The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
“生誕150年 横山大観展”鑑賞
先週はJRの信号機不良によるトラブルで運休となって、多大な迷惑を被った経験を報告したが、今週もたまに乗った電車では問題なかったが、他方で快速電車が遅延していた。そればかりではなく、新幹線の九州で大事故があったようだ。その事故では“異常を感じた場合は迷わず列車を止めること”を運転手が何故実行しなかったのか、3月の台車亀裂事故以後のことだけに問題となっているようだ。しかし、この会社 規模が大きいので様々な局面で大小のトラブルが多数あるのだろうが、その度に列車を止められたのでは運休の続出となり、鉄道運営全体が機能不全となるのではないかと懸念される。
基本的に率直な社内コミュニケーションができておらず、組織不全となり既に崩壊しているのではないかと思われる。この度の九州での新幹線事故では、大したトラブルでもないのに一々指令所に連絡するのは面倒という運転手の意識があったのかもしれない。また駅のホームに駅員が全く居なかったり、遠隔監視も出来ていないことにも列車異常を検知できなかった一因があるのではないか。これは自殺者を巻き込んだ事故のようだが、新幹線線路内に容易に侵入できる管理状態も問題だ。要するにコスト・ダウンは真剣に考えるが、乗客安全や施設管理は後回しとする民営化以降のトップ・マネジメントの意識が見え隠れしているように思える。
新幹線内での殺人事件に引続き、JR各社では真剣に検討し、適切なマネジメントの仕組が打出せなければ、その存立の危機に至る深刻な課題であると思うべきだろうが、そのトップ・マネジメント層にそうした危機感があるのだろうか。
先週はそんな話より、米朝首脳会談が最大のニュースだった。しかし、内容は空振り。戦争寸前に比べれば、全く良い状態になったという評価もあるが、それで正しいのであろうか。そもそもが、金正恩政権の体制保証が交渉の入口ではまるで意義が無く、これまでの米側の強硬姿勢は一体何だったのか。又これで拉致被害者の奪還問題も闇の中、となることは明らかではないか。現に、北のマスコミはそれ以降も“拉致問題は解決済み”と表明しているようだ。
改めて今にして思えば、外交を米トランプ大統領に100%お任せでは、こうなることは明白だったのだ。トランプ氏にとってはこの交渉は失うものは何もなかった。米本土に届くミサイルも確かなものではなかった。資金が必要ならば日韓に請求すればよい。従い、どのような結果となろうとも“成功だった”との評価になるのは当然ではないか。北が言葉だけで非核化に応じる姿勢を示せば、それだけで大成功だったのだ。
何が問題か。それは、先ず非核化のゴールを具体的に示せなかったこと。つまり、交渉前に大々的に言われたCVID*完全かつ検証可能で不可逆的な非核化が、曖昧になったこと。それから期限、つまり いつまでにどのような予定で非核化するのかを決められなかったことだ。
詳細はこれからの具体的交渉で詰めるというが、その2条件をトップが詰めなければ、今後どんなに議論しようとも、北はのらりくらりとかわして結論を曖昧にするのは、これまでの経験で明らかなことではないか。その都度の過程で見返りを要求してくるのは明らか。日本は米国に言われれば、感謝しつつ唯々諾々と指示に従うのは、北にとっても分かっていることだろう。だから拉致は解決済みと居丈高なのだろう。
北の現政権が安泰では、拉致被害者の奪還も日本が思うようには進まない。少なくとも、日本の公安・警察を含む調査団を派遣して捜査しても、それが自由に適格には行われることはないだろう。それに半島が連邦制になれば、北の権力が南に及ぶことも考えられ、在韓の脱北者も安穏とはしていられなくなることは明らかではないか。それが論理的帰結ではないか。さらにトランプ氏は半島での軍事演習を中止し、在韓米軍撤退にも言及した。これで、日本は米軍事力を当てにした外交は成立し難いものになり始めていることを確認するべきだ。その重大な脅威に陥ろうとしているにもかかわらず、会談の開始そのものを無条件に喜ぶ人々が多いのには驚く。
