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日本の裁判への信頼性

先週、日本の裁判で重要な判決が出たり、判決が定まったりした。これらの判例は日本の裁判が 最近 特に変だ、と思わせるに十分だったように思う。

一つは旧長銀・経営者への最高裁の判決。
一私企業へ国民の税金が使われた問題にしては あっけない無罪判決であった。それでは一体誰が悪かったのか。
長い裁判で、忘れた頃に問題の根源をウヤムヤのままにして、幕引きしたかのようだ。
もし、最高裁判決の論理に従うならば 当時のルールを定めた金融当局の官僚の問題だったことになるが、その責任は問われていない。
この方向には司法当局も動く気配はないようだ。官僚の責任を問う法規制が無いからなのか。ならば立法(国会)の不作為なのか。
誰も悪くはないとなると、国際的に 非常に恥ずかしい問題処理であったことになる。

もう一つは 旧橋本派の幹部・村岡氏への裏献金事件に関する判決の確定である。
これも、臭い物に蓋の判決である。本当に村岡氏1人の問題だったのか。唯一の無関係者に対する冤罪になっていないのか。“いい加減な裁判”の印象は拭えない。

こんな“いい加減な裁判”が 先週一気に出てきたことになるが、これで日本の“司法への信頼”の崩壊は徐々に進行して行くだろう。信頼とは あることをきっかけに一気に無くなるのが普通なので、“徐々に崩壊”するというのも 変な話だが、人々の心象風景の中には “確実に風化・崩壊”しているのは確かだ。

この“司法への信頼”の風化・崩壊を 防ぐために “市民の裁判への参加” を考えているようにマクロ的には見える。
しかし、どうも こういった“いい加減な裁判”に“素人”を参加させて“玄人”の責任を薄めようと考えているように 思える。この“素人”裁判員達には“玄人”の裁判官が 3日の裁判の間にOJTして判決を出させることになっているらしい。“法の精神”の根幹思想や知識そのものに乏しい市民にとっては専門家の裁判官の“指導”は重く 判決に大きく影響されるのは明らかであろう。
つまり、“素人”に“いい加減な裁判”の一端を担がせるよう仕組まれているとしか思えない。高級官僚達の大きな陰謀なのだろうか。もし、そうならば一般市民もなめられたものだ。

裁判に“素人の市民”を参加させるというならば、先ずは “国寄り”の判決の多い行政訴訟裁判への参加から始めることこそ重要だと思う。“国寄りの判決”が そもそもの“司法への信頼”の風化・崩壊のきっかけになっているからだ。先ず、行政裁判の市民参加が、“司法への信頼”を回復させる第一歩だと思うがどうだろうか。

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