インド映画にハマった友人が「やっぱり日本語字幕で観たい」と言うので、なぜそこでインドの言葉を勉強しよう、とならないのか尋ねたら、そこまでの気はないって。私なら、迷わず自分が言葉を分かるようになりたいと思うしそのほうが早いと思うのだが、なんか、積年の疑問が解けた気がしたよ(続く)
つまり、人それぞれの尺度ってこと。言葉を学ぶところから始めようと思わないからといって、決して情熱が薄いわけではないのだ。自分がそうだからといって、他人も「好き」な気持ちは同じなのだ。ただ単に方法が違うだけで、どっちの熱が高いか、とかそういうことではないのだ。
まぁでも、気に入った外国語作品をより理解するためにその外国語を学ぶところから始める人というのは少数派なんだろうな。。。私は、好きな作品だからこそ、字幕のフィルターを通したくないんだけど、好きな作品だからこそ、フィルターがかかっても素直に楽しみたいという人もいるんだろうな。
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