パンと珈琲日記~整形外科じゃなくて成形~

パン焼きと珈琲を趣味とするある整形外科医の日記

アメリカ旅行10 砂漠から草原へ、そして湿地と森林へ

2013-05-29 23:20:32 | Weblog
オクラホマのI-40のわきに広がる草原は広くて何にもない。ところどころ風力発電のプロペラや牧場がある程度だ。少しずつ色々なものが見えてくると州都オクラホマシティだ。

先日、5月20日にトルネードの被害があったのはこのオクラホマシティの南側、I-40から10マイルも行かないところでI-35沿いの町らしい。3月は少ないとは言え、末ともなると時々トルネードが発生することもあるので旅行中は常に天気予報を気にしていた。昔はラジオしか情報源が無かったが、今はWifiがあるのでネットにつなげて天気情報をチェックできる。しかしながら、アリゾナからオクラホマまである程度の大きさの都市の近くでないと電波が入らなかったのであまり使い物にならなかった。

オクラホマシティはI-40以外にもテキサスとカンザスを結ぶI-35、テキサスとミズーリを結ぶI-44が交わる交通の要所だ。高速道路を運転中、気をつけていないと別のルートへ入ってしまう可能性がある。幸いにもこの日は復活前夜祭の休日だったので車はそれほど多くなく、思いのほかすんなりと市街地を抜けることができた。

オクラホマシティのダウンタウンエリアに入る少し前、Yukon という町でGarth Brooks Blvd. という道への標識を見た。Yukonはカントリー歌手のGarth Brooksの出身地らしい。まだ存命中のスターの名前をつけるのも日本人の感覚と離れていて面白い。



ダウンタウンではI-40にかかる面白い形をした歩道橋があった。つい最近できた歩道橋で州の鳥をかたどっているらしい。



市街地を抜けたら空軍基地があった。色々な飛行機がとまっていた。

オクラホマシティから100マイルほど東に行くとアーカンソー川にかかる橋がある。この橋は2002年、船が橋脚にぶつかって崩壊、14名が死亡した事件があった橋だ。てっきり州境の橋だと思っていたため、いつの間にか過ぎてしまった。





アーカンソー川を渡るとオクラホマやテキサスの草原とはうってかわってクリークなど湿地が広がり、木が増え、林や森が所々見えてくる。アリゾナの砂漠からテキサス、オクラホマの草原、アーカンソーの湿地と森林へ。こういった景色のダイナミックな移り変わりは車で地についた旅行をしないと味わえないのだとつくづく思う。

よく「アメリカでは~」、乱暴な表現になると「欧米では~」とヨーロッパまで一緒にして論ずる人たちがいるが、実際にアメリカ大陸横断をして(今回は半横断ぐらいだが)、景色の移り変わりを目のあたりにするとアメリカ全てを一緒にして論じてしまっていいのだろうか?と思う。一緒にするにはアメリカはあまりにも広すぎる。せいぜいできるのは自分がいた○○という所では、という表現ぐらいだろうか。



いよいよアーカンソー州に入った。この続きはまた。


日本整形外科学会 於 広島

2013-05-24 21:11:59 | Weblog
今日まで学会で広島にいました。
アメリカ旅行記はいったん中断して広島のことを書きます。

昨日、昼前ぎりぎりに学会場の広島グリーンアリーナについてランチョン・セミナーから出席しました。
講演の始まるぎりぎりについたので専門医維持のための研修単位はもらえましたが、弁当がすべて配布して無くなってしまいました、と。見るとおにぎり弁当が配布されたようです。仕方がないので講演が終わったらアリーナの売店でパンでも買おうか、でも、大人数が殺到したらすぐ売り切れるから学会場を出てどっかで食事をするか、断食するか、と思っていたら終了後、もらえなかった人たちに配布されました。広島駅弁というところの弁当でした。最初に配布したものと違いました。こっちの方が豪華。まさに残り物に福あり。あなご、蛸のやわらか煮、タコ飯、と広島ー瀬戸内名物をつめた弁当でした。



次の研修講演まで2時間ほど時間が空いたのでアリーナ近くの広島城を見に行くことにしました。山口から小学生が修学旅行に来ていました。中国地方の小学生は広島に修学旅行に行くことが多いのでしょうか。





