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異国船のまとめ②
一つ書きの三番目
庄屋は、異国船発見の報告を受け次第、異国船の進行方向を見届けるため、信頼出来る舟を二、三艘仕立て、報告してきた舟についてあとをつけ、他の組の湾までついて行ったら、その浦の庄屋に連絡して、その浦から見とどけの舟が出次第、確実に引き渡して、帰ること。
一つ書きの四番目
異国船が浦の近くを通っても、停泊しないうちは、こちらから舟を出してまで停船させる必要はない。但し浦々に人や舟を集めて準備しておくこと。異国船が停泊したら、組の人々や舟並びに弓・鉄砲を定めの通り用意し、その外何でもよいからあり合わせの道具(武器になるような)を持ち、弁当を出来るだけ多く腰につけて、駆け集まること。 附則、馬は家に残して置き、大庄屋の指図を待つこと。
附則、異国船は言うに及ばず、日本の舟でも、不審な舟が来た時は、右の通りに心得る事。
異常で、異国船に関する規定は終わります。引き続きキリシタン関係の定めに入ります。
一つ書きの五番目
キリスト教の教えを勧める者、又は金銭をくれて人をだますような事が有ったら、先ずこころよく聞いて、受け入れて置き、早々に報告する事。公儀(幕府)から規定の倍のご褒美が下される事になっている。また、藩からもご褒美が下される。 現在では、「倍」と言いますが、当時は、「一倍」と言ったようです。
一つ書きの六番目
キリスト教徒を隠して置く者が居れば、当人はもちろん、親類や遠縁の者まで重い罪に処せられ、その上、その村の者すべてが処罰される事になる。
あとがき
右の(以上の)事は、前々から数度に亘り仰せ出されていたが、猶又この度、改正されて仰せ出されたので、常時すべての百姓どもに、この定めを読み聞かせ、油断する事のないよう申し付けるものである。
正徳六年 申三月
一から四までが、異国船を発見した時の心得で、五と六がキリスト教徒関係の禁止規定となっています。いずれも、鎖国時代の事とて、外国の影響や干渉を怖れ、極力排除しようとした幕府の政策が端的に表れている規定だと言えます。
重複しますが、正徳六年は一七一六年で、今からおよそ三百年前の江戸時代中期に当たり、元禄・宝永・正徳・享保とつづく時代で、この当時から外国の船が日本近海に出没し、キリスト教の影響が出ていた事がこの定めで解ります。
宝永四年十月四日には「宝永地震」が起こり、東海道・紀伊半島を中心に死者二万人、倒壊六万戸、流失二万戸の大被害がありました。串本の「無量寺」は当時袋地区に有り、津波で流失し、このあと串本の現在地に移転新築されました。正徳六年は、改元されて享保元年に変わっています。
第二章 異国船 終わり。