パンと珈琲日記~整形外科じゃなくて成形~

パン焼きと珈琲を趣味とするある整形外科医の日記

安倍首相もこれを見て「いいとも」出演を決めた?

2014-04-05 00:45:45 | Weblog
しばらく忙しくてパン焼きはしていませんが、半年ぶりのブログ投稿です。
先日、放送を終了した「笑っていいとも」に安倍首相が出演していて思い出したことがあったので久しぶりに投稿してます。

安倍首相の「いいとも」出演を見ていて去年、アメリカでオバマ大統領が自分の誕生日にトークショーに出演していたことを思い出した。The Tonight Show といって Jay Leno というコメディアンがホストの番組だ。笑っていいとものようなコメディアンのホストがいてインタビューするコーナーがある番組なのできっと安倍首相のまわりの誰かがこれを聞いて安倍首相に出演するように促したのに違いないと思っている。




実はオバマ大統領はThe Tonight Showのライバル番組のThe Late Show with Devid Letterman にも出演している。




The Tonight Show にはブッシュ元大統領も去年、夫婦で出演しており、自分の描いた絵をJay Lenoにプレゼントするなどいい味を出している。




現役首相がバラエティ番組に出るなんてけしからん、、、なんていう批判もあるようだけど、アメリカだと大統領がバラエティ番組に当たるトークショーに出ているってことを批判する人は知っているかな?


昭和の時代、ハロウィンは万聖節と訳していたようだ

2013-10-27 07:13:30 | Weblog
アメリカ旅行記はおいておいて、、、
ハロウィンで思うところがありました。



昔、子供の頃、60年代後半から70年代前半ぐらい、アメリカに住んでいたことがあって、その時、この「奥さまは魔女」(放送年は自分がちょうどいた頃だ)のビデオのように近所の家をまわってお菓子をもらった記憶があった。楽しい思い出だ。そして90年代後半、アメリカ留学した時にハロウィンだとお菓子を用意しないといけないのか?と疑問に思って知り合いに聞いてみたが、今時、お菓子をもらいに来る子供なんていないよ。と言われてしまった。

そういえば、1992年にある日本人留学生がハロウィンの日に家を間違えて射殺され、容疑者は正当防衛で無罪の判決だった事件を思い出した。考えてみれば容赦なく銃で撃たれるような他人の家かもしれないし、危なくてお菓子をもらいに行くはずがないではないか。奥さまは魔女の時代、自分がアメリカで子供時代を過ごした時からその時で25年足らず。10年ひと昔とは言うけれど、70年代~80年代の間にアメリカは変わってしまったと思ったら、どうやら1974年、ハロウィンの日に実の子を青酸カリ入りキャンディで保険金殺人した事件があってから色々な噂が広まり(都市伝説?)、そういった習慣が徐々にすたれたようだ。

この「奥さまは魔女」の吹き替えではハロウィンを万聖節と訳していた。日本での吹き替え放送は本国での放送から少しずれて昭和40年代前半頃らしいので、当時の日本にはハロウィンという概念がなかったのだろう。考えてみればハロウィンなんて言い出したのはここ10年ぐらいのような気がする。日本ではアメリカで子供たちが近所をまわってお菓子を集める日と信じられているようだが、アメリカでも(多分、ほとんどの所で)そういう日ではなくなってしまっている。

万聖節とハロウィンは同じ日ではなくて、ハロウィンは万聖節=死者の日=Hollowmasの前夜祭Hollow Eveなんだそう。Hollow Eve がなまってHolloween ハロウィンになったらしい。で、死者の日なのでヨーロッパではお墓参りをするらしい。日本でいう所のお盆、あるいはお彼岸みたいなものらしい。万聖節が終わると冬が始まるわけで冬=死のイメージがあり、本来は冬の到来の前に死について真剣に考える日なのであろう。

伝道の書 第7章 1~2節
名声は香油にまさる。死ぬ日は生まれる日にまさる。
弔いの家に行くのは酒宴の家に行くのにまさる。そこには人皆の終りがある。


Time present and time past
Are both perhaps present in time future
And time future contained in time past.
by T.S. Eliot