元の広島城は原爆で破壊されてしまったのでここにあるのは戦後コンクリートで再建されたものです。長野の松本城のように木造だとよかったのに。でも、木造だと階段がどうしても狭くなるので天守閣までの登り降りが大変ですが、コンクリートだと階段が広いので楽です。

天守閣からの眺望はとてもよく、ちょっと先に原爆ドームが見えました。



たまたま入った居酒屋で夕食。本当は前に家族で旅行した時に入った「村上水軍」という店に行こうと思ったのですが、一人で行くには気が引けたし、それに高かったのでやめて気軽に行けそうだと思った居酒屋に入りました。弁兵衛という居酒屋です。

バブルの前ごろに流行った炉端焼きスタイルの店でした。
つきだしがハタハタの炉端焼きというのもいいですね。自分で焼きます。




かわはぎの刺身680円とあったので期待せずに注文したら、まさかの肝つき。もっともウマヅラハギですが、、、



アナゴの白焼き780円はやわらかくて驚き。広島のアナゴは蒸さないので固い記憶がありましたが、この数年で変わったのでしょうか。



牛煮というのもスジが煮込んであってトロトロでうまい。アメリカにいたころ広島出身の先生のお宅でスジ煮をごちそうになりましたが、懐かしいなぁ。



広島流お好み焼き(ここは風じゃなくて流なんですね)で〆ましたが、ついつい調子に乗って食べ過ぎてしまいました。

そして、、2日目、、、



次の日のランチョン・セミナーの弁当。「むさし」とかいうところのおにぎり弁当のようです。昨日のセミナーで食べられなかったところの弁当かもしれません。




2日目は空いた時間に原爆ドームと平和記念公園を見学しました。
まずは、爆心地である島外科内科へ。





ついで、原爆ドーム、平和記念公園へ。原爆の子の像、平和の泉の前で広島市内の小学校でしょうか、平和の式典?祈念?といってセレモニーをしていました。

広島以外の全国あちこちから小学生、中学生、高校生が修学旅行に来ているようで公園や記念館は子供たちでいっぱいでした。



帰りの新幹線を待つ40分ほどの間に夕食を駅の酔心という店でとりました。アナゴ寿司。これも以前食べたアナゴと違ってやわらかく煮てありました。

1泊2日の駆け足で学会出席でしたが、目標の単位もとれて、お世話になった先生と2人ほどお会いしていろいろ話もできたし、成果はまずまずといったところでした。

学会場では1.5Lペットボトルの水を持っていたので問題ありませんでしたが、いつもと違って水分補給の場所がほとんどありませんでした。ベンダーや売店もなく、ちょこっと出された水はあっという間に無くなっていました。


アメリカ旅行9 テキサスからオクラホマまで

2013-05-13 17:52:03 | Weblog


この日はテキサス州アマリロからアーカンソー州をめざしてI-40を東に進んだ。途中、オクラホマのElk Cityエルクシティという町でいったんハイウェイを降りてWalmartでペットボトルの水を購入した。昔、1990年代後半、ここ、Elk Cityのモーテルに宿泊したことがあった。当時は周りに何もないところだったが、グーグルマップを見るとWalmartなどがいつの間にかできていて発展しているようだ。気になって降りてみたが、宿泊したモーテルは(名前を覚えていなかったもあるが)どこかわからなかったし、無くなっているようだ。

オクラホマまで来たからにはOzark山地の水をということでOzarkaというブランドの水を購入した。ペットボトルがLas Vegasで購入したArrowhead water という水と同じだったので比べてみたところ、両方ともネスレのブランドだった。










時間が無かったのでWalmartの中のマクドナルドで食事を購入して車の中で走りながら食べた。日本では発売されていないマックラップというブリトーとマックバイツという一口サイズの白身魚のフライを購入した。マックラップは3ドル99セント、マックバイツは5ドル49セントだった。マックラップは予想に反してレタスとトマトと生きゅうりなどの野菜がぎっしりつまっていて思ったよりおいしかった。肉に対しての野菜の量は意外なことに日本よりも多い。日本のマクドナルドもこれくらい野菜を入れてくれたらいいのに。

