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11月の鑑賞映画

バイデン米大統領が主催する“民主主義サミット”が、オンラインで開催され、日本やヨーロッパなどおよそ110の国や地域の首脳などが招かれた。バイデン米大統領は、“専制主義者たちは世界中で影響力の拡大をもくろみ抑圧的な政策を正当化しようとしている”と指摘し、会の総意として民主主義の重要性について確認し、型通り終了したようだ。ところで、ここで言葉の上での“専制主義”と“独裁体制”とは違いがあるのか、同じなのか不明なのが気懸りである。
そこへ、“法の支配、表現の自由、報道の自由、人権の尊重”等の非常に怪しい日本政府の首相も招待され、参加したという。我等が首相も呼びかけに応えて、“世界の中では権威主義的な体制のもと、自由が抑圧され人権が蹂躙される状況が今もなお続いている。民主主義や法の支配といった基本的価値を損なう行動に対して有志国が一致してワンボイスで臨んでいかなければならない”といかにも“お行儀よく”述べ、“北朝鮮による拉致問題は日本の主権や国民の生命と安全に関わる重大な問題であるとともに、基本的人権の侵害という国際社会全体の問題でもある。日本はこうした深刻な人権問題に対し国際社会と連携して現実を変えるための責任ある行動を強く求めていく”と言及したという。何と気恥ずかしいことか。
何となれば、特に日本の報道の自由については2021年4月の時点では、“日本は去年から順位を1つ下げて67位で、G7=主要7か国の中では最下位となっているほか、42位の韓国や43位の台湾を下回”っている。今、流行りのSDGsもスローガンをいうばかりで、その実効性や実現性を検証する訳でもない。だから見せかけの“やってます”と“言った者勝ち”がこの国に横溢しているのだ。この言行不一致を何ら恥じることのない姿勢について幕末・維新頃の日本人と比べてその130年後の今日の日本人の精神は、驚くべき格段の退歩ではあるまいか。情けないばかり。

この“民主主義サミット”に招待されなかった中国は、自分達にも独自の民主主義があると主張している。あの極端な独裁政権下にある北朝鮮も、その正式な国名は“朝鮮民主主義人民共和国”ではないか。
中国の主張は次のようだという。“中国は民主と先制の有機的な統一を堅持する。民主と専制は矛盾しない。ごく少数者をたたくのは大多数の人々を守るためであり、専制の実行は民主を実現するためである。”
ここに既に言葉の矛盾がある。ここで“専制を実行している”と明確に述べている点だ。これは一部のテレビ番組でも 指摘していたが、目的を達成するためにプロセスを無視するのが独裁主義者の典型的独善なのだ。
あらためて、“民主主義”についての意味や意義、定義をしっかり論理的に見極める必要があるだろう。だが、今の日本人には、論理的思考が苦手のようだ。だがそれでは、民主的な先進国の中で生きて行く資格はなく、あきらかに中国との論争に簡単に破れてしまうのだ。

話は大きく変わるが、物価が変調を来しているように感じている。“安物買いの銭失い”が一般化しつつあるようだ。日本製品は安くても品質が良く、そのレベルは高かったのが、いよいよコスト・ダウンも限界に至ったのかも知れない。
そして、11月の日本の企業物価指数は前年同月比9.0%上昇し、1980年12月以来およそ41年ぶりの大きさ、というのだ。一般消費者物価ではなく、企業間取引の物価上昇が見られた、という。
それが継続するようであれば、その影響はやがて一般消費者物価に及ぶことは確実になる。ガソリン価格の上昇など変調が見られることから、その影響は確実のような気がする。そうなれば、日本のデフレ的経済は解消されるであろう。だが、それは日本の低所得者層の生活を大きく圧迫するものとなるハズだ。それは日本社会を不安定化させるのではないかと考えるのだ。
最近、日本の経済学者は沈黙したままだ。日本経済のデフレ傾向の原因を解明できないことに恥じてのことだろうか。日本では金融界のエコノミストが日本経済を解説してくれている。何故、日本の経済アカデミアには分析力がないのだろうか。日本の大学には経営・経済学部は多数あるにもかかわらず・・・。