ところで、医学生の頃、毎年、年によって日は違うが、10月の終わりぐらいから11月初めごろに「解剖学慰霊祭」が大学であった。解剖学実習のために献体いただいた方々の慰霊祭だ。調べてみると6月に行う所もあるが、だいたい全国で10月から11月に催されるようである。日本なのでお彼岸、お盆に行ってもいいようなものではあるが、お彼岸(3月、9月)、お盆(8月)、盂蘭盆(7月)に行う所は無いようだ。万聖節=死者の日=Hollowmas に近いことからキリスト教文化が関係しているのかもしれない。


アメリカ旅行記16 パンケーキ自動製造機

2013-09-16 08:00:04 | Weblog
ホリデイインエクスプレス・リトルロック Holiday Inn Express Little Rock Westの朝食はモーテルなのにベーコン、ソーセージ、スクランブルエッグ、ゆで卵、そして南部お約束のビスケットとグレービーまでついてくるなど豪華だ。ただ、野菜は無い。



カウンターに大きな機械が鎮座していた。パンケーキ自動製造機らしい。丁度、タネが無くなって交換するところだったので給仕のお姉さんが中を見せてくれた。



タネはこんな感じでパックを交換するだけ衛生的にできている。



中はベルトコンベヤーがあってタネがそこを動くときに加熱され、焼きあがるという仕組みだ。このお姉さんは南部の人らしくとてもフレンドリーで機械を開けたままで焼く仕組みを見せてくれた。



スイッチを入れると一定量の種がベルトコンベヤーの上に出てくる。



上下に加熱プレートがあって上下ともやや押しつけられるように加熱される。



最後はこんな感じで出てくる。パンケーキとしてはぺったんこでフワフワ感がもう少しほしいところだが、機械の中で押し付けられて加熱されるので熱効率を考えると押し付けざるを得ず、仕方がないのかもしれない。



お皿の位置をセットするのが難しく、お皿から飛び出してしまうこともしばしば。



アメリカ旅行記15 I wished I could sleep like a little rock.

2013-09-15 15:50:07 | Weblog
リトルロックで宿泊したホリデイインエクスプレスはこんな感じで部屋が広くて快適だ。しかし、睡眠不足。

睡眠不足の原因は久しぶりのリトルロックだからでなくて:

以前、某国際学会紙に投稿した論文が紙での出版は12月だけど電子版が間もなく掲載されるよ、とのメールをリトルロックに来る途中、雑誌から受け取った。その後、車の中でもホテルでも暇があれば掲載まだかまだか、としょっちゅう確認していた。リトルロックに到着して論文が掲載されたのを確認して、「とうとう、掲載されたよ!」とあちこちに自慢メールを打っているうちに興奮して眠れなくなってしまった。論文が掲載されたのは、それなりに名の通った一流雑誌。基礎研究をしていた時でもこれだけの雑誌に論文が掲載されたことが無かったので有頂天になってしまった。

実はこの雑誌の電子版はAKB総選挙みたいに読まれた論文のランキングを発表していてこの5月から9月現在まで自分の論文のランキングは全世界(!)で2~3位の間をうろちょろしている。残念ながら1位にはなれないようだ。センターにはなれないAKBのメンバーみたいなもんか(誰だ?)。同じ整形外科医でも山中先生みたいにノーベル賞はもらえず、教授はおろか、この分野ならあの先生みたいなスター医者にはなれなかったし、それどころか勤務していた病院が身売りされることになって新しい経営者に反発して無床診療所(町医者)に転職した自分の人生を象徴しているのかもしれない。まあ、それでも日本の有名な先生方連名の論文をおさえて世界ランキング最高2位だからいいか(笑)。くしくも勤務していた病院は3月31日付で退職で掲載のメールはその日にもらった。というわけで、そんなこんなで興奮してこれが寝られずにいれようか状態だった。