マクドナルドで買い物をしていたら店員に
「アンニョン・ハセヨ」とあいさつをされた。
面喰っていると
今度は
「ニーハオ」と、、、

日本人だよ、と言ったら謝られたが、
「こんにちは」は出てこなかった。

昔は日本人が多かったためか、中国人や韓国人に間違われることは少なかった。今回、間違われてしまうのは、それだけ、この15年ほどの間に韓国人、中国人が増えてきたのかもしれない。また、観光地でも日本人らしき人たちをほとんど見かけなかったし、アメリカでは日本人は東洋系でも少数派と化しつつあるのかもしれない。少し、さみしいことだ。




ところで、アマリロ市街地を出るとテキサスのI-40の道はアリゾナやニューメキシコの荒涼とした風景とはがらりとかわってこんな感じで見渡す限り草原が続いていた。



道路わきに不意に大きな十字架が出てきた。
ここはグルームGroomいう町でこの巨大な十字架で有名な町らしい。
日本だと巨大な観音像があったりするが、そんな感じかな。



十字架だけでなくゴルゴダの丘まで作られていてたくさんの人々が集まっていた。復活祭の前日、聖土曜日なので集会を行っているのだろう。

今日はアーカンソー州モーリルトンMorriltonという町に宿をとっておいた。本当はリトルロックまで行きたかったのだが、復活祭のため宿はどこも満杯でリトルロックの手前のコンウェイでさえ予約がとれなかった。


アメリカ旅行8 テキサス・スタイル?ワッフル

2013-05-06 06:58:27 | Weblog


アマリロAmarillo, TXのモーテルの朝食のワッフル。テキサスの形のワッフルだ。材料液から自分で作る。


作り方は



材料液定量をサーバーから取って



型に流し込んで



蓋をしめて、反転させて戻してスイッチを入れる。



タイマーが働いてブザーが鳴れば出来上がり。



けっこう厚みがあって大きい。

面白がって写真を撮っていると、70才ぐらいの係のおばあさんがどこから来たの?面白い?と声をかけてきた。日本から来たことを告げたら、日本にはワッフルメーカーないの?この機械はなかなかneatでしょ、good Belgian waffle ができるのよ。アメリカを旅行してどう?と聞かれた。

う~む。ベルギーのワッフルはイーストを使っているのでこのワッフルとは違うんだけど、と心の中で思いつつ、

「日本にもワッフルの機械があると思うけど、ベルギーのワッフルじゃなくて excellent Texan waffleテキサス・ワッフルを作る機械はないよ。あと、約15年ぶりにアメリカに来たけど、何もかも大きいね」

と答えたら、

「そうでしょ。アメリカにはテキサスがあるからね!」
(テキサス = 大きいことの象徴)

とニコニコ顔で返ってきた。チェックアウトの際もフロントにたまたまいてニコニコ顔で挨拶してくれた。Texan waffleという言葉を気に入ってくれたのかもしれない。

朝食はパンとワッフル、飲み物だけでなく、サラダはなかったが、ゆで卵、スクランブルエッグ、オムレツ、ベーコン、ソーセージと結構な品ぞろえだった。



ゆで卵の黄身が日本と違って白に近い黄色だったのにちょっと驚いた。日本では黄身の色が濃くなるようにニワトリに色々食べさせているらしいが、こちらはそういう事はしないのだろう。昔、日本でも黄身はこんな色だったし、これが自然な色なのだろう。




宿泊したモーテルはComfort Suitesというなかなか快適な所だった。室内プールやジムもあるし、朝食は前述のとおり、充実していた。1990年代にはこのブランドのホテルはなかったと思う。24時間を切るとネット予約でディスカウントというシステムを利用して2クイーンサイズ+ソファベッドで一部屋、タックスも加えて108ドルという安い値段で宿泊できた。



テキサスの人たちほど自分たちのことを誇りに思っている人たちはいないと思う。

Little Texas- God blessed Texas

アメリカ旅行7  I-40こそ現代のMother Road

2013-05-01 20:21:02 | Weblog
Petrified Forest国立公園からI-40に戻って地図を広げたらI-40にRoute66が併記されていることに今回、初めて気がついた。以前、使っていた95年版の地図には併記されていなかったと思う。前回来たときには気付かなかったが、Petrified Forest国立公園のPainted desertの近くに Route66 の遺物を示す看板があった。また、Petrified Forest 国立公園周辺の旧Route66の道路脇の建物も以前とは違って街並みが統一されてきたように思う。

