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再び、“神は細部に宿り給う”について

今や、日本は政治の季節・・・?だが果たして、真剣に“政治”が語られているのだろうか。各党のおざなりな政見表明に憤りを覚える。いや選挙を戦っている個々の立候補者御当人は真剣であろうが、それは御自身の“たつき”のために真剣なのだけである。見え透いたおざなりな政見は、いずれも日本の現在の苦境を打開できるものではない。と言う訳で、またまた政治問題に首を突っ込んでみたい。

“細かいことは、言わない”とわがままな“暴走老人”は呼ばわった。じゃぁ、何を国民に語るおつもりなのか。“原発フェード・アウト”どうしても核武装したい この御仁は、御自分が党首をしている党の公約に仰天し、いつもに似合わず狼狽した。一体、何をどうしたいのか しっかり自覚して政治を語って欲しい。それが、政治家のいろはのいの字だと思うのだが、この御仁は、それには興味がないようだ。かみあわない議論に 最初からズッコケ気味にもかかわらず、上から目線の姿勢に嫌気が差す。

そうかと思えば振り返ると、“卒原発”とかで慌しく新党を作る動きがあった。だが、一般に言われる“脱原発”と何が どう違うのか判然としない。単なる自己満足の 言葉遊びのようにも見える。原発についての政策・姿勢だけで、只今以降の日本を 左右する決定的要素にしてよいのであろうか。いや、原発をどうするかについて、可能性のある技術等の事実を積上げ、必要な技術の開発期間を見積もる等厳密な議論を展開して 戦略的にそれしか選択肢が無い と認識した上での結論であっただろうか。

概ね日本人には、酷い目に遭うと それから避けるために一気に拒絶へ走るという悪い性癖がある。今回も悲惨な原発事故が起きると 一気に“原発なんか要らない”と振り子が振れすぎてしまい、それ以上 その問題を深く掘り下げて考えようとはしない。それは逃避だ。逃避の後には お気楽な自己中的思考停止しかないのだ。しかも感情に走りすぎた結論なので始末に負えない。
ある意味、一般人にとって“原発ゼロ”は気楽で“自分は良い人”で居られる安心な政策だ。“原発ゼロ”の政策を実現するには 非常に困難な問題や矛盾する重要課題があることを御存知ないのであろうか。それに これは外国人に任せられる問題ではなく、我々がやらなければ誰もやらないことだ。だから自身による粘り強い思考が必要なのだ。

かつて日本人は“戦争”についても 今と同じ反応を示した。戦争で酷い目に遭った直後は、もうコリゴリとばかりに、一気に“戦争放棄” ついでに“戦力も放棄”してしまい、それで一安心し、思考停止。それも非常に感情的な“反戦平和”で、そのためには“暴力”もいとわない光景もしばしば見られた。
しばらくして、それじゃ“自衛権は、憲法でどう扱うか?”と問われて、慌てて、改正しなくても“当然の権利”だと言い始める。そして、“戦力ではない”自衛隊の設置となり、世界屈指の“実力”を誇るほどに仕立て上げても、“軍隊ではない”とうそぶく。国際法で“軍隊”なのかどうかは、自衛隊員にとっては捕虜になり得るかどうかの重要な問題だ。軍人でなければ、捕虜になり得ず、賊徒と見なされて即座に惨殺されても文句は言えない。政府は その解釈を“敵”に任せる無責任な姿勢を取って来たのだ。
そういう状態なのだが、中国は南沙諸島でやったようには、尖閣に簡単に手出しできないでいるのは、“実力ある”自衛隊が背後に控えているからであるという現実を どう考えるか。自衛隊の対潜水艦能力や航空戦能力は世界第1級であると言われる。そのために近代兵器のシステムに不慣れな彼らは様子見しており、何とか均衡を保っているのが現状だ。このお蔭で、一般国民は“お気楽に”しておれるのだ。
このように、“戦争放棄”は、理性的に粘り強く考え出した結論ではなかったので、戦争の悲惨さを知らない世代が大半となると、自衛隊を“国防軍”にしたいとか、“核武装”したい、などという戦闘的姿勢がウケる時代となってしまう。単なる気分と感情で、その時その時をやり過ごす“空気”を “原発”にも見るのは間違っているだろうか。このように論理的なintegrityが無いので、国際的に信用されないのが日本であり、“原発政策”についても世界から胡散臭く思われている。そういう事実に、日本人は無頓着のままで 良いのだろうか。

さて、そういう“空気”に左右される中での選挙戦。いかに国民の人気を博するかが勝負になる。それも 既述のように あまり理性的でない国民を相手にしてである。だから、非論理的で自己中の“細かいことはどうでも”とか、“反原発”の感覚的言葉遊びでお茶を濁す選挙戦になっているのだろうか。それを許して居て良いのだろうか。政治家も“自分は良い人”であることを見せるために言質を弄するし、それに騙されて一般日本人は心地よくして居る。やはり日本人は その水準を超える政府は持てないのであろうか。

翻って見れば 今、日本が早急にしかも徹底的に解決しなければならない問題は大きく2つある。それは、東北の復興と沖縄の米軍基地問題である。ここに日本が抱える根本問題が横たわっていると思うが、この問題の解決を真正面から捕らえて公約に掲げて声高に宣誓している政党はない。
東北の復興の背景には、適切な予算消化ができない問題や 官僚を上手く組織化して効率的に運用できていない問題がある。そして、福島には“原発”問題が具体的に存在する。被爆者への処遇について立候補者は現地で どう語っているのだろうか。ここでの生半可な言葉遊びは即座に馬脚を現すし、安易に通用はしない。
そして、この困難な東北の現状を打開する、復興への夢は、実は日本の明日につながる希望にもなりうるものであるはずのものだ。今 どれだけの政治家が 夢や希望を語っているのだろうか。そして その夢や希望は 根拠のないものであってはならない。“経済”の理にかなったものでなければ ならないが、残念なことに今の日本の政治家に“経済”を分かっている者はいないような気がする。日本の“経済”が、かつての輝きを取り戻せないのはこうした政治家の不勉強によるものだと思う。勿論、前に言ったように既成の財界人の怯懦にもよるのだろうが・・・。
また沖縄の米軍基地問題の背景には、日本の外交戦略ひいては国土防衛のための根本問題がある。これまでの日本政府は 中国に対し主権をおずおずと主張するが米国には全く主張しない。それで適切に国民を守っている近代国家と言えるのか。日米地位協定の改定なしでは、米国軍人の狼藉はなくならない。しかも基地用地に関しては、現地でのある種の利権絡みの問題もあるはずだが、何に怯えているのか、マスコミはそういった歪んだ実態を伝えようとはしない。恐らく似た問題は 東北復興の障害にもなっているのであり、日本全体の病弊でもあるはずだ。
このような個々の具体的問題を深掘りすれば、他の問題もおのずと解消できるはずだ。にも関わらず、マスコミをはじめ多くの日本人は、こういう具体的問題は意識的に無視しているかのようだ。だが、実は“神は細部に宿り給う”のであり、この“神”を無視して日本の明日はない。
プロの政治家も同じだ。12も政党乱立にも関わらず、どの党もこうした具体的問題に真面目に向き合っていない。だから、おざなりな政見表明になっており、そのような姿勢に憤りを覚えるのだ。はなはだしいのは、“細かいことは、言わない”と居直る政治家だ。“神”を無視する者には、神罰が下ってもおかしくはないはずなのだが・・・。逆に、この2つの問題に心を痛める政治家こそ、社会福祉政策にも暖かい心で問題解決を図ろうとするはずだし、そうした姿勢がなければ明日の日本を語る資格はない。

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