気付けば歳末12月の師走に突入している。個人的には今週、ようやく喪中はがきを2日で仕上げて年賀状を出さずに済むことになった。

しかしながら、先月末には愛用のアイ・フォンの電池が劣化し、遂に寿命が尽きてしまった。アップル・ショップへ持ち込んだが、バック・アップしていなければ、入っていた情報は全て失われてしまったことになる、という。電池の寿命とメモリーの存在が一蓮托生とは知らなかった。それなら、そうと前もって周知させるべきではないのか。
それとも知らない、お前がバカというのか。それが敬愛するべきジョブズの基本姿勢だったのだろうか。はたまた、アイ・フォンの設計基本思想として、電池の寿命とメモリーの存在を切り離しておくのが、当然ではないのか。
新しいアイ・フォンが上梓されるにあたって、画面がプラスチックになっていて、疵だらけになることを知ったジョブズが、“これでは消費者のニーズを満足しない”と短時日で決められた発売日に間に合うように全てガラスに替えよと指示し、鴻海がそれを実行したというエピソードを聞かされて、アップル製品の信頼性について全幅の信頼を寄せていた、自分のバカさ加減にアホらしなってくる。まぁ、このまま放置すると連絡手段が限られ、周囲に迷惑が及び仕事に大きく影響するので、新機種を購入し、何とか電話会社と契約し直して、電話機能だけは復旧させた。
ところが、この後日談がある。その死んだはずのアイ・フォンが何となく瀕死の息のような気がし、ライトニングケーブルを差し込んで置いたら、画面がこの週末蘇っていたのだ。一体、あのアップルショップでの診断は何だったのだろうか。急いで新たな機種に買い替えさせるための、ウソだったのだろうか。
これで、米製品の品質レベルがこの程度のもので、儲けんかなの姿勢のみで消費者を欺くのが、基本にあることが分かったような気がした。ステーブ・ジョブズの上手いマーケティングにまんまと騙されていた自分に嫌気がさすのであった。否、それが世界標準なのであろうか。品質が良くそのレベルは高かった日本製品も、価格競争力確保のため最近はそのレベルに低く合わせて来ているのかもしれない。それは“日本ブランド”のイメージ喪失につながらなければよいと思うのだ。
とにかく当面、自己嫌悪の中で、携帯電話機能の完全復旧に全力を上げるばかりなのだ。


さて、今回はその12月突入に従って、先月の映画鑑賞の報告としたい。先月は、15本の鑑賞でNHK・BSプレミアムのBSシネマが12本、ネットの無料配信映画が少なくなり3本となった。映画鑑賞で受動的な対応の放送での映画が多く、ネットから能動的に見ようという意欲が乏しくなっていたようだ。これは、どういう精神的消極性から来ているのか、我ながら不明だ。とにかく、BSシネマで見た映画を次に列記してみる。

①11/1 “斬る”1962年・日本・監督:三隅研次、原作:柴田錬三郎・出演:市川雷蔵、藤村志保、渚まゆみ、万里昌代、成田純一郎、丹羽又三郎、木村玄、天地茂、
②11/2 “愛と追憶の日々”Terms of Endearment・1983年・米・監督・脚本:ジェームズ・L・ブルックス・出演: シャーリー・マクレーン、デブラ・ウィンガー、ジャック・ニコルソン、ジョン・リスゴー、ジェフ・ダニエルズ
③11/2 “山猫・完全復元版”伊: Il gattopardo / 仏: Le Guépard ・1963年・伊・仏合作映画・監督:ルキーノ・ヴィスコンティ・出演: バート・ランカスター、アラン・ドロン、クラウディア・カルディナーレ、ジュリアーノ・ジェンマ、マリオ・ジロッティ、パオロ・ストッパ
④11/3 “バックトゥザフューチャー” Back to the Future・1985年・米・監督:ロバート・ゼメキス・出演:マイケル・J・フォックス、クリストファー・ロイド、トーマス・F・ウィルソン、リー・トンプソン、クリスピン・グローヴァー、クローディア・ウェルズ
⑤11/15 “博士の愛した数式” The Professor and His Beloved Equation・2006年・日本・監督:小泉堯史・出演: 寺尾聰、深津絵里、齋藤隆成、吉岡秀隆
⑥11/17 “バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3”Back to the Future Part III・1990年・米・監督:ロバート・ゼメキス・出演: マイケル・J・フォックス、クリストファー・ロイド、トーマス・F・ウィルソン、メアリー・スティーンバージェン
⑦11/22 “リトル・ダンサー”Billy Elliot・2000年・英・監督:スティーブン・ダルドリー・出演: ジェイミー・ベル、ジュリー・ウォルターズ、ゲイリー・ルイス、ジェイミー・ドラヴェン、アダム・クーパー
⑧11/23 “武士の家計簿”2010年・日本・監督:森田芳光・出演: 堺雅人、仲間由紀恵、松坂慶子、草笛光子、中村雅俊、伊藤祐輝
⑨11/24 “汚名”Notorious・1946年・米・監督:アルフレッド・ヒッチコック・出演: ケーリー・グラント、イングリッド・バーグマン、クロード・レインズ、ルイス・カルハーン
⑩11/25 “ニュー・シネマ・パラダイス”伊: Nuovo Cinema Paradiso・1988年・伊/仏・監督:ジュゼッペ・トルナトーレ・出演: フィリップ・ノワレ、ジャック・ペラン、サルヴァトーレ・カシオ、マルコ・レオナルディ、アニェーゼ・ナーノ
⑪11/29 “マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと”Marley & Me・2008年・米・監督:デヴィッド・フランケル・出演: オーウェン・ウィルソン、ジェニファー・アニストン、エリック・デイン、キャスリーン・ターナー、アラン・アーキン
⑫11/30 “哀愁”Waterloo Bridge・1940年・米・監督:マーヴィン・ルロイ・出演: ヴィヴィアン・リー、ロバート・テイラー、ヴァージニア・フィールド、ルシル・ワトソン

