甲州街道‐穴山駅→韮崎駅の川沿い‐7月11日(月)

2011-07-12 13:24:59 | 甲州街道
夏本番になったので、街道歩きに行った。
この区間は前に歩いているが違う道を歩いた。


うれしい夏の到来だ。



穴山橋から釜無川上流方向。
八ヶ岳と右側に見える川が削った崖(七里岩)がいい景色だ。
水がきれいで、アユ釣り客もたくさん来ていた。

下流方向。


一休み、日陰でなくても風が涼しい。


川の左岸の先ほどの崖。


左の丘の麓が韮崎市街。




江戸時代に釜無川から引かれた灌漑用水である徳島堰、水量が豊富で見ていると
引き込まれそうな気がする。今日の歩きは半分がこの用水沿いだった。

ところどころにこういう洗い場のようなものがある、今も使われているのだろう
か、危ないような気もするが。




釜無川の向こう、左岸の丘、一昨年はこの上にある、川氾濫時の脇道である蔦木道
を歩いた。今回は甲州道中の本道を歩く。


釜無川の谷は絶好の水田地帯。


どういう訳か韮崎には古い家を見かけない、この家は貫禄があった。


川の右岸の丘(山)から流れて来る沢、上の方で崩落が起きている。
こういう沢がたくさんそそぎ込んでいる、大雨の時はすごい勢いなのだろうと思う。


この橋(桐沢橋)で左岸に渡る。この丘の上に悲劇の新府城があった、こちら側
からは登る道はなさそう、蔦木道側からはたやすく行ける。


この橋から見た上流。

下流、ここにもアユ釣り客がつめかけている。

右岸側の丘と山、このあたりは結構狭い谷になっている。




左岸の集落から見ると崖が高くてこわいように感じる。




この集落には古い門がいくつかあった。家の方は新築されていた。


右岸側のいかにも夏という景色。


丘の上の東京エレクトロンの事業所。現役時代、お得意さんだった。
一昨年には前を通った。




韮崎駅近く、金網は張ってあるが、よくもまあこんなに危ない場所に
住めるとびっくり。

今日で出会った道祖神はじめ石神、石仏達。










今年も父が好きだったノウゼンカズラがあちこちに美しく咲いていた。









韮崎駅に到着、駅からの景色。

まだ時間が早かったので、甲府で途中下車して、武田神社(武田信玄の
つつじヶ崎館跡)にお参りした。



高校生が来ていて、にぎやかで、おもしろかった。





館の堀の跡。

館の井戸の一つ、ここは現在も使われていた。

城下町が一望できる場所にあって、背後は山だ。周りには家臣が住んでいて
まさに「人は城、人は石垣、---」だ。勝頼はなぜここを捨てて、新府城
を建設して移ったのだろうか。家臣団の寝返り、離反が続いたからだろうか。
そういうことを思いながら神社を後にした。
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