磐梯山 猪苗代湖を見たくて会津からは高速に乗る。 地図ではさほど離れていないようだったけれど 思ったより時間がかかった。 猪苗代湖から隧道を通って飯盛山に忍び込んだ白虎隊は大変だったろうな
磐梯山はどんな山だろう? 形 様子 名前だけは知っているけれど見たことのない山にどきどきしながら進む。 見えない 磐梯山SAに来てもさっぱり見えない。 なぁんだ
猪苗代湖は広い東北地方では最大 国内でも4番目というから当然だけれど 猪苗代湖の何処に行ったら良いのやらさっぱりわからない。 とりあえず 猪苗代磐梯高原インターで降りよう。
少し先に猪苗代湖が見える。 うろうろしていたら目についたのが野口英世記念館「ここにしよっ!」 磐梯山も猪苗代湖も全然関係ないじゃん。
20年も前だったろうか? 高校の先輩の初監督映画と言うことで 「遠き落日」という映画を見たことがある。
人間野口英世を描いた作品だった。 子どもの頃から野口英世は偉人以外の何者でもなかった。 小さいときにいろりでやけどをして手がくっついてしまった。それを会津若松の病院で手術してもらって 医学のすばらしさに目覚め 猛勉強をして医者になり アフリカに渡って黄熱病の研究をし 自らその病気にかかってしまって最期を遂げた。
そんな風に教わっていたので この映画を見た後野口英世を見る目が変わり なんだか胸に鉛を詰めたような思いで帰った。
野口英世の嫌な面がいっぱい描かれた作品なのに それを隠さないで記念館を作っている会津の人が不思議に見えた。 人間野口英世だもの 誰でも嫌な面あるでしょ? そんなところなのだろうか?
奥の茶色い建物は旧馬場家住宅 手前の白い建物は旧佐々木家住宅 源の世ロトもと会津に入った佐原十郎義連の家臣 栗原小太郎から37代続いた名家だそうだ。 目地時代には村役場として使われ吹き抜けは天井は総欅造りで三階は隠れ部屋になっているそうな。
そうは思えないぐらいの こじんまりした建物だった。遠き落日では撮影に使われたらしいけれどあまり記憶にない。
こうしてみると確かに立派です。 小さいけれど重厚な感じもします。
会津の産業の一つろうそく 江戸時代6割は会津のろうそくだったというからかなりのものだね。 綺麗な花が書かれた蝋燭をお土産でも売っていた。
元々は鶴が城内に安置されていた子安観世音大菩薩 戊辰戦争の時に場内より運びだされ 市内加藤氏の家の井戸端に置かれていたので戦禍を免れたと言うもので三代守ってきたものを今ここに移してあるのだそうだ。
300年ほど前に建てられた中流農民の家。
上に大きな屋根の笠が作ってあるのでなんだかおかしいけれど 確かに貧しそう。 手前は家畜小屋なので 暮らすところはひどく狭い。
赤ちゃんだった清作が 落ちたいろりはとても小さかった。 炉の大きさも生活レベルに比例するのだろうか? 後ろには生活するのがやっとのような部屋がついていて
父親が飲んだくれで 博打好きでなかったら もう少し良い生活をしていたかもしれないけれど。。。
父親の生活ぶりを見ていて母親の苦労も身にしみていたはずなのに 彼もやはりお金にだらしがなく みんなに借金をしては 飲んだり 芸者遊びにうつつを抜かしていたという事実。
本当なら 人間だもの そんな弱いところもあるわさと思いたいのだけれど 子どもの頃にたぶん初めて知った偉人の裏の顔に なんだか重い気持ちになる。 しかし成し遂げた偉業は確かで(蛇毒の研究者と知っている人はあまりないのではないか? 黄熱病があまりに有名だからね) 色んな気持ちが入り交じって 外に出る。
さっきまでさっぱり見えなかった磐梯山の山頂が顔を出していた。 思ったより優しい表情の山は 人間の裏表を受け入れるようにと 私を慰めているように思えた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます