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21世紀文明研究セミナー受講―“町興し”の行方”

今回もまた先週開催された(公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構主催の“21世紀文明研究セミナー”を紹介したい。先週は下記2講座を受講した。
①〈共生社会〉“地域資源を読み解き活かす”山崎義人(兵庫県立大学大学院地域資源マネジメント研究科准教授)
②〈環境〉“地球温暖化に関する経済学の視点”新澤秀則(兵庫県立大学経済学部教授・環境経済研究センター長)

今回は特に①の受講状況を報告したい。そこでは、講師はテーマ名から分かるように”町興し”のほぼ成功しつつある事例を2例提示してくれている。何を資源として行ったのかを、資源としての認識の仕方から始まって如何に巧みに活用して行っているかの事例であった。

実は、私はあるグループのメンバーであるのだが、それは様々な能力、資格を持った人々が集まってそれを活かして事業展開しようと目論んではいるが、中々活躍の舞台を見出せずにいる集まりとなっている。講演を聞く内に、こうした“町興し”事業にこのグループで参画すれば活動ステージになるのではないかと気付いたのだ。“町興し”と言えば、通常辺鄙な限界集落を思い浮かべるであろうが、実は大阪府下の衛星都市の多くがどうやら成長戦略を描けずに従来のしがらみの中で空洞化して行っているのが実態ではないかと思っている。例えば、一見密集した町のように見える所でも、実は人口減少の波が密かに押し寄せていて、商店街も賑わいはなく住居には誰も居住していないため建物自体の劣化が進行しているのが見て取れる地域が、結構大阪には多いように見受けるのだ。特に東大阪にはかつて中小零細企業の工場や倉庫・事務所・店舗が軒を競っていたが、今や産業空洞化の嵐の中で放置されてしまっている。その一方で、東京の一極集中は加速度的に進行して一見繁栄しているかのように見えるのが日本の実態だと認識していて、これは日本の非常に大きな問題点の一つではないかとも考えているのだ。これを是正するには、日本各地の内発力による“町興し”が必須ではないかと思っているのだ。

講演で示された2例は、神奈川の小田原と兵庫の豊岡であった。“まちづくり(活性化)”の要諦は“地域資源を地域資本に変えて持続可能性を追究する”ことであるというような意味の説明から始まった。ここで、資本とは“新たな生産のための投入される、過去の生産活動(=まちづくり)が生み出した生産物のストック”であり、資源とは“人間の生活や産業などの諸活動において利用可能なもの”なので、資本に変えられる資源を見つけるために、“そこに存在するものの利用可能性を発見する眼力を養う必要がある”。まちづくりの専門家・延藤安弘氏による“探検、発見、ほっとけん”という精神を尊重しつつ、“まちを見る「見方」が変わること”が必要条件であり、これにより過去の歴史の中で“断片化した地域資本”を拾い集めて資源化して再生し、現在の“資本”とすることであるとのことであった。

“まち(環境)”は、市民、行政と地域の企業から成り立っているが、行政は近年の財政規模縮小、協力的市民は滅私奉公で疲弊、競争が激化している企業は一方では社会的責任を果たすことが求められるようになってきた。そこでこの3者は“公共”のために何かしなければならないが、従来はこの3者をとりもつSocial Businessの担い手が居なかった。そこへ“新しい公共”の担い手としてのNPOの役割があり、それは“それ、いいよネ!”という共感をベースにした関与であるのがよい。そして見出された資源を再生、繋ぎ合わせてビジョン、展望を持った“物語”に仕立て直して“復興”に発展させる活動が成功につながるのだと言う。それには歴史の遺産が大きな契機になるとのことだった。

紹介事例の小田原には、戦国北条氏以来の歴史があり、それと現在も続く特産品との連携で“まちづくり”をしているので、その活動に講師・山崎氏が関与した経験の紹介であった。豊岡にも出石や城崎も含めて、維新以降豊岡県の県庁所在地として発展する機会があったという歴史があり、近年では“こうのとり”再生の中心地となっている。講師は現在ここでも、豊岡の兵庫県立大学地域資源マネジメント研究科にて研究・教育活動し、“まちづくり”に関与しているとのことであった。
しかしながら、その活動紹介については全体的包括的で具体的な部分特に困難だった局面については、限られた講演時間のせいかあまり説明は無かった。

そして私が感じたのは、成功している2例ではいずれも豊富な歴史的背景と その結果としての特産品もあったが、歴史も取り立てた特産品もない平凡な町・地域ではどうするべきなのだろう、という思いだった。勿論、研究成果事例を挙げるためには成功する事例に取組む眼力が研究者には必要であり、講師にはその慧眼があったことになる。成功事例の成功要因を説明できる研究は非常に価値のあることだと考えるし、それに異論を差し挟む意図はない。
しかし特に、講演後の質問で神戸の長田の復興についてどう見るかへの応答は、“既に震災によって、見え難い人的ネットワークが復元できない程、壊滅的になった状態では内発力は残されていないのではないかと危惧している。”であった。つまり町や地域を支える人的ネットワークが無ければ、復興どころではなくなるとの見解であり、それは正しい見方であると思われることだ。確かに、歴史ある2都市の事例では復興事業を支える特に旧家出身の若い人材が結構いたようだし、講師も豊岡では、特にある若者に期待している、と言っていた。

そうなると、先述した大阪の衛星都市の空洞化を阻止し、逆に復興するためにはどうするべきであろうか。この衛星都市群は歴史的に大坂を支える特徴のない農村だった地域であり、顕著な歴史や特産品も乏しく戦後急激に膨張した人口だったので元々人的ネットワークも脆弱のままであった。こうした地域では“町興し”活動を情熱的に担う人材さえ乏しく、既にどうしようもない状況なのかも知れない。しかし、これを敢えて何とかしなければ日本の将来は描けないのではないだろうか。

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