①何だか月初めの出だしでズッコケた映画だった。私から見ると駄作。時代考証がきちんとできているとは思えない。たんなる時間潰し。先ず、目的のないぶらぶら全国の武者修行に藩主が簡単に許可を出すはずがない。幕府が調査に派遣した高級官僚を如何に御三家と言えども闇討ちにはできない。そんな計画すら当時の当事者には及びもつかないだろう荒唐無稽の話ではないか。それがこの映画の基本的間違い。

②はちょっとした親子の話。若干のドタバタ劇。今となってはあまり記憶にも残っていないが、何と第56回アカデミー賞作品賞ならびに第41回ゴールデングローブ賞 ドラマ部門作品賞受賞作品だという。

③19世紀半ば、ガリバルディが活躍するイタリア統一戦争のさなかのシチリア島の貴族の話。近代国民国家に変貌する時代の波に、取り残されそうになりながら、シチリア貴族の誇りを持って自分を貫く男を描いている。山猫とはシチリア人のことだったと思う。
今も時代の変わり目だが、生き方として参考になるのかならないのかよくわからないが、その気分は分かるような気がする。
映画は、雰囲気を壊さぬために電気照明を止めたが、暗くなりすぎたため多量の蝋燭で照明にしたら、場面が暑くなり過ぎて俳優陣が汗だくになった、というエピソードがあるようだ。

④街の発明家によるタイムマシンの話。タイムマシンそのものは、私は原理的に不可能と見限っている。可能ならば、目の前を未来人が横行しているハズだからだ。
大ヒット映画だが、私はついにこれまで見ていなかった。これが初めて。partⅢまでシリーズとして制作され、partⅡはBSシネマでも、11/10に放映されたが、これは見ず、11/17のpartⅢは見た。
その信じきれないタイムマシンの話のせいか、ストーリーが頭に入ってこなかった。何となく雰囲気だけを見た気分。

⑤小川洋子による小説が原作。映画は誰が主人公なのか分からない。家政婦なのか、博士なのか、はたまた家政婦の子供で、長じて中学の数学教師なのか。
80分しか記憶が持たない脳障害が本当にあるのか。だが、問題の核心はそこにあるのではない。
博士の愛した数式とは、EXP(iπ)+1=0ではないか。ストーリーは行き場のない内容だが、何となくほのぼのした暖かさのある不思議なお話だ。だから人気があるのだろう。一見の価値はある。

⑦これも何となくほのぼのした暖かさのあるお話だ。成功したダンサーの少年時代の実話だという。このダンス好きの才能を見出し、それを育て上げた女性インストラクターが偉い。こういう人が多くなれば、世の中は明るくなるような気がする。⑤と同じく教師とは大切な仕事だと、つくづく思わせられる。

