古文書に親しむ

古文書の初歩の学習

第二十二章 扱い済み証文の事 其の四

2014年05月31日 06時23分59秒 | 古文書の初歩

 

 

「曖済證文之事」第一頁、上の七~八行目

 

解読 一、田并上村より申出候者、上下領内相分り御座候者

    御普請等願候際限有之、右境目を限り東

読み 一つ田並上村より申し出候は上下領内相分けり御座候は、

    御普請等願い候際限これ有り、右境目を限り東(西とも)

解説 「田并上村」・・・「并」は「並」の旧字体。 「申出候者」・・・難しいですが、「申し出候は」と書いています。申出の右下の小さい「し」の様な字が「候」で、次の「者」は平仮名の「は」です。崩し方は難しい。 「上下領内相分り」・・・上下『かみしも』領内を分けた。「分り」・・・『わけり』。 次の「ワ」の様な字は「御」で、「御座候者」と書いています。領内を分けたのは。 「御普請等」・・・建物の新築など。 「願候」・・・願うを丁寧に言った言葉。 「際限」・・・限り。限界。最後のところ。 「有之」・・・これ有り。建物の新築・修理など御願いする限度が有るので。 「右」・・・典型的な「右」の書き方です。中の「口」の部分が、右真横又は右下がりになります。これに対し、「左」は中の「エ」の部分が、右上上がりに書きます。(二行目の原徳左衛門の「左」参照)


第二十二章 扱い済み証文の事 其の三

2014年05月30日 04時53分35秒 | 古文書の初歩

 

 

「曖済証文之事」第一頁、上の五~六行目

 

解読 相済候様被仰付候ニ付、挨拶を以相済候趣意

    左之通。

読み 相済まし候様仰せ付けられ候に付き、挨拶を以て相済まし候趣意

    左の通り。

解説 (下方にて)「相済候様」・・・ここも読むのは至難の技です。「相済」はこの行に二度出ます。回数で慣れて下さい。本文の筆者の文字も個性が有って、慣れるまで読み取るのはたいへんです。「済」の右下の点が「候」になります。「様」も難解。 「被仰付」・・・仰せ付けられ。前行では、「被為仰付」と「為」が有りましたので、「仰せ付けさせられ」でしたが、この箇所は「為」がありません。「為」の有る方が少し丁寧な言い方になります。 「仰付」の次の「し」の様な字が「候」です。 「挨拶」・・・仲裁。仲直りの取り持ち。この字は何となく形で判ります。 次は「を以」・・・仲直りさせて。 「相済候趣意」・・・解決した趣旨。解決の内容。 最後の字も難解ですが、「左之通」・・・左の通り。左に書く通りである。


第二十二章 扱い済み証文の事 其の二

2014年05月29日 06時32分13秒 | 古文書の初歩

 

 

 

「曖済証文之事」第一頁、上の三~四行目

 

解読 日下安右衛門殿、山本善次殿、湯川亀右衛門殿江

    被為仰付、御調之上双方へ異見仕下タ方ニ而

 

読み 日下安右衛門殿、山本善次殿、湯川亀右衛門殿へ

    仰せ付けさせられ、お調べの上双方へ異見仕り下方にて

 

解説 「日下」・・・『くさか』と読む苗字。 「安右衛門殿」・・・難しい人名です。 「善次」、「湯川」、「亀右衛門」いずれの名前も難解。特に「右衛門」、「次」などに注意。 最後の字も読むのは困難ですが「江」・・・「・・・へ」。 四行目は、「被為仰付」・・・仰せ付けさせられ。 「L」の様な字は「上」です。 「異見」・・・「異」は「已」の下に「大」と書く異体字です。「異見」=「意見」。 「仕」・・・仕り。つかまつり。意見をして。 「下タ方」・・・「タ」は送り仮名で、「下タ」と書いて『した』と読みます。  「下モ」と書けば『しも』。「下方」・・・下級の者。「下方にて」・・・上席者ではなく、下級の者で。


第二十二章 扱い済み証文の事 其の一

2014年05月28日 06時44分58秒 | 古文書の初歩

 

「曖済證文之事」第一頁、上の表題と一~二行目

  「曖」と言う文字について。最初からお詫びですが、「口偏に愛」と言う字が、このソフトでは出す事が出来ません。やむなく良く似た「日偏に愛」と言う文字を似ていると言うだけで使用しています。御寛容下さい。表題部冒頭に書いている文字は、口偏に愛と書いて、「扱う『あつかう』」或いは「おくび」と読む文字のつもりで使用しています。 二字目は「済」です。「曖済證文之事」で、「扱い済み証文の事」と読み、意味は、処理済みの証文という意味です。 「證文」・・・『しょうもん』も難解です。