昔、アリゾナからニューメキシコを旅行した時にところどころHistoric Route66 の看板はあったものの古い建物と小さい博物館がちらほらある程度で街並みは統一されておらず、止まって見ようかなと思うべきものが何もなかった。知り合いのアメリカ人に「Route66の旧道を車で通り過ぎたけど何もなかったよ」と話したところ、
「そりゃ何にもないと思うよ。単なる道だからね。一部の人が懐古趣味で騒いでいるだけだから。」というような返答だった。90年代半ば、1985年にRoute66が消滅して約10年たらずの当時の大方のアメリカ人の意識はそんなものだったんだろう。日本だって昭和30年代への関心はここ5~6年のことだし、アメリカでもRoute66への関心が高まったのは90年代の終わりから21世紀になってからのようなので、地図上に標記を復活させたり、周辺を観光名所として整備するようになったのは最近なんだろう。日本だと消費活動の旺盛な団塊の世代にあたるアメリカのBaby boomersが退職を迎えて旅行に出かけるようになったというのもあるかもしれない。



ニューメキシコ州の州境を超えたらI-40をスクールバスがたくさん走っているのを見かけた。こちらは高速道路を使って遠くから通学しているんだな、と今更ながら驚いた。
本日、宿泊するモーテルへの道を確認しようとしたが、借りたwifiのつながりが悪く、昼ごはんも食べていなかったのでギャップGaullup NMでマクドナルドに入った。マクドナルドは日本と違って無料のwifiが使い放題だ。しかも、ドリンクが1ドルで全てのサイズでre-fillと最後に入れた分の持ち帰りがOKなので1ドルを払えば無料でwifiが好きなだけ使えてソフトドリンク飲み放題のネットカフェ状態という日本からは考えられない良好な環境だ。さらに、驚くべきことにドリンクのサイズもSサイズが日本のMサイズと同じぐらいだ。

自分がオーダーしたのはAngus Deluxという日本にはないハンバーガーサンドイッチ。3分の1ポンドというからクオーターパウンダーを超えた150gのパティ。味はそれほど悪くない。ここのマクドナルドには無料wifiだけでなく、室内の遊び場があって小学生中学年ぐらいの子供たちが遊んでいる。ちょうど自分の時計は14時だったので学校に行っていないのか?と思ったが、高速道路でスクールバスを見た後だったので、学校はとっくに終わっているのだろう、とぼんやり考えて気がついた。

時差だ!

アリゾナは西海岸時間でニューメキシコはマウンテンタイム(山地時間?)、ここは15時すぎだ。
しかもテキサスは中部時間でアリゾナと2時間の時差がある。
実は20時過ぎに到着すればいいかな、とアマリロに宿をとっていたが、その分でいくと22時過ぎになってしまう。

とりあえず、急がないと、、ガソリンを入れて出発することにした。
ガソリンスタンドで訛りの強い英語でヒスパニックのおじさんに
「あんたら中国人かい?来週、そこの○○教会で集まりがあるんだけど、来ない?」と声をかけられた。
急いでいるので、うちら旅行者だし、第一、日本人だし、ごめん、と言ってそそくさと出発した。






アルバカーキの手前、赤茶けた岩だらけの荒原から視界が徐々に開けてきた。その中をどこまでも続いているI-40。ただひたすら時速80マイル近く(約130km)で車をクルーズコントロールでブッ飛ばす(自分で運転してるわけではないけど)。車の衛星ラジオ(200チャンネル近くある!)をカントリーチャンネルに合わせるとなんともいい感じ。

西への旅行が多かった自分たちにとってI-40は何度お世話になったことだろう。I-40は自分たちにとってのMother Roadだ。

予定通り(?)22時20分ごろにモーテルに到着。国立公園を見て、トレイルを散策して、おまけに時間変更線を2つも超えて結構、ハードな一日でした。