勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

刺客

2005-08-30 21:34:16 | Weblog
 第44回総選挙が今日公示された。今回ほど結果の予測が難しく、無責任に言うならばこれほど面白い選挙も珍しいのではないだろうか。

 そんな中で、政権党が立てた候補を「刺客」と呼ばないで欲しい、と報道機関に申し入れたという。

 言葉というのは様々な表現方法がある。比喩的に使われたり、揶揄する目的で使われたり、その時々で適切な使われ方をすると言葉が一人歩きする。

 ニックネームなどは、とかく本人にとってはあまり有り難くない場合が多いものだが、それがぴったりであればあるほど面白い。
松井秀喜選手が「ゴジラ」といわれた時、あまり歓迎していなかったと聞く、しかし本人が活躍すればするほどそのイメージは良くなってくる。

 また押し付けられた言葉はすぐに消えてしまう。中年という言葉の響きがよくないと言う理由で、「実年」なる言葉が生まれた。また国鉄が民営化されたとき、山手線を「E電」などと呼ばせたこともあった。どちらも無理矢理作られた言葉だったような気がする。しかしどちらもほとんど死語となっている。

 今回の選挙戦での「刺客」という言葉も、まさしくぴったりの言葉ではないだろうか。ニックネームがそうであるように、その言葉があまりにも適切であればあるほど、当人にとっては不愉快になるものだ。
そしてそれに反論するという事は、それを認めていることでもある。

 「刺客」はイメージが悪いという理由だそうだが、そのほうがよりインパクトがあって、それを逆手に取ったほうが効果的だと思うし、そんなことに目くじらを立てるよりは、よほど度量が広く感じられると思うのだが・・・

       ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 会話のテクニックとして心がけていることがある。
弱点を突かれたり、負の要素を言われた時、まずそれを認めてから話を進めたほうが気が楽であり、話が滑らかに展開する。そして揶揄しようと思った相手も気が抜けてしまう。
負のイメージを認めることは勇気がいる、しかし相手はこちらが思うほど気にしてなんかいない、面白がっているだけなのだ。それならいっそ一緒に面白がったほうが勝ち。かえってゆとりさえ感じさせる。

小泉さん、もっとおおらかに構えたほうがいいのでは?

9月11日は投票に行きます。
2005.09.30