古文書に親しむ

古文書の初歩の学習

第二十一章 苫草場争い 其の五十五

2014年05月25日 06時00分54秒 | 古文書の初歩

「苫草場争い・願奉口上」のまとめ。

これは、田並上村文書のうち、田並上村と隣村の田並浦(通称・田並下村)との間で起こった紛争に関する、大庄屋宛ての調停陳情の文章です。いわゆる「一つ書き」と言われる古文書のスタイルになります。

本文の始まりの文書が欠落していますので、一頁の前に幾つの一つ書きが有ったのか、それとも本文が最初の一ページなのか分かりませんが、大勢に影響は有りません。はじめの文章(本学習の第一~第六ページまで)は、先ず第一に、当上村が不作で困窮しているのに、隣村の田並浦から、強引に押し入り苫草を引きに来たのは、不届き千万である事。

第二番目に、先年田並浦と東隣の有田浦との間の領分争いの時の話し合いとして、上・下入り相(相互に他領へ入り込む事)と申し出たが、これは田並浦の領分だけの話しでも無いので、連名で書き付けを差し上げるつもりである事。

第三に、田並浦の方は、なちかの平見・堤の平見・田の崎その他多くの新畑を開墾して、農地を拡げているのに、上村の方は少しも開墾させない状況の中で、上村へおおぜいで入り込み、苫草を引きに来るのは不届き千万なやり方である事。(不届き千万は二回目です。)

第四番目として、田ノ崎山については、木の下の雑木や松の枝打ちの稼ぎ仕事は、田並浦ばかりがいい目をして、当村には何の恩恵も無い事。

ここで、不可解なのは、「田ノ崎山」は現代の我々から見れば、明らかに田並浦の領分と見えるのに、これほど拘っているのには、何か理由が有るのかも知れません。つまり、田ノ崎の岬は、両村入会の約定が有ったのかも分かりません。 以下つづく。