種的に均一でした。ただ、カトリックだけは違っていてアングロサクソン、ラテン、ヒスパニック、アジアン、黒人、様々な人種のるつぼという感じでした。

ある所ではサラダボウル、あるところでは、るつぼ?
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サラダボウル (miniko)
2010-09-23 10:55:01
私は今、ニューヨークに居ますが、サラダボウルという表現、実に合うと思います。

しかし、私の英語もろくなもんじゃないし、他のアメリカは知らないので、誠に残念です。

最近、卵について、ずっと考えていて、ゆで卵を食べながら、私の大好きな卵黄を、私の大嫌いな卵白が守ってる、、、。と、あらためて思い、神妙な気持ちになりました。



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アメリカは広くて (ortho)
2010-09-24 17:45:03
地方ごとに文化も少し違うし、さらに時代ごとに変化していくので「アメリカはこうだ」と決定的なことは言えないのかもしれません。自分がいたところは人種的に今のニューヨークほどバラエティに富んでいないと思うので(多分ほとんどアングロサクソン系か黒人、アジア人は少数)人種のるつぼ、サラダボウルといわれてもなんかピンと来なかったのですが、ニューヨークにいるとまた違うんでしょうね。

日本にハワイ経由で帰国したんですが、日本人がほとんどいないようなところから日本人だらけのハワイからの飛行機に乗った瞬間、同じ人種(日本人)だらけでなんとなく居心地が悪いような奇妙な感じがしました。現在のニューヨークほどではないけど、サラダボウル的な世界に慣れてしまってそれが当たり前だという感覚になっていたのかもしれません。

卵と言えば、もうアメリカでの卵のサルモネラ菌汚染、落ち着きましたでしょうか?
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サルモネラ菌汚染は、 (miniko)
2010-09-26 05:20:41
落ち着きました。
半熟、生卵系が好きなのでよかったです。
あんまり気にしてませんでしたが、何となく安心しました。
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食中毒 (ortho)
2010-09-29 22:22:24
日本に帰国してよかったなと思ったことの一つに(あくまでも比較的安全で決して安全ではないのですが、)卵の生食が出来ること。

しかし、O157にしろサルモネラ菌汚染にしろ日本でも時々問題となっていますが、アメリカの問題はスケールが違いすぎます。管理がかなりいい加減ということもあると思いますが、、、
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