古文書に親しむ

古文書の初歩の学習

第十四章 拝借仕米之事・その三

2013年01月31日 07時29分50秒 | 古文書の初歩

 

 

拝借仕米之事、上の画像の四~五行目

 

解読 仕候處実正ニ御座候。返上納之儀者来巳秋

    出来米を以元利共無滞十月中返上納

読み 仕り候処、実正に御座候。返上納の儀は来る巳秋

    出来米を以て元利共滞りなく十月中、返上納

 

解説 「仕候處」・・・「處」の崩し方に注意する。 「実正ニ」・・・『じっしょうに』と読む。本当に。確かに。間違いの無い。 「御座」の次の棒は「候」。間違いございません。 「返上納」・・・返済して納める。 「之儀者」・・・の儀は。返済に附きましては。 「来」・・・来たる。来年の。 「巳秋」・・・巳年の秋。 「出来米」・・・収穫した米。 「元利とも」・・・月一割の利息ですから、月二石七斗×十一=利息分だけで、二十九石七斗になり、元利合計五十六石七斗という過大なものになります。 「無滞」・・・滞りなく。


第十四章 拝借仕米之事その二

2013年01月30日 07時44分44秒 | 古文書の初歩

 

 

 

拝借仕米之事、上の画像の二~三行目

 

解読 大凶作ニ而御年貢上納難相立難儀仕其段

    御願申上候。非常御囲米之内本行之通拝借

読み 大凶作にて、御年貢上納相立ち難く難儀仕り、其の段

    御願い申し上げ候。非常お囲い米の内、本行の通り拝借

 

解説 「大凶作」・・・「凶」が難しい。 「難相立」・・・下から返って「相立ち難く」。上納出来ない。 「其段」・・・お米を拝借する件。 「御願申上」の次の字は非常に難解ですが、「非常」・・・ちょっと読めません。「非」の崩し方と「常」の崩し方は形で覚える外ありません。 「御囲米」・・・藩へ年貢として納めた米の内、非常用として備蓄している藩の米。 「本行之通」・・・本文書(御願い状)の通り。 「拝借」・・・「拝」も難しい崩し字です。教えて貰わねば読めない崩し方です。


第十四章 拝借仕米之事その一

2013年01月29日 07時53分24秒 | 古文書の初歩

 

文書の頭に、行数をあらわす数字を入れました。

拝借仕米之事第一ページ、上の画像の表題部と一行目

解読    拝借仕米之事

     米合弐拾七石也    利足月壱割

     右者当秋稲毛傷毛願差控候處格外之

読み    拝借仕る米の事

     米合わせて二十七石也  利足月一割

     右は当秋稲毛傷毛願い差し控え候処、格外の

 

解説  「拝借仕米之事」・・・米の借用證書です。 「米合」・・・米合わせて。 「利足」・・・利息の事。 「月一割」・・・これは高利貸し並の高利です。昔は当たり前だったのでしょうが。 「当秋」・・・この秋。本収穫期。 「稲毛」・・・稲の穂の実りの事。 「傷毛願」・・・稲の穂が病気で傷んだ事についてのお救いの御願い。 「願差控候處」・・・御願いするのを遠慮したところ。 「格外之」・・・尋常ではない。格別の。 「差控」の「控え」の字は原文では手偏に口となっていますが、私のソフトでは出すことが出来ませんので、「控」の字で代用しています。悪しからずお許し下さい。意味は同じ。

 


第十三章・網代黒山松一件御通詞控その六十

2013年01月28日 06時14分09秒 | 古文書の初歩

第十三章の あとがき

網代黒山松一件御通詞控終了の件

この文書は、昨27日のその五十九で終わっています。もともと文化六年(1809年)当時のものを、56年後の慶応元年(1865年)に至り、何かの必要があって転写したものが本書です。この古文書で学ぶ「網代『あじろ』」とは、漁業権を有する漁場とそれに付帯する臨海山林の事とはじめに説明しましたが、辞書を調べてみても「漁業権」のことに触れているものは只今のところ見あたりません。インターネット百科事典ウィキペディアによると、①「網の代わり」が語源であると言うこと。②定置網の漁場、またいつも魚が集まって来る場所。その他色々書いていますが、本書の場合は、「定置網の漁場」と言う意味に捉えてよいのではないかと思います。実際に樫野崎の北側付近には、ブリの定置網漁場が有るからです。但し現在は、古座地区との関係は無いようです。

「魚付き保安林」・・・海岸近くの林が茂っている下の海には、魚が集まると言う言い伝えが有り、魚付き保安林として保護されています。これは、樹木が繁茂して海面が暗いところに、魚が集まる習性が有ることから、國や県によって保護されることになったものです。この文書を見ても、台風で数百本の網代の松の木が倒れ、その跡へ再び松の苗木を急いで植えつけする様、代官所から指示されていることが判ります。

吹き折れた松の木を競売して、その代金を当初、樫野地区に半額、古座・高川原地区に合わせて半額と分配したものが、代官によってくつがえされ、各地区三分の一づつに再配分したことが分かります。村・浦の庄屋・肝煎り(村役人)から、その組の大庄屋に訴え出て、そこで解決しなければ代官所に裁定して貰うという仕組みであったことも読み取れます。紀伊半島南端部の紀州藩南部地域は現田辺市付近が安藤家、現新宮市付近が水野家の管轄で、その間は周参見代官所の管轄地でした。この地域を「口熊野」とも呼びます。周参見組・江田組・古座組・三尾川組・四番組の五つの組が有り、その下に162の村・浦がありました。尚、世界遺産「熊野古道」の「大辺路街道『おおへちかいどう』」は田辺から那智勝浦までの海岸沿い或いは近くの山中の峠道としてこの地域を通っています。

この文書で出た言葉で重要なもの。①口偏に愛と書いて「扱う」と読ませる字。滅多にお目にかかれない珍しい文字です(九ページ最終行)。②境目・・・『さいめ』と読みます。③飛脚ちん・・・通信手段や交通の便の無い当時、この地方にも飛脚が有ったことが分かります。④古座組大庄屋の名前が二人出て来ますが、ちょうどこの文書の時代、文化6年に植松茂右衛門から岩橋市右衛門に交替しています。⑤雑用・・・『ぞよう』と読み「費用」のこと。            下図参照

                                                    


第十三章・網代黒山松一件御通詞控その五十九

2013年01月27日 08時07分39秒 | 古文書の初歩

 

乍恐奉願上口上第十七ページ、上の画像の三行目以降

 

解読 度如此ニ御座候。恐々謹言

    八月廿七日  山廻り改 安宅専左衛門

          岩橋市右衛門様

読み (申し達し)度此の如くに御座候。恐々謹言  読み方は以下省略

 

解説 「度」は前行からの続きで、「申し達し度」。 「如此ニ」・・・下から返って「此の如くに」。 「御座候」・・・この三文字も判りにくいです。 最後は「恐々謹言」・・・手紙の終わりの挨拶語。恐れながら謹んで申し上げます。「恐惶謹言」・・・『きょうこうきんげん』の方が多く使われます。格上の人に出す場合に使う。 「八月廿日」・・・「月」も「日」も難解。 「山廻り改」・・・「改」の意味が残念ながら、よく分かりません。「安宅専左衛門」は前出。 「岩橋市右衛門」は古座組の大庄屋です。「様」となっていますから、「恐々謹言」と書いているし、大庄屋の方が、「山廻り」よりも地位が高いと言う事になります。