アメリカ旅行記14 ピナクルマウンテン州立公園 Pinnacle Mountain State Park

2013-09-05 00:34:20 | Weblog


翌日、妻の恩師の先生方とピナクルマウンテン州立公園へ行った。このピナクルマウンテンは小一時間あれば、登って降りてこれるぐらいの高さなのでリトルロックにいた頃、よく登った山だ。懐かしい。

先生はピクニックのランチに Petit Jean Ham というアーカンソーでは有名なブランドのハムでサンドイッチを作ってくれた。昔、アメリカにいた頃はそれほどおいしい、とは思えなかったが、あらためて食べてみるとおいしかった。昔と比べて味がよくなったのか、雰囲気がなせるわざなのか。

ランチを食べ終わって、どうしても山に登りたくなった。子供たちにも頂上の風景、Ozarkの風景を見せたかった。みんなで登ることにしたが、先生方は膝が痛くなって途中でリタイヤ。15年前は暇があると登ると先生方はおっしゃってたし、まだ40代後半なのに、、時が否応なくたってしまったことを思い知らされた。気を遣っていただいて無理をさせてしまって申し訳なく感じた。



頂上に近づくとガレキのような岩だらけで足場が不安定になるが、4歳の娘はこんなところでも手をつないでやると面白いようにひょいひょい登っていく。他の子供たちも周りの風景を見ながら山登りを本当に楽しんでいる。



子供たちは頂上で歓声をあげた。向こうにアーカンソー川が見える。これこそまさにOzarkの風景。アーカンソー州がNatural Stateと呼ばれるゆえんだ。先生方には申し訳なかったが、子供たちを登らせてあげてよかった。そして、今、考えてみれば、これが一家で初めて頂上まで登った山だった。



帰り道、昔、ホンダのディーラーだった自動車屋がいつの間にか韓国の起亜自動車のディーラ―に変わってしまったことに気が付いた。90年代、トヨタのカムリかホンダのアコードが売り上げ台数1,2位を争っていたが、それも今は昔か。一抹のさみしさを感じる。


アメリカ旅行11 えっ! トルネード?

2013-08-25 10:19:45 | Weblog
病院を退職して無床診療所で働きだしてから(いわゆる町医者です)いろいろ忙しくて3か月間もブログの更新ができませんでした。すみません。

それでは、アメリカ旅行記の続きを、、、

Arkansasの風景はArizonaの荒涼とした風景、TexasやOklahomaのひろがる草原とちがって森や林など広がり、日本の東北道などの風景を思わせる。

ArizonaからTexas、Oklahomaまでつながりの悪かったモバイルWifiの電波がArkansasに入ったとたん、つながりやすくなった。アーカンソー州は携帯電話の電波局が他の州に比べて整備されているのだろうか。これも90年代にインターネットの整備を一生懸命推進していたクリントンやゴアのおかげなのだろうか。

てなことを思っていると前方に怪しい雲のようなものを発見。



えっ、トルネード?????????????

今年5月下旬、Oklahoma City近郊でトルネードの被害があって大勢の方々が被害にあわれたが、Arkansas、Oklahoma、Texasはトルネードの来襲が春から夏にかけて多いところだ。3月の下旬にトルネードが発生することはまれではない。



幸い(?)、Wifiがつながっているためネットで見たが、トルネード発生の警報は無かった。Google mapでチェックするとこの怪しい雲のようなものはどうもアーカンソー川の近く、Russelvilleという町あたりから発生しているらしい。





黒い回転するような積乱雲、いわゆるスーパーセルがトルネードにしてはない。また警報が出ていないので工場の煙だろうと結論してよく見たら原発から出ている水蒸気だった。

やれやれ。

Russelville Arkansasには原発があってArkansasだけでなく、南部の諸州に電気を供給している。実はこの翌日、この原発のメンテナンス中に発電機が落下するという事故があった。幸いなことに放射能漏れは無かったが、たまたま発電機の下にいた人が亡くなったらしい。

