古文書に親しむ

古文書の初歩の学習

第二十一章 苫草場争い 其の五十四

2014年05月24日 06時45分54秒 | 古文書の初歩

「苫草場争い・願奉口上」第十二及び十三頁、日付・署名・宛名欄

解読 (十二頁)          田并上村庄屋 常蔵

                    同所肝煎 曽之右衛門

          一名「組頭」と読めますが、省略します

    (以下十三頁)        頭百姓 四郎兵衛

                     同断  平右衛門

                     同断  千右衛門

                     同断  平兵衛

    寛延三年           同断  左右衛門

      午九月           同断  万七

                     同断  徳三郎

                     惣百姓中

     浦 儀左衛門殿

解説 このページは文章が無いので、特に解説は不要と思いますが、名前の文字の特徴について述べておきます。前ページの署名の最初は、「田并上村 庄屋 常蔵」・・・「并」は現在の「並」、この辺は書きなぐった様な書き方です。「庄屋」も読めません。「常」も「蔵」も形で覚える字。この時代の名前の読み方はたいへん難解で、すべて形で覚える字と言っても過言ではありません。つまり、全部は覚えきれないと思います。慣れるしかないと言う事になります。 次の「肝煎」も読むのは困難ですが、「庄屋」とセットですから、分かります。次は「組頭」と書いていますが、切れているので省略。十三頁、はじめは「頭百姓・四郎兵衛」・・・頭『かしら』百姓・・・百姓のうち指導的な立場の者。田並上村には、三つの組が有り、その長を「組頭『くみがしら』と言いますが、その下に「頭百姓」が七人居たと言う事か?「同断」とは、右に同じと言う意味です。つまり「頭百姓」のこと。それぞれの名前については、全く難しいですが、この文書は、人名の手本としてはとても参考になります。この中で、特に形で覚えるのは、「ら」の様に書く「郎」、「右」と「左」の区別、などに注意しましょう。この中で一番やさしいのは、「万七」でしょうか。 「惣百姓中」・・・百姓一同の事。 「寛延三年」=1750年、今から264年前の文書です。 「浦儀左衛門殿」・・・江田組大庄屋殿。