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関東以北東北沿岸の被災

今回はドエライ震災が発生してしまったものだ。被災地域の方々にはお見舞いを申し上げ、また、少しでも多くの方々の救出を心よりお祈りしたい。
私はと言うと、かつての阪神震災を思い出しながら、ここ3日間はテレビに釘付けになっている。そして、こうした天災に派生する人災による二次災害が心配である。当初は火災や交通障害、そして究極は原発の炉心溶融と大きな人災が絡んで来ている。

当日の地震発生時には 私は大阪梅田の17階のビルの7階の歯科医院で診療を受けていたが、長周期のビルの揺れがあり、当初 何だか軽いめまいかと思って、あたりをみまわすと確かにかすかに治療の椅子が揺れており、やがて地震だとの声があがり、診療は一旦中止。そして、5階へ非難の要請が医院側からあり、無闇に移動するのは返って危険とも思いながら、マニュアルに基づいての要請であろうかと思いつつ管理者の指示に従った。このビルは阪神震災にも耐えた建物なので、一応安全性は大丈夫ではあるが、下が阪急の梅田駅であり、その駅のホームの上は駐車場となっている。こうした、5階から上に高層部分が乗っているような構造のビルでは、その5階部分が崩壊する可能性もあるので、建物外部の駐車場へ出るべく、ビルからの落下物を警戒しながら また移動する車にも注意しつつ外部に出た。そこで、周囲のビルを観察したが、ほぼ大丈夫のようだったが、家族の安否が気になり神戸の自宅に携帯で連絡したところ、震源が宮城沖と聞き、非常に驚いたのだった。つまり、東北の震源で、このように揺れるのならば、相当に巨大な地震であり、首都圏東京はどうなっているのか非常に不安であった。
当面、関西は大丈夫と考え、梅田の周辺でのその他の用事を済ませて神戸へ帰宅した次第であった。帰宅途中の電車の外の風景は全く日常のものと変化無く一安心した次第であった。

さて、リスク・マネジメントの観点で今回の震災で気になるところが幾つかあった。
その1つが、当日のJR東日本の首都圏での対応であり、その全線ストップは酷すぎるのではないかと思った。公共交通機関としての責任と自覚にはなはだしく欠ける対応だと思う。他の私鉄や地下鉄は 当初は全面ストップとしたが、その後 終夜運転に切り替えたようで、大勢の利用者への利便を最大限考慮しており、この対応の方がはるかに公共性を意識した対応であった。JRは、“安全”のためと称して、運行には後ろ向きの姿勢を取った。そのために大勢の人が帰宅難民となり都内を右往左往し、道路は渋滞し、公共性を阻害した。これはJRの無責任な対応によるところ大では無かったか。そしてこのように“安全”を言う割には日頃のトラブルが多いように思うがいかがであろうか。
JR東日本は自らの責任下の範囲でのトラブルを避け、他の交通機関や道路施設にその混乱を押し付けるという、自らのリスク回避によって他にリスクを転嫁し、それがより大きな社会的混乱を生起させる原因になっている。JR東日本は、こうした天変地異に対する脆弱性を克服する努力を為し、公共の鉄道会社としての責任感を厳しく受け止めるべきなのではないだろうか。

その次が東京電力の原発事故での対応である。
非常用電源が無いため、炉心冷却が機能せず、炉心溶融から炉の崩壊への危機を招いた。何故、非常用電源が機能しなかったのか、報道には明確に説明されていない。ディーゼル発電機の燃料タンクが津波で損傷を受けたのが原因であれば、タンク・ローリーを早期に大量派遣すれば容易に回避できたのではないかと思われるが、そのようには動いていない。13基もあるという発電機全ての故障なのだろうか。
それにしても1次冷却水が不足するというのは一体どういう事態だったのだろうか。閉鎖系の1次冷却の配管中で蒸気は冷却によって順次復水すれば冷却水が不足することは論理的に考えられないが、冷却機能そのものに問題があったのだろうか。それは具体的にどのようであったのか。3つの異なるタイプのバックアップ機能がいずれも働かなかったという。冷却水が不足するのはベントと称して大量の放射性物質を含む蒸気の漏洩があったためだろうか。もしそうならば、政府発表とは違って、量的には発電所周辺の放射能汚染は相当なものとなっては居ないだろうか。
このように様々な疑問が湧くが、当事者ではない原子力安全保安院のある種間延びした説明では一向によく分からない。こんなことで、リスク・マネジメントになっているのだろうか。危機に際してこそ、リスク・コミュニケーションの考え方が発揮されなければならないが、これまでのそうした研究の成果が生かされているとは思えない。
また原発のリスク評価には必ず千年に1度以下の発生確率の事故想定にどこまでコストを懸けるのか判断に苦しむところが出て来る。しかし今回はその千年に1度の天災に遭遇した訳である。たとえ1万年に1度以下の事故であっても復旧不可能な事態、あるいは巨大な被害には対処するべきとの考え方は持つとしても、果たして具体的にはどのように線引きするべきなのだろうか。

また被災地での携帯電話の機能喪失も問題だ。顧客獲得に躍起になる一方で、危機に対応した通信容量を確保できていない。被災に強い中継拠点の問題もあるのかも知れない。通話の確保は通信の基本機能そのものだが、それがなおざりにされている。多くの人々を携帯依存症に陥れておきながら、肝心な危機の局面で不安のどん底に突き落とした形になっている。このようなことは、中越地震でも起きた事象だったはずだが、各電話会社はいずれも地道な対応はしていなかったことを示している。

今後は、各国の救助隊も続々到着するが、どのように受け入れ、国内の救助隊と共に有効に機能するか、国としての統一的ヘッド・クォータを設置し、さらに東北地域という広域一帯に緊急に現地拠点を展開整備して行く必要があるが、果たして上手くやれるのだろうか。救援、復旧、復興と各段階に応じて体制を変えて行く必要があるが、政府はこの件に関し、誰がトップなのか未だ明確にしていないように思うが大丈夫なのだろうか。ここでも政治のリーダー・シップが問われる。

いずれも現代の様々なシステムが、天変地異に際して それぞれの基本機能を果たし得ていないことが問題なのだ。品質工学風に表現すれば、ノイズにロバストなシステムになっていないことが問題なのだ。それぞれのシステムの基本機能は一体何で、それをロバストにするためには何をするべきなのか、それを考察し、対策することが本来のリスク・マネジメントではあるまいか。“治に居て乱を忘れず”とはこのことではなかろうか。

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