*完全(Complete)かつ検証可能(Verifiable)で不可逆的(Irreversible)な 非核化(Denuclearization)
このような国際関係の大きな変化の中で、国会では強行採決が相次いでいる。また、新潟知事選では政権が喜ぶような結果となった。モリカケも検察が政権に忖度した態度を示した。この国は一体どうなっているのだろうか。
国力が衰える中、無意味な北の非核化への資金供出もあると予測される。これもオバカな政権を喜んで支持しているオバカな国民の判断だから仕方ないと思わざるを得ない。
米国の衰退を指摘する声は多いが、日本の衰退を口にする人が居ないのはどういうことか。日本の衰退は米国よりも深刻なのが現実だ。米国経済は絶好調、EUも回復基調だが、日本の景気は未だ不況脱却とは言えず、日銀の政策は混迷しているではないか。この国の歴史健忘症の人々は、もう一度どん底に落ちなければ目覚めないのだろうか。
さて今回は京都の国立近代美術館で開催されている“生誕150年 横山大観展”を鑑賞しに赴いたので紹介したい。このところ立て続けに“休戦エンタ”への投稿で、何だか浮かれているようで、恐縮だが申し訳ない。
予定の朝、目覚めたのは計画した時刻から既に45分遅れていた。しかし、諦めることなく準備を開始。毎朝見ているテレビ番組・モーニング・サテライトの録画を途中まで見ながら食事。何とか自助努力で20分遅れまで取り戻したが、バスが駅には少し延着し、電車を逃し30分遅れとなる。
その日は、午後から京都で社会的責任のISO26000を援用して中小企業に適用する規格の説明会が予定され、お勉強に参加するつもりだったので、折角の京都行きなので、この展覧会も鑑賞することにしたのだった。改めて思えば、本腰で大観に接するのは初めてだ。
京都の地を踏んで後、バス230円よりも路線が固定されて安い地下鉄の210円を選んだ。その上さらに、金券ショップで安い切符190円を買った。フト見ると、“横山大観展前売り券”があった。通常15百円を13百円で購入。少しでも節約、まぁ京都やからかめへんかッ。遅れながらも“東山”駅から、白川沿いに北上して美術館のある岡崎に至る。この川沿いの道は景観を意識した条例が遵守されているため、風情があって好ましい。川床を注意深く見ると、ブラタモリで紹介してしたように川砂は確かに白い。だから白川という。花崗岩の東山が水源のため、その砂が川床を形成し、黒く軽い雲母が流されて、白い石英や長石が残ったということだった。
疏水の橋を渡り岡崎に至り、前売り券を示して展覧会に颯爽と入ったつもりだったが、やはり高齢者が圧倒的。特に女性が元気なのには少々閉口。時には大勢でうるさい。音声ガイドは効率的に鑑賞するには必須、550円支払う。
最初に展示されていたのは、“村童観猿翁(そんどうえんおうをみる)”だった。1893(明治26)年東京美術学校の卒業制作で、“猿廻しの翁を師の橋本雅邦に見立て、童たちは同級生の幼顔を想像して描いた”というもの。何だか色彩豊かでくっきりした図柄で確かに絵は若く、非常に印象的だった。童の顔は確かに大和絵の特徴を有している。見に来ていた女性の声で“大観って壮大な風景画と思っていたけど、こんな絵も描くのネ。”私よりもはるかに大観を知らない人も来ているのだ。
