埼玉県に住む末弟が数年前に購入した越後湯沢のマンションは、国産車一台分くらいの破格の安価。その当時、我が兄弟はお祝いを兼ねてマンションを訪れていた。僕は都合で参加できなかったのだが、誰言うともなく、もう一度湯沢に行ってみたいとの声が上がった。
両親が健在の頃は、兄弟で費用を出し合い、父と母を伴って年に2回の旅行を欠かしたことがなかった。両親が他界してからは、そんな機会もなく、7人兄弟の長兄も欠け、高齢になった兄弟が一堂に会することも少なくなった。揃っての旅行は最後のチャンスになるだろうと、話はすぐにまとまり、参加するのは、3人の姉、他界した長兄のお嫁さん、僕と2人の弟、そして2人の姉の連れ合いの計9人。兄弟6人は全員参加である。
激しい雨の降りしきる月曜日、ふたりの弟の車に分乗し、埼玉からと群馬の太田からとの二手に分かれて出発、高速のサービスエリアで合流することになっていた。
ところが、合流地点の近くまで来たが、忘れ物をしてひき返したので遅れる、と埼玉組から金髪へ連絡がはいった。それが誰であるかと話題になり、僕は言った。「高速に乗ったのに、ひき返させることができるのは、○○しかいないよ」と長姉の名前を言うと、誰もが納得。案の定、僕の言うとおりであり、そのことを当人に告げると、一同大爆笑。この姉、家族からはコントロールタワーと呼ばれている。僕は密かに「仕切りばばぁ」といっているが・・・(笑)
合流する少し前、僕のケータイに家の固定電話から留守電が転送されてきた。「メールを送ったけど、見ましたか?」と、埼玉組のもうひとりの姉の声。気付かずにいたメールは、サービスエリアへの到着時間を知らせていた。すぐに返信した。「何故、留守電が家の固定電話からなの?」。お互いケータイを持っているのだが。。。そんなやりとりを聞いた金髪が「メールでの連絡より、ケータイに電話を掛けたほうが簡単なのに」と言って笑う。
メンバーの最高齢は83歳、一番若い末弟が58歳、平均年齢72歳の年寄り軍団は、何をやっても滑稽。合流したその後も、次々と起る不思議な行動と、噛み合わない会話に、笑い声が絶えない珍道中になる。
合流した二組の車で一路向かった越後湯沢。悪天候に、行いの悪いのは誰かと犯人探し。この前来たときは天気も良かったのに、今回初参加したのは誰?とみんなで僕を見る。
2台の車が関越トンネルを抜けると雨も止み、そこは雪国ならぬ曇り空の越後の国だった。「初参加者の心がけがいいと、雨も止んでくれるんだね」と僕は得意げ。
湯沢に着き、ひとまず昼食。越後名物『へぎそば』なるものを食べることにした。コントロールタワーの姉が「ボケないうちに、こうして旅行ができて良かったわ」と言うと、連れ合いに言われた。「ボケていないと思ってるのは自分だけで、他の人はボケ老人と思ってるかもしれないよ」「アラァ~、そうかしら」と言ってまた大笑い。
その後は希望者で、日本三大渓谷のひとつといわれる清津峡(きよつきょう)に行くことにした。すると、一番上の姉が「私は足が悪いから、若い人たちで行って来れば」という。すかさず僕は聞いた。「若い人って誰?僕もその中に入ってる?」。そして自称若者の5人は、雄大な渓谷美の清津峡谷へ向かった。
両親が健在の頃は、兄弟で費用を出し合い、父と母を伴って年に2回の旅行を欠かしたことがなかった。両親が他界してからは、そんな機会もなく、7人兄弟の長兄も欠け、高齢になった兄弟が一堂に会することも少なくなった。揃っての旅行は最後のチャンスになるだろうと、話はすぐにまとまり、参加するのは、3人の姉、他界した長兄のお嫁さん、僕と2人の弟、そして2人の姉の連れ合いの計9人。兄弟6人は全員参加である。
激しい雨の降りしきる月曜日、ふたりの弟の車に分乗し、埼玉からと群馬の太田からとの二手に分かれて出発、高速のサービスエリアで合流することになっていた。
ところが、合流地点の近くまで来たが、忘れ物をしてひき返したので遅れる、と埼玉組から金髪へ連絡がはいった。それが誰であるかと話題になり、僕は言った。「高速に乗ったのに、ひき返させることができるのは、○○しかいないよ」と長姉の名前を言うと、誰もが納得。案の定、僕の言うとおりであり、そのことを当人に告げると、一同大爆笑。この姉、家族からはコントロールタワーと呼ばれている。僕は密かに「仕切りばばぁ」といっているが・・・(笑)
合流する少し前、僕のケータイに家の固定電話から留守電が転送されてきた。「メールを送ったけど、見ましたか?」と、埼玉組のもうひとりの姉の声。気付かずにいたメールは、サービスエリアへの到着時間を知らせていた。すぐに返信した。「何故、留守電が家の固定電話からなの?」。お互いケータイを持っているのだが。。。そんなやりとりを聞いた金髪が「メールでの連絡より、ケータイに電話を掛けたほうが簡単なのに」と言って笑う。
メンバーの最高齢は83歳、一番若い末弟が58歳、平均年齢72歳の年寄り軍団は、何をやっても滑稽。合流したその後も、次々と起る不思議な行動と、噛み合わない会話に、笑い声が絶えない珍道中になる。
合流した二組の車で一路向かった越後湯沢。悪天候に、行いの悪いのは誰かと犯人探し。この前来たときは天気も良かったのに、今回初参加したのは誰?とみんなで僕を見る。
2台の車が関越トンネルを抜けると雨も止み、そこは雪国ならぬ曇り空の越後の国だった。「初参加者の心がけがいいと、雨も止んでくれるんだね」と僕は得意げ。
湯沢に着き、ひとまず昼食。越後名物『へぎそば』なるものを食べることにした。コントロールタワーの姉が「ボケないうちに、こうして旅行ができて良かったわ」と言うと、連れ合いに言われた。「ボケていないと思ってるのは自分だけで、他の人はボケ老人と思ってるかもしれないよ」「アラァ~、そうかしら」と言ってまた大笑い。
その後は希望者で、日本三大渓谷のひとつといわれる清津峡(きよつきょう)に行くことにした。すると、一番上の姉が「私は足が悪いから、若い人たちで行って来れば」という。すかさず僕は聞いた。「若い人って誰?僕もその中に入ってる?」。そして自称若者の5人は、雄大な渓谷美の清津峡谷へ向かった。