⑧古文書から幕末の武士の暮らしを読み解いた磯田道史氏による教養書「武士の家計簿 『加賀藩御算用者』の幕末維新」が原作だという。森田芳光監督&堺雅人主演で映画化。私はある理由があって磯田道史氏を歴史家としては認めたくない。街の古文書読みだと思っている。だから、どんな内容か興味があった。
武家社会にあって御算用者(経理係)は身分は高くないハズ。だが、話の舞台は加賀藩だったことに直ぐに納得。藩祖・前田利家は算盤片手で戦をしていたという。戦で予算を立てて、戦費を調達してやっていたのか。だからこそ、維新戦争で官軍の捕虜になった息子・猪山成之は大村益次郎から尊重され、ついには海軍主計大監となったのだ。
この加賀藩に代々仕えてきた猪山家の八代目・直之。藩上層部の汚職に気付き左遷されそうになりながら、事件にかろうじて巻き込まれず、それに関与しなかったことで、出世。しかし当時の武家社会には身分が高くなるにつれて出費が増えるという慣習があり、猪山家の家計も苦しくなったのを立て直した。そういう話を上手く映画化している。

⑨大好きなバーグマンがヒッチコック監督の映画に出演していた。この映画、太平洋戦争が終わった翌年の映画だ。
題名は何故“汚名”なのか不明。原題・Notoriousの訳は“悪名高い” の形容詞。
ドイツ出身の父親がナチスのスパイであったとして、世間から非難されていたバーグマンに、CIA職員のケーリー・グラントが近付き誑し込んで、標的のドイツ人実業家と結婚させ、スパイをさせる。それで“汚名”を雪ぐことになったのか、不明である。

⑩これも映画プロデューサーとして大成功した男の少年時代の話が中心。小さな町の映画館の学歴のない撮影技師が、この少年のメンターとなっている。この映画館の名前が“ニュー・シネマ・パラダイス”なのだ。映画から得た知識・知恵が支えたのか。これもほのぼのした映画だ。この少年の母親が長じたプロデューサーに“ちゃんとした女性が身近にいない”ことを懸念していたことが、わずかな先行きの不安定感を予想させる。それがまた良い。
考えてみると先月は“青い体験”を見たが、イタリア映画には少年の目から見た世の中の様の映画も多いのだろうか。

⑪新婚夫婦がラブラドール・レトリバーの子犬にマーリーと名付けて育てるが、ほとんど言うことを聞かず、調教師にもサジを投げさせた。そんな犬の一生のドタバタを映画にしていて面白い。我が家もトイ・プードルを飼い始めて2年になるが、家族ともども興味深く見た。

⑫残念ながらバーグマンではなく、ビビアン・リー主役。一見、気ままに見える貴族の将校に恋して、振り回される女性の悲劇である。まさに“哀愁”なのだが、原題のWaterloo Bridgeは戦争下の二人の出会いの橋の名である。


次に、ネットの無料配信映画3本の紹介としたい。

①11/1 “ボディ・バンク”Extreme Measures・1996年・米・監督:マイケル・アプテッド・出演:ヒュー・グラント、ジーン・ハックマン、サラ・ジェシカ・パーカー、デイヴィッド・モース、ビル・ナン
②11/3 “二重生活”(R15+)・2015年・日本・監督: 岸善幸・原作:小池真理子・出演 : 門脇麦、長谷川博己、菅田将暉、リリー・フランキー、西田尚美、
③11/21 “新極道の妻たち 覚悟しいや”・1993年・日本・監督:山下耕作・出演: 岩下志麻、かたせ梨乃、梅宮辰夫、草刈正雄、中尾彬、北大路欣也

①は、医療スリラー小説の作家マイケル・パーマー原作の同名小説をマイケル・アプテッド監督が映画化。医療実験の組織が明らかになる過程をストーリーにしている。そういこともあり得るなぁ、と思うのがせいぜい。

②どこがR15+指定なのか不明だが、“孤立化”した現代人の他者に繋がろうとして、繋がりきれない深刻な現実を描いていたように思う。
主人公・珠役を演じる門脇は本作が映画単独初主演作だという。好演したと思う。リリー・フランキーも深い孤独の中でいたことが分かって良かった。

③“極道の妻たち”シリーズの1作。だが、香港マフィアがだらしなく情けない。全体に現実味なく興醒め。

まぁこんなところ。1カ月も経っていないのに、総括で書いてみると、記憶が早くも薄れている現実に愕然とする。数カ月前まで、それ程でもなかったのに・・・。

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