古文書に親しむ

古文書の初歩の学習

第五十七章 「免定 ④ 」 其の十四 

2015年12月31日 08時11分41秒 | 古文書の初歩

「免定」のまとめ、その二

⑤ 免定の説明に戻ります。「免定」とは、藩から各村・浦に対する年貢の割り当て令状の事で、「免状」とも書きます。『めんじょう』、又は『めんさだめ』と読みます。ここに示された拠出高を、村の役人(庄屋・肝煎)が総百姓立ち合いの上で、持ち面積その他の条件に応じて、各人に割り当てたのが、本年貢です。

⑥ 最初に書かれている「一、高三百十八石五斗五升六合」を「村石高」と言います。昨日の復習になりますが、百姓の所有する田・畑・宅地の全部から米が出来るものとして弾き出された数字で、米の生産量ではありません。

⑦ 村石高の右肩及び左肩に書かれている数字を「免」と言います。右肩の数字は、三年分の各年分の免で、三つ六分五厘は定数となっています。税率です。「三つ」は三割の事。三割六分五厘。左の肩の数字は、各年ごとの実際の税率です。「高」×「免」=年貢高となります。実際の収穫高に対する税率ではなく、架空の収穫高に対する税率ですから、賦課する方の立場から見ても過酷な数字ですから、古くて荒れた田畑、田方山川成り・田畑鍬先等々収量の少ない田畑については、年貢の対象にはなりませんでした。これを「諸引」と言います。文書の最後の「後書き」で、各個人への割り当てが、不公平にならない様にとか、納期などを書いています。「取」というのが、石数×免で、納付額となります。「取」を書いてない箇所も有りますし、どの様な計算で出来た数字か解らない数字も多く、現在人から見れば、「免定」の計算そのものが全体としてよく解りません。(串本町教委「潮埼荘1」)から引用。

⑧ お正月は一月一日から五日まで休ませて戴きます。良いお年をお迎え下さい。   


第五十七章 「免定 ④ 」 其の十三 

2015年12月30日 07時31分01秒 | 古文書の初歩

「免定」のまとめ。

① 田並上村文書の「免定」と言う文書は、全部で八通有ります。年号は、寛政十一年(1799年)から、安政五年(1858年)まで、江戸時代後期のものです。この八通の免定すべての石高が一定で、「高318石5斗5升6合」となっており、且つこの右肩に記載されている「三年定」という免の率も「三つ六分五厘」と共通です。この八通以外の免定も当然有った筈ですが、残っていません。

② 石高については、これだけの米の収穫が有ったわけではありません。田並上村の米の収穫量は、およそ百九十石ぐらいではないかと、学者は推定しています。村の石高は、藩が作成した石盛表に依って決められていたのです。良く出来る田や畑と、出来の悪い田や畑により、段当たりの収穫量が上から決められていました。例えば、上上田は段当収穫量が一石九斗、上田が一石八斗、中田が一石七斗、下下田が一石、屋敷(宅地)が一石五斗、中畑が一石六斗等々、田畑の善し悪しに依って段当収穫量が定められており、屋敷も畑も米が出来るものとして、村の石高が決められていたのです。

③ 現代では勿論この様な石高割り当てが有る筈も無く、考えられませんが、或る村の石高は、②で述べた段当収穫量の集計で、上田十町歩で百八十石、中田十町歩で百七十石、中畑十町歩で百六十石、宅地三町歩で四十五石、その村の合計村高は五百五十五石と、上から決められていました。この「五百五十石」を領地内で合計した数字が、その藩の殿様の石高となります。したがって、紀州五十五万石と言っても、紀州藩全体の米の収穫量が五十五万石ではなかったという事になります。

④ この時代は、武士だけが人間で、百姓は武士が食べる米を作る道具として扱われていた事になります。奴隷以下の生活を強いられ、それが当たり前と言う時代でした。全国的に見れば、あまりの圧政に耐えかねて、百姓一揆が各地で発生しています。然し、百姓一揆が成功して、権力を奪い取ったという様な話しは聞いた事がありません。(つづく)


第五十七章 免定 ④ 其の十二

2015年12月29日 08時16分15秒 | 古文書の初歩

 

 

 

 

 

 

「免定 ④ 」第四頁、上の三行目以下

 

解読 毎年霜月中急度皆済

    可仕者也       岡田 太郎助 印

    嘉永五年子十月  木村五郎太夫 印

    右村庄屋肝煎惣百姓中

 

説明 ここでは特に説明・解説する程難しい字や言葉は有りません。 「可仕者也」・・・「者」が読みにくい。名前では「岡田」の「岡」が難しい。形で覚える。 「岡田」・「木村」両人は、周参見代官所の代官です。「免定」はこれで終了です。 


第五十七章 免定 ④ 其の十一

2015年12月28日 08時06分49秒 | 古文書の初歩

 

 

 

 

 

 

「免定 ④ 」第四頁、上の一~二行目

 

解読 右依願定免申付候。庄屋肝煎

    小百姓入作迄立合無高下致割賦

 

読み 右願いに依り定免申し付け候。庄屋・肝煎

    小百姓・入り作迄立ち合い、高下無く割賦致し

 

説明 この最後の文章はどの免定もほぼ同文です。「申付候」・・・「候」が読みにくい。 「高下無く」・・・身分の高い低いに関係なく。


第五十七章 免定 ④ 其の十

2015年12月27日 06時19分37秒 | 古文書の初歩

 

 

 

 

 

 

「免定 ④ 」第三頁、上の五~八行目

 

解読   高 弐石四斗五升弐合     田方

      取 八斗四升八合

      壱ツ取

      高 五升     畑方

      取 五合

 

説明 文字が濃くて読みにくいですが、「出来高弐石四斗五升弐合」と書いています。 これは「田方」・・・田の出来高。 「取」が八斗四升八合」ですから、逆算すると、「免」は「三ツ四分五厘八毛四糸」になります。 この免の数字は、どこにも表示はありません。 2石452×0.34584=0.848  次は「免」の率が「壱ツ取」と右肩に表示があります。出来高が「五升」の畑で、「取」が壱割の「五合」の畑ということ。