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大阪、神戸12月上旬

2010-12-09 23:47:30 | 京・阪・神
勤めていた会社の元同僚たち(総勢5人で、みんなOB)と大阪で、だべりながら散歩し、その後、
またまた、だべりながら食事をした。気のおけない人達と延々とだべるのはすごく楽しい。


中之島公園、この近くの事務所で仕事をしていた若いころには昼休みによく来た。
そのころより、ずいぶんきれいになっていたが、木の本数は減ったように思う。

阪急のきれいに建て替わったビルの真ん中ぐらいの高さ、十四、五階の展望室から
の景色(2枚の写真)。この展望室(休憩室)はしゃれたベンチがおいてあり、カフェや
コンビニも完備していて、感じがいい。
これが東京にあれば、土曜日でも若い二人やおばさん達の団体で超満員と思われるが、
われわれ以外は数人しかいない、さすがにカフェは少し並んでいたが。
大阪に来ていつも思うのは、ぼくが住んでいたころは、東京、大阪、その他の大きい
都市だったのが、この頃では、東京、その他の大きい都市になって、大阪は活気がない。
ぼくの勤めていた会社も本社(拠点)を大阪から東京に移してしまったが、そういう会社
が次々出てきたので、あたりまえかもしれない。
阪神間は最高に住みやすい所と思って入ったが、本社が移って、期待外れだった。

大阪城。今ではこの付近も住宅地が増えつつある。


今回こそ、新神戸駅でドクターイエローがトンネルから現れる瞬間の写真を撮ろうと待ち
構えていたが、回送列車として現れたのは普通の車両だったので、撮らなかった。
しかしよく見ると九州新幹線の試運転車両だった。



上りホームにも回送列車が来るというアナウンスがあって、同じような車両が入って来た。

こちらは九州新幹線の試乗会の車両だった。

いったん停車したがそのまま東京方面に行ってしまった。
気合を入れて、PRしているのだろう。



京都、東福寺、11月下旬

2009-11-29 13:01:05 | 京・阪・神

昔の職場仲間と京都にもみじ見物に行った、紅葉の名所として有名な東福寺が
目的地。きれいな紅葉だった、平日にもかかわらず大混雑していた、お祭り気分
を味わうことが出来た。



こういういでたちの人もいた。



開山堂。





とにかく圧倒される紅葉だった。


天然記念物のイブキの古樹、13世紀に九条家がこのお寺を創建した時に植えられた
と伝えられている。

夕食は南禅寺の門前で湯豆腐にして、飲んで騒いで、解散した。
楽しい一日だった。

京都三条、酢屋、11月下旬

2009-11-28 18:53:47 | 京・阪・神
昔の職場仲間で京都観光に行った。
紅葉もきれいだったが、酢屋さんも素敵だった。
この写真の建物は昔は材木屋のお店だったが、今はそちらは市内の他の広い場所
に移り、ここは同じ経営者の木工クラフトのお店と坂本竜馬資料館になっている。
ここに今回の幹事役が勤めているので、見物することになった。
材木商としては、江戸時代からの大店で幕末に坂本龍馬をかくまっていて、龍馬
と海援隊の活動拠点だったとのこと。

2階左の部屋に龍馬が住んでいて、いろいろな資料も残っている。
江戸時代撮影の龍馬の写真と大河ドラマの福山雅治扮する龍馬の写真が並んで
いたが、よく似ていた。
ぼくがうっかりしているのかもしれないが、案外知られていない穴場の観光
スッポットだった。

連休に姫路城に行きました

2009-05-18 14:10:22 | 京・阪・神
いつ行っても感動する。
日本の世界遺産にぴったりだと思う。
この城は、1300年代の初めに播磨の守護職
赤松一族が砦を作ったことにはじまるらしい。
その後ここを拠点にした黒田一族の何代目か
の黒田神官兵衛の時に、羽柴秀吉が西国攻め
の拠点として入場して、天守閣を完成させて
、「立派な城」の基礎ができた。











徳川時代になり、大阪城落城後に徳川家康の孫、
千姫はここの城主本多家に嫁いだ。
その時の住居がこの西の丸。

天守閣から南側を、JR姫路駅方面。

西側を。

北側を。

途中の階から東側を、建物が美しい。

南側を、やはり建物が美しい。

原型が残っているように思った内部。

石垣も美しい。

菱の門、貫禄がある。

近年に復元された城の隣の庭園からの景色。
城の一部が緑に映えてきれいだった。(3枚)







連休に大山崎山荘美術館に行きました

2009-05-13 18:26:33 | 京・阪・神
京都府乙訓郡大山崎町にある。
JR大山崎駅(京都駅からすぐ)から坂を登る
こと15分。
関西の実業家(証券会社所有、ニッカウヰスキー
の創立に参加)の加賀正太郎の別邸。
1932年イギリス・チューダー様式で建てられた。
その後いろいろの変遷を経て、荒れ果てていたが
1996年に有名な建築家 安藤忠雄によって補修され、
同時に美術館新館も建設され、アサヒビールの所有
になっている。アサヒビールのメッセナである。
旧山邑邸もそうだが、大正時代のお金持ちはなか
なかセンスのいい家を建てていると思う。
ただ、先日も言ったが、子孫etcに住み続けられて
いない点が大変残念に思う。
人ごとだからこんなことが言えるので、子・孫と
維持管理、改造して住むのは大変なことだろうと
想像できる。

入り口の立派なトンネル。

別荘(山荘)の玄関側。

正面の庭から見た山荘二階ベランダ。

山荘の裏側の庭。

山荘の表側の景色。明智光秀軍と羽柴秀吉軍が戦った
古戦場。

地下の様になっている新館への階段。

新館の展示室入り口で出迎える像(上下の写真)。



京都に来たら、必ず寄るお漬物屋さん。

京都駅から東山。