古文書に親しむ

古文書の初歩の学習

第十八章 潮御崎神社・古記録その十七

2013年06月30日 06時14分43秒 | 古文書の初歩

 

 

潮御崎神社古記録「乍恐口上」第五ページ、上の一~二行目

解読 立、足銀ニ仕上葺造宮仕候御事。

    一、當閏五月十三日ニ大嶋浦庄屋作左衛門、出雲浦

読み (売り)立て、足し銀に仕り上葺き造宮仕候御事。

    一つ、当閏五月十三日に大嶋浦庄屋作左衛門、出雲浦

 

解説 「賣り立」・・・『うりたて』一気に売り払い。 「足銀ニ仕」・・・足し銀に仕り。足りない金額をおぎなう事。 「足銀」・・・『たしぎん』。 「上葺造宮」・・・「上葺き」は屋根を重ねて葺く事ですが、ここの意味は、屋根も葺き重ねて、神社の修復が完成したと言う事実。 「一」・・・一つ書きの第五項目目『項目め』。 「當閏五月」・・・「當」は「当」の旧字体で、今年の閏月の五月。旧暦では年に一ヶ月を閏月とし、暦の調整をしていました。 「作左衛門」の次は「出雲浦」『いずもうら』です。「出雲」は教えて貰わねば読めません。この浦は潮岬半島の東側付け根の村落です。 潮御崎神社の他の文書によりますと、この時加田から松崎までの浦方から寄付された総額は、二貫五十五匁で、地元で調達した額は九百五十匁でした。その内訳は、竹四百束販売額が七百匁、苫五百畳販売額が二百五十匁でした。(串本町史より引用)     


第十八章 潮御崎神社・古記録その十六

2013年06月29日 05時49分27秒 | 古文書の初歩

 

潮御崎神社古記録「乍恐口上」第四ページ、上の七~八行目

解読 明神赦地并村中之竹不残為伐、四百束之

    余其外、苫五百畳、地下より出し方々ニ而賣

読み 明神赦地並びに村中の竹残らず伐らせ、四百束の

    余其のほか、苫五百畳地下より出し、方々にて売り

解説 「明神」・・・「水崎明神」『みさきみょうじん』の略。潮御崎神社の略称。 「赦地」・・・所有を許された土地。所有地。 「并」・・・並びに。 「村中之」・・・『むらじゅう』の。上野浦全体の。 「竹」・・・建築用材としての竹。 「不残」・・・残らず。 「為伐」・・・伐らせ。 「四百束之余」・・・四百束あまり。「束」は十本を束ねたもの。 「苫」・・・この崩し字は、上部がくさかんむりに見えませんが、「苫」。「苫」は萱『かや』・ススキなどを編んでムシロにしたもの。主に屋根葺き用。 「五百畳」・・・「五」の形に注意。「畳」・・・『じょう』は形で覚える字。 「地下」・・・地面の下ではなく、『じげ』。「治下」とも書く。語源は治めている土地。管轄の村里。村内一円の事。私達が子供の時には「地下中」・『じげじゅう』という言葉がありました。「村じゅう」という意味です。 ここでは、集めた竹や苫を売って、現金化する事を言っています。 「賣」は「売」の旧字体。


第十八章 潮御崎神社・古記録その十五

2013年06月28日 05時58分26秒 | 古文書の初歩

 

潮御崎神社古記録「乍恐口上」第四ページ、上の五~六行目

解読 候得者、今少不足之義者、氏子共より調させ申様ニ

    与之御意候由ニ而、大庄屋浦儀左衛門殿御差図ニ而

読み 候えば、今少し不足の義は氏子共より調えさせ申す様に

    との御意候由にて、大庄屋浦儀左衛門殿お指図にて

解説 (御願い申し上げ)「候得者」・・・そうらえば。御願い申し上げたら。 「今少」・・・今すこし。もうちょっと。 「不足之義者」・・・不足している件は。「義」の意味はよく判りませんが、「公共の為に尽くす事」と言う意味が有りますので、この場合は「義援金」の意味が有るのかも分かりません。 「氏子共より調させ」・・・地元の氏子から揃え『そろえ』させる。「氏子」・・・『うじこ』。鎮守の神様が守ってくれる土地の人。つまり、他所の浦方に負担させるだけでなく、地元の人にも負担させる。 「調させ申様ニ与之」・・・地元の人に不足分を揃えさせる様にと言う」。 次は難しいですが、「御意候由」・・・お気持ちである由。 「浦儀左衛門」の次は難解文字で「殿」。 続いて難解文字が続きます、「御差図」・・・お指図。ご指示。 「ニ而」・・・『にて』。「由ニ而」・・・由で。「御差図ニ而」・・・御指図で。 


第十八章 潮御崎神社・古記録その十四

2013年06月27日 06時01分44秒 | 古文書の初歩

 

 

潮御崎神社古記録「乍恐口上」第四ページ、上の三~四行目

 

解読 銀子不足ニ付明申六月郡御奉行三倉貞右衛門様

    岡田段助様、御代官福富市兵衛様江御願申上

読み 銀子不足に付き、明申六月郡御奉行三倉貞右衛門様

    岡田段助様、御代官福富市兵衛様へ御願い申し上げ

 

解説 「銀子不足」・・・集まった寄付金が不足であった。 「明申六月」・・・『明けてさる六月』・・・翌年の申『さる』年に。寛文七年の翌年寛文八年(さる年)のこと。この場合の「明」は来年の『みょう』ではなく、既に年が変わっているので、『明けて』と読みます。 「郡奉行」の名は、三倉様は変わらず、岡田様が新しく就任しています。代官も、福富様に交替しています。今日の文章は、格別難しい所は有りませんね。 


第十八章 潮御崎神社・古記録その十三

2013年06月26日 07時03分15秒 | 古文書の初歩

 

潮御崎神社古記録「乍恐口上」第四ページ、上の一~二行目

解読 免被為成下候。則竹元丹後様より御添状申請

    加田浦より勢州松崎迄浦方不残奉加仕候得共

読み 赦免成し下せられ候。即ち竹元丹後様より御添状申し請け

 加田浦より勢州松崎迄、浦方残らず奉加仕り候得ども、

 

解説  前ページより続いて、「御赦免」・・・「赦免」とは罪を赦す事ですが、ここでは、「奉加御赦免」で、寄付金を集めることを許可された事。 「被為成下候」・・・成し下せられ候。寄付金集めの件をお許し下さいました。 「則」・・・『すなわち』。 「竹元丹後様」・・・「竹本丹後守」のこと。「竹本丹後のかみ」は紀州徳川家初代頼宜公の時代の船手奉行で、海運・漁業・船舶関係の最高責任者。 「御添状」・・・趣旨を書いて持たせる書状。  「申請」・・・『しんせい』ではなく、『申し請け』。 「加田浦」・・・現和歌山市加太。 「勢州松崎」・・・伊勢の国の松崎。現松阪市松崎浦。和歌山市から松阪市までと言えば、紀伊半島沿岸部のほぼすべてになります。 「浦方」・・・漁業に携わる人々。 次は消えて読むのは困難ですが、「不残」・・・残らず。 「奉加仕」・・・『ほうがつかまつり』。 つぎの点は「候」で「候得共」・・・「そうらえども」と書いています。