この文書は、「古文書の初歩の学習」にはふさわしく無い、難しい古文書の仲間に入りますが、前章の「苫草場紛争」と関係があるので、続けて取り上げました。じっくりと御取組下さい。

解読     曖済證文之事

      一、田并上下苫草引場所并氏神棟札等之

      儀、及双論御願申上候ニ付、下調 原徳左衛門殿

読み     扱い済み証文のこと

      一つ、田並上下苫草引き場所並びに氏神棟札等の

       儀双論に及び御願い申し上げ候に付き下調べ原徳左衛門殿

解説 「曖済証文之事」・・・取り扱い済み、処理済み証文の件。 「一」・・・一つと読む。いわゆるひとつ書きの文書です。 「田并」・・・田並。 「上下」・・・『かみしも』上村と下村の事。 「苫草引場所」・・・「苫」は「古」に見えますが、「苫草」です。 「引場所」・・・苫草を引き抜くと言う事は無理な様に思います。「引く」は「苅る」と言う意味で使っているものと解釈します。「場」と言う文字も難しい。 「并」・・・並びに。 二行目始めは「儀」。 「及双論」・・・下から返って「争論に及び」。「双」は当て字です。 「下調」・・・串本町史では「御調」と読んでいますが、「御」には見えないし、一行目の「上下」の「下」と同じに見えますので、「下調べ」と読みました。 次の人名の「原徳左衛門殿」も難解。「左」の書き方と「殿」の崩しを覚える。    


第二十一章 苫草場争い 其の五十七

2014年05月27日 09時09分38秒 | 古文書の初歩

「苫草場争い」のまとめ、その三

⑦ 私ども、田並上村は、農業だけが生業の村で、最近は凶作続きで、苫草と木材仕事の他には稼ぎ仕事も無く、その上猪や鹿の被害も多く、作物の稼ぎのみでは御年貢も納付出来ないので、苫草と木材仕事で諸税も納めている様な状況の中で、下村から苫を引きに来る様な勝手気ままな仕方でございますから、上村は稼ぎ場所も無く、その上に山林60ヶ所及び植林した杉なども百姓どもが田並浦へ売り渡したので、稼ぐ山も無くなり、窮乏の現実がひしひしと迫り、生活も出来ず難儀していると言う事実が有ります。

⑧ 上村から見れば、下村は「いさば」・「漁船」・「灰方」をはじめ、諸職人・諸商売人が多く、稼ぎの手段にも差し支えの無い村で在りながら、他に何の稼ぎの手段の無い上村へ苫草を引きに入り込むのは誠に不届きな事に存じ奉ります。

ここで出た難解語としては、「最早」・・・『もはや』。 「犇と」・・・この文字を読むのは至難です。『ひしと』。ひしひしと。 「難立行」・・・立ち行き難く。 「いさぱ」・・・小型の廻船。海上運送業。 「灰方」・・・サンゴの一種、菊目石を焼いて砕いて粉にし、漆喰を製造した業種。 「難在」・・・在り難く。有り難く。等が有ります。

ここでは、当文書の作成者(陳情者)と相手方・田並浦の立地上の差から生じる村落の違いが判り、田並と言う在の昔の実体が明確に書かれています。もう一度確認しますと、田並上村は、農業・山仕事・苫草の産地など、純農村であったのに対し、田並浦は農・山村とは異なり、一種の都会的な生業が主体の村であった事が述べられています。実際、江戸時代には、田並は現串本町串本よりも人口も多く、栄えていた証拠に、紀州の殿様が藩内巡見に際し、串本や大庄屋の居る江田には泊まらず、この田並に二度も泊まっている事でも、その重要度は推察出来ます。

明治維新後、警察制度の創設に当たり、田辺市に警察署が出来て、その分署が田並に出来たことも、田並の繁栄ぶりを表しています。然し、江戸時代後期から串本は立地上の利点から繁栄を始め、人口も急激に増え、明治31年には警察署の分署が串本へ移転し、田並は部長派出所に降格、田並では一大反対運動を起こしましたが、時代の大勢には勝てませんでした。その後、大正から昭和にかけて、串本警察署に昇格し、田並は遂に駐在所に降格されました。それでも近所の集落からは、次々に駐在所が引き揚げて行く時代に、未だ駐在所が有るだけ良いとしなければなりません。苫草場争い終わり。