三昧日記

小心者川筋男の後悔日誌

7キロウォーキング

2023-12-04 05:47:23 | 日記
地元の生協が主催するウォーキングにきのう参加しました。当地の海岸沿いの道を往復するものです。
9時出発。地元の幼稚園児が演奏する「ミーキーマウスマーチ」を鑑賞した後歩き始めました。
海岸沿いをひたすら歩きます。

総合公園なる場所を通ったとき,植え込みの中にたくさんのどんぐりが落ちているのを発見。これが山にあれば熊も里に出て来ないで済むのではないか?

と思ったものです。もっとも,当地には熊は棲息していません。
しかし,妙なことに気づきました。それはどんぐりの木が見当たらないのです。どんぐりの木がないのに実が,それもたくさん落ちているということは誰かがここに撒いたものかもしれません。もしそうだとしたら,なぜそんなことをするのだろうか?それもこんな場所に。

さらに歩き続けると河口に到達。はるか南の方角には故郷の霊峰英彦山が望まれました。

上の写真の中央はるか遠方です。そうそう,この川もその源流は英彦山系にあります。

橋を渡ってその川沿いを河口に向かって歩きます。
鯨塚という石碑がありました。

そのそばに立っている説明文によると‥‥

 明治36(1903)年2月18日,沓尾(くつお)と簑島(みのしま)の間の海辺に
体長 16m 余りの鯨が現れました。鯨は長井浜沖へ移動した
ので沓尾,簑島,長井の三者で所有権をめぐって喧嘩となり
ました。結局,沓尾が雇った銛師(もりし)が鯨漁の権利を待っていた
ので鯨を追跡し一番銛を打ちました。鯨は暴れながら逃げ始
め大分県姫島から豊後水道の方まで移動しました。2日がか
りの死闘の末,沓尾の漁師たちは2月28日に鯨を仕留め稲
童(いなどう)の濱に引き揚げました。鯨を一目見ようと北九州,筑豊,
大分から見物人が押し寄せ1人15銭の観覧料の売り上げが
470円余りにもなったといいます。鯨はその後850円で加
工業者に売られました(当時の1円は今の2万円相当)。
 沓尾浦の漁師たちは大きな利益をもたらしてくれた鯨に
感謝し,鯨の霊を弔うために「鯨塚」を建てました。

とのことです。一部意味不明の表現がありますが,原文のまま転記しました。(括弧内の読み仮名はわたしが追記したもの。)

折り返し点からの帰り道,神社の前で地元の人が何やら解説していました。それによると,この神社の狛犬の姿が珍しいとのことです。

見ると,なるほどお尻を高く持ち上げています。
10時半頃出発点に戻りました。
以上

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