Morilton ArkansasのSuper8モーテルには19時ごろ到着。明日はリトルロックへ。


アメリカ旅行10 砂漠から草原へ、そして湿地と森林へ

2013-05-29 23:20:32 | Weblog
オクラホマのI-40のわきに広がる草原は広くて何にもない。ところどころ風力発電のプロペラや牧場がある程度だ。少しずつ色々なものが見えてくると州都オクラホマシティだ。

先日、5月20日にトルネードの被害があったのはこのオクラホマシティの南側、I-40から10マイルも行かないところでI-35沿いの町らしい。3月は少ないとは言え、末ともなると時々トルネードが発生することもあるので旅行中は常に天気予報を気にしていた。昔はラジオしか情報源が無かったが、今はWifiがあるのでネットにつなげて天気情報をチェックできる。しかしながら、アリゾナからオクラホマまである程度の大きさの都市の近くでないと電波が入らなかったのであまり使い物にならなかった。

オクラホマシティはI-40以外にもテキサスとカンザスを結ぶI-35、テキサスとミズーリを結ぶI-44が交わる交通の要所だ。高速道路を運転中、気をつけていないと別のルートへ入ってしまう可能性がある。幸いにもこの日は復活前夜祭の休日だったので車はそれほど多くなく、思いのほかすんなりと市街地を抜けることができた。

オクラホマシティのダウンタウンエリアに入る少し前、Yukon という町でGarth Brooks Blvd. という道への標識を見た。Yukonはカントリー歌手のGarth Brooksの出身地らしい。まだ存命中のスターの名前をつけるのも日本人の感覚と離れていて面白い。



ダウンタウンではI-40にかかる面白い形をした歩道橋があった。つい最近できた歩道橋で州の鳥をかたどっているらしい。



市街地を抜けたら空軍基地があった。色々な飛行機がとまっていた。

オクラホマシティから100マイルほど東に行くとアーカンソー川にかかる橋がある。この橋は2002年、船が橋脚にぶつかって崩壊、14名が死亡した事件があった橋だ。てっきり州境の橋だと思っていたため、いつの間にか過ぎてしまった。





アーカンソー川を渡るとオクラホマやテキサスの草原とはうってかわってクリークなど湿地が広がり、木が増え、林や森が所々見えてくる。アリゾナの砂漠からテキサス、オクラホマの草原、アーカンソーの湿地と森林へ。こういった景色のダイナミックな移り変わりは車で地についた旅行をしないと味わえないのだとつくづく思う。

よく「アメリカでは~」、乱暴な表現になると「欧米では~」とヨーロッパまで一緒にして論ずる人たちがいるが、実際にアメリカ大陸横断をして(今回は半横断ぐらいだが)、景色の移り変わりを目のあたりにするとアメリカ全てを一緒にして論じてしまっていいのだろうか?と思う。一緒にするにはアメリカはあまりにも広すぎる。せいぜいできるのは自分がいた○○という所では、という表現ぐらいだろうか。



いよいよアーカンソー州に入った。この続きはまた。


日本整形外科学会 於 広島

2013-05-24 21:11:59 | Weblog
今日まで学会で広島にいました。
アメリカ旅行記はいったん中断して広島のことを書きます。

昨日、昼前ぎりぎりに学会場の広島グリーンアリーナについてランチョン・セミナーから出席しました。
講演の始まるぎりぎりについたので専門医維持のための研修単位はもらえましたが、弁当がすべて配布して無くなってしまいました、と。見るとおにぎり弁当が配布されたようです。仕方がないので講演が終わったらアリーナの売店でパンでも買おうか、でも、大人数が殺到したらすぐ売り切れるから学会場を出てどっかで食事をするか、断食するか、と思っていたら終了後、もらえなかった人たちに配布されました。広島駅弁というところの弁当でした。最初に配布したものと違いました。こっちの方が豪華。まさに残り物に福あり。あなご、蛸のやわらか煮、タコ飯、と広島ー瀬戸内名物をつめた弁当でした。



次の研修講演まで2時間ほど時間が空いたのでアリーナ近くの広島城を見に行くことにしました。山口から小学生が修学旅行に来ていました。中国地方の小学生は広島に修学旅行に行くことが多いのでしょうか。