次に印象にあるのは、“白衣観音”1908(明治41)年の作品。一時行方が分からなかったものらしい。現場では“デッサンが下手”との酷評が示されていた。HPにも“観音のいささか短い手足や、描写は緻密なのに立体感や奥行きにつながらない点にもどかしさがある”とあるが、インドへ旅行したとかで、インド女性の表情が良く出ていて、どこか面白味のある珍しい絵ではないか。
次の“ガンヂスの水”[1906(明治39)年]は、大観は水面を模式的に描いてしまい興醒めのところがある。この絵を“草原のように見える”との評を現場では掲示していた。“白衣観音”にも水が流れているが同様。
全長40メートル超、日本一長い画巻に水の一生の物語を描く“生々流転”[1923(大正12)年]も重要文化財で、水が主役のはずだが、川の流れの表現が模式的でその点に工夫が無く、一様につまらない。
だが、展示作品の内“海潮四題・秋”[1940(昭和15)年]の波は、生意気な言い方で恐縮だが朦朧体の踏襲か輪郭がボケているが、波頭表現の工夫があって好い。私は動体視力と画像記憶が極めて悪い方だが。
何だか面白くない部分ばかり紹介してしまったが、“彗星”[1912(明治45)年頃]は、あまり大きくない作品だが期待通り天空を含めた自然の雄大さを想起させる。勿論、“夜桜”[1929(昭和4)年]や“紅葉”[1931(昭和6)年]はさすがに素晴らしい迫力ある大作だ。“霊峰飛鶴”[1953(昭和28)年]は本物を見れた。そうだこれは切手になっていたのを見ていたのだと、初めて知った。この時期“群青富士”や“無我”が見れなかったのは残念だった。“屈原”も展示の予定はないようだ。
大観は尊攘の水戸藩の武士の子。ということからか、かなりの国粋主義者だったようだ。維新以降、岡倉天心を師に“日本人”であることを誇示していたようだ。特に戦時中は、作品の売り上げ金で飛行機を軍に献呈したようだ。ネットによれば“「海山二十題」という連作(山の題材で10点、海を題材にも10点)を制作し、その売り上げ金で 昭和15年5月に陸軍には九七重爆と九七戦、海軍には九六艦戦と九六陸攻をそれぞれ1機づづ4機献納し、「大観号」と呼称”していたという。
ここまでする人物、敗戦時どのような感慨にいたったのか是非知りたいところだ。だが、この展覧会ではその辺は知る由もなかった。終戦直後も結構作品を発表していたところを見ると、それほど深刻な精神的痛手には至らなかったようだ。その程度の国難ではくじけない強靭な精神だったのかも知れない。
“或る日の太平洋”[1952(昭和27)年]は戦後の作品で、富士山を背景に海からの昇竜を描いたようだが、何を言いたいのか残念ながら浅薄非才の私には理解不能。やっぱり富士と海のモチーフでは北斎の分かり易さは偉大だ。
大観はとにかく多作だったようで、鄙には贋物も多いようだ。この展覧会でその作品の大多数が出品された訳でもないので、その一部を見て評価するのは問題かもしれない。
ついでに入場料に含まれていた、“平成30年度 第2回コレクション展”も鑑賞。“美術館のコレクション”つまり所蔵作品の虫干しか?とは言い過ぎ。
・特集展示:W. ユージン・スミスの写真
・近代洋画に見る動物たち
・ふたりの巨匠、ピカソとマティスを中心に
・横山大観と日本美術院の画家達
・河井寛次郎作品選
・近代日本の工芸
特に大観から替わって、いきなりピカソやマチスを見ると、脳が混乱したような不思議な感覚に襲われた。歳のせいで気分の切り替え不全となったのか、初めての経験だった。W. ユージン・スミスの写真では“水俣の悲劇”の作品が目立った。歴史的な作品になったのだろうか。
気が付けば12時過ぎ。本来予定から30分遅れだったので、急いで東山駅から四條烏丸へ。最近太り気味で昼食抜きも考えたが、烏丸地下のSIZUYA志津屋の売店で、ミックスサンドと牛乳を買って、午後の勉強会直前に食べる。
