中山道8月3日(火)・4日(水)

2010-08-07 12:23:59 | 中山道
8月3日から2泊3日で、久しぶりに温泉も兼ねて、中山道歩きを再開した。
2009年8月12日(水)に和田峠の登山口まで行き、ヒッチハイクで帰るはめになってしまって
から、1年ぶりだ。
3日は昼過ぎの到着だったので、旅館に荷物を預けて、下諏訪宿をゆっくり見物して、塩尻峠
の登り口付近まで行った。
4日は昨年到着していた登山口(男女倉口)から和田峠(古峠)を越えて、木落し坂を見て、
町なかを通り抜けて、秋宮の隣の旅館に帰った。

二日間で、和田峠登り口→和田峠、下諏訪宿→塩尻峠登り口と歩いた。


ここが和田峠(古峠)への登り口、昨年8月にここまで来た。
昨年5月に碓氷峠を越える時にハイキングコースを歩くという軽い気持ちで行って、ひざ、特
に右ひざを痛めて、いまだに完治していない。
そのためもあって、今回は慎重に準備をしてやって来た。1、くつはくるぶしまでカバーする
ハイキングシューズにした。2、若い友人に薦められたトレッキングポール(杖)を2本組で使う
ようになった。3、これまた教えてもらって、ハイキングでは歩くペースを日常の時速5㎞より
ゆっくりにして、小幅にちょこまか歩くことにした。4、熊よけの鈴を用意した。
これが碓氷峠の時から進歩した点だ。

構えた割には、碓氷峠と比べて、地元の長和町がコースの整備に力を入れており、歩き易
かった。また、コース案内標識も分かり易かった。

ハイキングコースが国道と交差する所に復元されている江戸の豪商が寄付した休憩所。
ずいぶん立派だ。ここで、車で来て、タンクに水を汲んでいた人に、「ハイキングコースを
歩いてみようと思っているが、歩き易いですか」と聞かれたので、「町が良く整備して、いい
コースです」と答えたら、長和町の住人だったらしく、よろこんでいた。

小川が流れていて、涼しい(上下の写真)。



一里塚跡もきれいに保存されている。

和田峠(古峠)に到着。







以上、峠の景色、誰も居ない。標高1600mとのことで、五街道の中の最高地点とのこと。

下っていく途中にあった石垣の跡、名主の発案で寄付等で作られた待避トンネルのような
ものの跡。馬や人が雪や雨や風を避けて、休憩出来るように、両側に石垣を作って、屋根を
乗せて、50mぐらいの長さがあったらしい。
この道は現在の中央高速道みたいなものだから、日常の整備に人足として、かりだされる
村人が大勢居て大変な作業だったのだろう。とくに雪かきが大変だったらしい。
今はハイキングコースとしても、この付近は見る影もないが、当時は立派な「国道}だった
はずだ。

峠を越えた後は下諏訪町になる。案内柱は多くて、迷うことはなかったが、道の整備は
ほとんどされていない。急な曲がりくねった下り道で、雨のときは川になるらしく、幅1m
以下のU字にけずれた道が多い。おまけに岩がごろごろしている。豪雨からは大分たって
いるが、水が流れている道もある。くるぶしまであるハイキングシューズが心強い味方と
なった。そしてやっと昔の茶屋の跡に出た。

木落し坂の上にある築山、松が立派で、しめ縄が張ってある(上下の写真)。







その横が広場になっていて、ここから滑り落とすらしい。今年は7年に1度のお祭りの年だった
ので、なんどもテレビに出てきた(上の3枚の写真)。

下の道路から見上げる。

この水力発電所はずいぶん歴史がある。しかし、現役でがんばっている。

山の神社、山全体が神様として、崇められているようだ。
妙見大菩薩の石柱等いろいろな石柱の神様が居られる御神域のようだ。
町でたまたま聞いたら、1月17日に諏訪地方の伝統行事として「山の神祭り」が、1年間の
無病息災を願って行われるとのことだ。その時、恵方に向けて、数本の矢を放つ行事をする。
放った矢と弓を持ち帰って、玄関に飾って、魔除けにする(弓矢は各家庭の手作り)。
町内のいくつかの神社で行われるらしい。

この神社の小さなお社にも御柱が4本立っていた。

諏訪大社下社春宮、立派な神社だ。この建物の奥に拝殿があり、その奥に本殿がある。
例によって、本殿は見れない。

拝殿。

大木だ、ケヤキかなー。



下馬橋、今は川は埋め立てられて、流れていない。

一の鳥居?。

テレビでよく取り上げられ、昔、岡本太郎、新田次郎が感激したことで有名な「万治の石仏」、
小さな田んぼに囲まれて、しずかに座っているような姿には確かに感動する(ここから3枚の
写真)。





すぐ横では地元の少年達が水遊びをしている。浮き輪の川流れなど、ぼくも昔、近くの川
でやったのを思い出す。川岸には小さな神社もあって、小さい子供を連れたお母さん達が
おおぜい涼んでいた。

下諏訪宿本陣。

定宿として指定した大名達の名札。この家は大きな敷地を占めていて、少しを拝観場所に、
残りの半分ぐらいを子孫の住居に、あとの半分は近代的旅館になっている。

さきほど書いた「弓矢」が玄関に飾ってある。この地区はほとんどの家がおもいおもいの
弓矢を飾っていた。泊まった旅館のロビーにも飾ってあった。

下諏訪宿の西側の家、ここから5枚の写真。









下諏訪宿のはずれ塩尻峠の登り口にある今井茶屋本陣、説明によると、ここは峠の登りはじめ
地点、あるいは、下り終わり地点なので、大名達は休むのが習慣だったらしい。
和宮様も明治天皇も小休止したとのこと。

6月中頃、甲州街道歩き最終日にお参りした諏訪大社下社秋宮。泊まった旅館は神社の敷地
を借りているとのことだった。

神官(貫禄あるから宮司さんかも)と巫女さん。神社にお参りするといつも思うのだが、神官
の装束、巫女の装束は日本人には良く似合う。内閣が代わるたびに、モーニング、ドレスで
正装している姿がテレビにでてくるが、西洋人の着用姿と比べると相当に見劣りする。
日本の正装が神官・巫女姿になれば格好いいのにと思う。
神官は多分、小袖、袴のうえに、狩衣をきているのだろう、巫女は小袖、袴だろう。
女子大生に人気の卒業式姿はこれに近いのではと思うが、ドレスよりもずっと似合っている。
巫女の和紙で出来た髪留めもいいなーと思う。

旅館の部屋からの景色、毎晩15分ぐらい対岸に花火が上がってきれいだった。
温泉もよかったし、料理もおいしかった。
コメント
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