元の広島城は原爆で破壊されてしまったのでここにあるのは戦後コンクリートで再建されたものです。長野の松本城のように木造だとよかったのに。でも、木造だと階段がどうしても狭くなるので天守閣までの登り降りが大変ですが、コンクリートだと階段が広いので楽です。

天守閣からの眺望はとてもよく、ちょっと先に原爆ドームが見えました。



たまたま入った居酒屋で夕食。本当は前に家族で旅行した時に入った「村上水軍」という店に行こうと思ったのですが、一人で行くには気が引けたし、それに高かったのでやめて気軽に行けそうだと思った居酒屋に入りました。弁兵衛という居酒屋です。

バブルの前ごろに流行った炉端焼きスタイルの店でした。
つきだしがハタハタの炉端焼きというのもいいですね。自分で焼きます。




かわはぎの刺身680円とあったので期待せずに注文したら、まさかの肝つき。もっともウマヅラハギですが、、、



アナゴの白焼き780円はやわらかくて驚き。広島のアナゴは蒸さないので固い記憶がありましたが、この数年で変わったのでしょうか。



牛煮というのもスジが煮込んであってトロトロでうまい。アメリカにいたころ広島出身の先生のお宅でスジ煮をごちそうになりましたが、懐かしいなぁ。



広島流お好み焼き(ここは風じゃなくて流なんですね)で〆ましたが、ついつい調子に乗って食べ過ぎてしまいました。

そして、、2日目、、、



次の日のランチョン・セミナーの弁当。「むさし」とかいうところのおにぎり弁当のようです。昨日のセミナーで食べられなかったところの弁当かもしれません。




2日目は空いた時間に原爆ドームと平和記念公園を見学しました。
まずは、爆心地である島外科内科へ。





ついで、原爆ドーム、平和記念公園へ。原爆の子の像、平和の泉の前で広島市内の小学校でしょうか、平和の式典?祈念?といってセレモニーをしていました。

広島以外の全国あちこちから小学生、中学生、高校生が修学旅行に来ているようで公園や記念館は子供たちでいっぱいでした。



帰りの新幹線を待つ40分ほどの間に夕食を駅の酔心という店でとりました。アナゴ寿司。これも以前食べたアナゴと違ってやわらかく煮てありました。

1泊2日の駆け足で学会出席でしたが、目標の単位もとれて、お世話になった先生と2人ほどお会いしていろいろ話もできたし、成果はまずまずといったところでした。

学会場では1.5Lペットボトルの水を持っていたので問題ありませんでしたが、いつもと違って水分補給の場所がほとんどありませんでした。ベンダーや売店もなく、ちょこっと出された水はあっという間に無くなっていました。


アメリカ旅行9 テキサスからオクラホマまで

2013-05-13 17:52:03 | Weblog


この日はテキサス州アマリロからアーカンソー州をめざしてI-40を東に進んだ。途中、オクラホマのElk Cityエルクシティという町でいったんハイウェイを降りてWalmartでペットボトルの水を購入した。昔、1990年代後半、ここ、Elk Cityのモーテルに宿泊したことがあった。当時は周りに何もないところだったが、グーグルマップを見るとWalmartなどがいつの間にかできていて発展しているようだ。気になって降りてみたが、宿泊したモーテルは(名前を覚えていなかったもあるが)どこかわからなかったし、無くなっているようだ。

オクラホマまで来たからにはOzark山地の水をということでOzarkaというブランドの水を購入した。ペットボトルがLas Vegasで購入したArrowhead water という水と同じだったので比べてみたところ、両方ともネスレのブランドだった。










時間が無かったのでWalmartの中のマクドナルドで食事を購入して車の中で走りながら食べた。日本では発売されていないマックラップというブリトーとマックバイツという一口サイズの白身魚のフライを購入した。マックラップは3ドル99セント、マックバイツは5ドル49セントだった。マックラップは予想に反してレタスとトマトと生きゅうりなどの野菜がぎっしりつまっていて思ったよりおいしかった。肉に対しての野菜の量は意外なことに日本よりも多い。日本のマクドナルドもこれくらい野菜を入れてくれたらいいのに。