やっぱりISO26000を援用して中小企業に適用する規格は、組織への要求事項の負荷は大きく、品質システムをISO9004で審査するようなもので、無理がある印象だ。規格開発した人は“環境経営”に熱心のあまり、“社会的責任”にまで拡張しなければ真髄が実現できないと信じているように見える。その熱い思い、過熱して周囲が空回りしないことを祈りたい。これ以上のコメントは避けたいし、私は深入りしないようにしたい。

基本的に率直な社内コミュニケーションができておらず、組織不全となり既に崩壊しているのではないかと思われる。この度の九州での新幹線事故では、大したトラブルでもないのに一々指令所に連絡するのは面倒という運転手の意識があったのかもしれない。また駅のホームに駅員が全く居なかったり、遠隔監視も出来ていないことにも列車異常を検知できなかった一因があるのではないか。これは自殺者を巻き込んだ事故のようだが、新幹線線路内に容易に侵入できる管理状態も問題だ。要するにコスト・ダウンは真剣に考えるが、乗客安全や施設管理は後回しとする民営化以降のトップ・マネジメントの意識が見え隠れしているように思える。
新幹線内での殺人事件に引続き、JR各社では真剣に検討し、適切なマネジメントの仕組が打出せなければ、その存立の危機に至る深刻な課題であると思うべきだろうが、そのトップ・マネジメント層にそうした危機感があるのだろうか。
先週はそんな話より、米朝首脳会談が最大のニュースだった。しかし、内容は空振り。戦争寸前に比べれば、全く良い状態になったという評価もあるが、それで正しいのであろうか。そもそもが、金正恩政権の体制保証が交渉の入口ではまるで意義が無く、これまでの米側の強硬姿勢は一体何だったのか。又これで拉致被害者の奪還問題も闇の中、となることは明らかではないか。現に、北のマスコミはそれ以降も“拉致問題は解決済み”と表明しているようだ。
改めて今にして思えば、外交を米トランプ大統領に100%お任せでは、こうなることは明白だったのだ。トランプ氏にとってはこの交渉は失うものは何もなかった。米本土に届くミサイルも確かなものではなかった。資金が必要ならば日韓に請求すればよい。従い、どのような結果となろうとも“成功だった”との評価になるのは当然ではないか。北が言葉だけで非核化に応じる姿勢を示せば、それだけで大成功だったのだ。
何が問題か。それは、先ず非核化のゴールを具体的に示せなかったこと。つまり、交渉前に大々的に言われたCVID*完全かつ検証可能で不可逆的な非核化が、曖昧になったこと。それから期限、つまり いつまでにどのような予定で非核化するのかを決められなかったことだ。
詳細はこれからの具体的交渉で詰めるというが、その2条件をトップが詰めなければ、今後どんなに議論しようとも、北はのらりくらりとかわして結論を曖昧にするのは、これまでの経験で明らかなことではないか。その都度の過程で見返りを要求してくるのは明らか。日本は米国に言われれば、感謝しつつ唯々諾々と指示に従うのは、北にとっても分かっていることだろう。だから拉致は解決済みと居丈高なのだろう。
北の現政権が安泰では、拉致被害者の奪還も日本が思うようには進まない。少なくとも、日本の公安・警察を含む調査団を派遣して捜査しても、それが自由に適格には行われることはないだろう。それに半島が連邦制になれば、北の権力が南に及ぶことも考えられ、在韓の脱北者も安穏とはしていられなくなることは明らかではないか。それが論理的帰結ではないか。さらにトランプ氏は半島での軍事演習を中止し、在韓米軍撤退にも言及した。これで、日本は米軍事力を当てにした外交は成立し難いものになり始めていることを確認するべきだ。その重大な脅威に陥ろうとしているにもかかわらず、会談の開始そのものを無条件に喜ぶ人々が多いのには驚く。
*完全(Complete)かつ検証可能(Verifiable)で不可逆的(Irreversible)な 非核化(Denuclearization)