マクドナルドで買い物をしていたら店員に
「アンニョン・ハセヨ」とあいさつをされた。
面喰っていると
今度は
「ニーハオ」と、、、

日本人だよ、と言ったら謝られたが、
「こんにちは」は出てこなかった。

昔は日本人が多かったためか、中国人や韓国人に間違われることは少なかった。今回、間違われてしまうのは、それだけ、この15年ほどの間に韓国人、中国人が増えてきたのかもしれない。また、観光地でも日本人らしき人たちをほとんど見かけなかったし、アメリカでは日本人は東洋系でも少数派と化しつつあるのかもしれない。少し、さみしいことだ。




ところで、アマリロ市街地を出るとテキサスのI-40の道はアリゾナやニューメキシコの荒涼とした風景とはがらりとかわってこんな感じで見渡す限り草原が続いていた。



道路わきに不意に大きな十字架が出てきた。
ここはグルームGroomいう町でこの巨大な十字架で有名な町らしい。
日本だと巨大な観音像があったりするが、そんな感じかな。



十字架だけでなくゴルゴダの丘まで作られていてたくさんの人々が集まっていた。復活祭の前日、聖土曜日なので集会を行っているのだろう。

今日はアーカンソー州モーリルトンMorriltonという町に宿をとっておいた。本当はリトルロックまで行きたかったのだが、復活祭のため宿はどこも満杯でリトルロックの手前のコンウェイでさえ予約がとれなかった。


アメリカ旅行8 テキサス・スタイル?ワッフル

2013-05-06 06:58:27 | Weblog


アマリロAmarillo, TXのモーテルの朝食のワッフル。テキサスの形のワッフルだ。材料液から自分で作る。


作り方は



材料液定量をサーバーから取って



型に流し込んで



蓋をしめて、反転させて戻してスイッチを入れる。



タイマーが働いてブザーが鳴れば出来上がり。



けっこう厚みがあって大きい。

面白がって写真を撮っていると、70才ぐらいの係のおばあさんがどこから来たの?面白い?と声をかけてきた。日本から来たことを告げたら、日本にはワッフルメーカーないの?この機械はなかなかneatでしょ、good Belgian waffle ができるのよ。アメリカを旅行してどう?と聞かれた。

う~む。ベルギーのワッフルはイーストを使っているのでこのワッフルとは違うんだけど、と心の中で思いつつ、

「日本にもワッフルの機械があると思うけど、ベルギーのワッフルじゃなくて excellent Texan waffleテキサス・ワッフルを作る機械はないよ。あと、約15年ぶりにアメリカに来たけど、何もかも大きいね」

と答えたら、

「そうでしょ。アメリカにはテキサスがあるからね!」
(テキサス = 大きいことの象徴)

とニコニコ顔で返ってきた。チェックアウトの際もフロントにたまたまいてニコニコ顔で挨拶してくれた。Texan waffleという言葉を気に入ってくれたのかもしれない。

朝食はパンとワッフル、飲み物だけでなく、サラダはなかったが、ゆで卵、スクランブルエッグ、オムレツ、ベーコン、ソーセージと結構な品ぞろえだった。



ゆで卵の黄身が日本と違って白に近い黄色だったのにちょっと驚いた。日本では黄身の色が濃くなるようにニワトリに色々食べさせているらしいが、こちらはそういう事はしないのだろう。昔、日本でも黄身はこんな色だったし、これが自然な色なのだろう。




宿泊したモーテルはComfort Suitesというなかなか快適な所だった。室内プールやジムもあるし、朝食は前述のとおり、充実していた。1990年代にはこのブランドのホテルはなかったと思う。24時間を切るとネット予約でディスカウントというシステムを利用して2クイーンサイズ+ソファベッドで一部屋、タックスも加えて108ドルという安い値段で宿泊できた。



テキサスの人たちほど自分たちのことを誇りに思っている人たちはいないと思う。

Little Texas- God blessed Texas