このような国際関係の大きな変化の中で、国会では強行採決が相次いでいる。また、新潟知事選では政権が喜ぶような結果となった。モリカケも検察が政権に忖度した態度を示した。この国は一体どうなっているのだろうか。
国力が衰える中、無意味な北の非核化への資金供出もあると予測される。これもオバカな政権を喜んで支持しているオバカな国民の判断だから仕方ないと思わざるを得ない。
米国の衰退を指摘する声は多いが、日本の衰退を口にする人が居ないのはどういうことか。日本の衰退は米国よりも深刻なのが現実だ。米国経済は絶好調、EUも回復基調だが、日本の景気は未だ不況脱却とは言えず、日銀の政策は混迷しているではないか。この国の歴史健忘症の人々は、もう一度どん底に落ちなければ目覚めないのだろうか。
さて今回は京都の国立近代美術館で開催されている“生誕150年 横山大観展”を鑑賞しに赴いたので紹介したい。このところ立て続けに“休戦エンタ”への投稿で、何だか浮かれているようで、恐縮だが申し訳ない。
予定の朝、目覚めたのは計画した時刻から既に45分遅れていた。しかし、諦めることなく準備を開始。毎朝見ているテレビ番組・モーニング・サテライトの録画を途中まで見ながら食事。何とか自助努力で20分遅れまで取り戻したが、バスが駅には少し延着し、電車を逃し30分遅れとなる。
その日は、午後から京都で社会的責任のISO26000を援用して中小企業に適用する規格の説明会が予定され、お勉強に参加するつもりだったので、折角の京都行きなので、この展覧会も鑑賞することにしたのだった。改めて思えば、本腰で大観に接するのは初めてだ。
京都の地を踏んで後、バス230円よりも路線が固定されて安い地下鉄の210円を選んだ。その上さらに、金券ショップで安い切符190円を買った。フト見ると、“横山大観展前売り券”があった。通常15百円を13百円で購入。少しでも節約、まぁ京都やからかめへんかッ。遅れながらも“東山”駅から、白川沿いに北上して美術館のある岡崎に至る。この川沿いの道は景観を意識した条例が遵守されているため、風情があって好ましい。川床を注意深く見ると、ブラタモリで紹介してしたように川砂は確かに白い。だから白川という。花崗岩の東山が水源のため、その砂が川床を形成し、黒く軽い雲母が流されて、白い石英や長石が残ったということだった。
疏水の橋を渡り岡崎に至り、前売り券を示して展覧会に颯爽と入ったつもりだったが、やはり高齢者が圧倒的。特に女性が元気なのには少々閉口。時には大勢でうるさい。音声ガイドは効率的に鑑賞するには必須、550円支払う。
最初に展示されていたのは、“村童観猿翁(そんどうえんおうをみる)”だった。1893(明治26)年東京美術学校の卒業制作で、“猿廻しの翁を師の橋本雅邦に見立て、童たちは同級生の幼顔を想像して描いた”というもの。何だか色彩豊かでくっきりした図柄で確かに絵は若く、非常に印象的だった。童の顔は確かに大和絵の特徴を有している。見に来ていた女性の声で“大観って壮大な風景画と思っていたけど、こんな絵も描くのネ。”私よりもはるかに大観を知らない人も来ているのだ。
次に印象にあるのは、“白衣観音”1908(明治41)年の作品。一時行方が分からなかったものらしい。現場では“デッサンが下手”との酷評が示されていた。HPにも“観音のいささか短い手足や、描写は緻密なのに立体感や奥行きにつながらない点にもどかしさがある”とあるが、インドへ旅行したとかで、インド女性の表情が良く出ていて、どこか面白味のある珍しい絵ではないか。
次の“ガンヂスの水”[1906(明治39)年]は、大観は水面を模式的に描いてしまい興醒めのところがある。この絵を“草原のように見える”との評を現場では掲示していた。“白衣観音”にも水が流れているが同様。
全長40メートル超、日本一長い画巻に水の一生の物語を描く“生々流転”[1923(大正12)年]も重要文化財で、水が主役のはずだが、川の流れの表現が模式的でその点に工夫が無く、一様につまらない。
だが、展示作品の内“海潮四題・秋”[1940(昭和15)年]の波は、生意気な言い方で恐縮だが朦朧体の踏襲か輪郭がボケているが、波頭表現の工夫があって好い。私は動体視力と画像記憶が極めて悪い方だが。
何だか面白くない部分ばかり紹介してしまったが、“彗星”[1912(明治45)年頃]は、あまり大きくない作品だが期待通り天空を含めた自然の雄大さを想起させる。勿論、“夜桜”[1929(昭和4)年]や“紅葉”[1931(昭和6)年]はさすがに素晴らしい迫力ある大作だ。“霊峰飛鶴”[1953(昭和28)年]は本物を見れた。そうだこれは切手になっていたのを見ていたのだと、初めて知った。この時期“群青富士”や“無我”が見れなかったのは残念だった。“屈原”も展示の予定はないようだ。
大観は尊攘の水戸藩の武士の子。ということからか、かなりの国粋主義者だったようだ。維新以降、岡倉天心を師に“日本人”であることを誇示していたようだ。特に戦時中は、作品の売り上げ金で飛行機を軍に献呈したようだ。ネットによれば“「海山二十題」という連作(山の題材で10点、海を題材にも10点)を制作し、その売り上げ金で 昭和15年5月に陸軍には九七重爆と九七戦、海軍には九六艦戦と九六陸攻をそれぞれ1機づづ4機献納し、「大観号」と呼称”していたという。
ここまでする人物、敗戦時どのような感慨にいたったのか是非知りたいところだ。だが、この展覧会ではその辺は知る由もなかった。終戦直後も結構作品を発表していたところを見ると、それほど深刻な精神的痛手には至らなかったようだ。その程度の国難ではくじけない強靭な精神だったのかも知れない。
“或る日の太平洋”[1952(昭和27)年]は戦後の作品で、富士山を背景に海からの昇竜を描いたようだが、何を言いたいのか残念ながら浅薄非才の私には理解不能。やっぱり富士と海のモチーフでは北斎の分かり易さは偉大だ。
大観はとにかく多作だったようで、鄙には贋物も多いようだ。この展覧会でその作品の大多数が出品された訳でもないので、その一部を見て評価するのは問題かもしれない。
ついでに入場料に含まれていた、“平成30年度 第2回コレクション展”も鑑賞。“美術館のコレクション”つまり所蔵作品の虫干しか?とは言い過ぎ。
・特集展示:W. ユージン・スミスの写真
・近代洋画に見る動物たち
・ふたりの巨匠、ピカソとマティスを中心に
・横山大観と日本美術院の画家達
・河井寛次郎作品選
・近代日本の工芸
特に大観から替わって、いきなりピカソやマチスを見ると、脳が混乱したような不思議な感覚に襲われた。歳のせいで気分の切り替え不全となったのか、初めての経験だった。W. ユージン・スミスの写真では“水俣の悲劇”の作品が目立った。歴史的な作品になったのだろうか。
気が付けば12時過ぎ。本来予定から30分遅れだったので、急いで東山駅から四條烏丸へ。最近太り気味で昼食抜きも考えたが、烏丸地下のSIZUYA志津屋の売店で、ミックスサンドと牛乳を買って、午後の勉強会直前に食べる。
やっぱりISO26000を援用して中小企業に適用する規格は、組織への要求事項の負荷は大きく、品質システムをISO9004で審査するようなもので、無理がある印象だ。規格開発した人は“環境経営”に熱心のあまり、“社会的責任”にまで拡張しなければ真髄が実現できないと信じているように見える。その熱い思い、過熱して周囲が空回りしないことを祈りたい。これ以上のコメントは避けたいし、私は深入りしないようにしたい。

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