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今年の株式市場から日本経済や社会を思う

日本の株式市場は年初より暴落が続いている。先週最終日はさすがに、日経平均で941円の大幅上昇を見たが、年初からの累積で2,075円の下落なので、正しく焼け石に水だ。昨年末は振れ幅の大きい相場となっていたので、いずれ暴落か暴騰となるだろうと思ってはいたが、早くも悪い方になってしまった。あるチャート・アナリストも12月の初頭に年初から暴落の懸念があると言っていたので、とりあえずJPX400の投信を全て売却したが、それがズバリ的中した印象だ。
その後について、そのチャート・アナリストによれば節目と見ていた16,100円をあっさり割り込んでしまったので、15,600円または15,200円程度、最悪14,500円まで下落する可能性が高いと言っている。先週末の大幅上昇を見ても、市場環境は実質的に何ら変わっていないので下げ基調であることは間違いないと私は見ている。
つまり、原油の供給は過剰傾向で、それが継続される見込みなので価格は低迷したまま推移するであろう。シェール・オイルでだぶつき、そこへイランが参入するのは決まった予定だからだ。一方、中国経済も回復の見込みなく、石油需要は減退したままだ。“環境”には好ましい現実なのだが…。その中国の構造改革は 専制的な政権そのものの深層問題なので日本以上に困難を極めて不徹底に終わるであろうことは誰の目にも明らかなのだ。

殆どのアナリストは、少なくとも3月まで今の相場低迷は続くと予想している。私自身も年末から続く相場をチャートの様子から“三角持合い”と見て、正月明けは2月上旬まで低迷すると見ていたが、その後 どう見ても5月頃と見るようになった。しかし、先週の株価パフォーマンスから“三角持合い”とは到底言えなくなり、下値サポート線を右肩下がりでしか描けなくなっている。つまり、相場は当面どう見ても全体としてダウン・トレンドと判ぜざるを得ない状況なのだ。
そう見ると、チャート上では上記の15,500円または15,000円の節目近辺には、来週初めから再来週には到達しそうな形勢にあるので、直近注意が必要な段階にあると言える。先週末はニューヨーク市場は大幅上昇したので、週明けの東証は一服すると見て良いと思われるが、もしここで下落するとなると大変なことになる。いわば足元では極めて危うい客観情勢と言える。

さて、そういう見方は経済の実勢を無視した見方だという声もあるが、私はそうは思っていない。現状の経済実態はむしろ不況とは言えない。しかし株式市場は“半年後の経済実態を映す”と言うことを念頭に置きつつ考察しなければならないのだ。つまり半年後の日本経済を想像しなければならず、アベノミクスの“成果(成れの果て)”をどう見るかが課題だ。
そのアベノミクス、今誰もが“今年は手詰まりだ”と言っている。そこには“大回り3年”という言葉がある。それは、好況は長くは続かず3年目には節目が必ず来る、という意味だ。だからこそ、その前2年間に日本を21世紀にふさわしいしっかりとした経済を築ける状態にするべきだったのだが、果たしてそれが出来たと言えるのだろうか。浮ついた今さえ良ければ良いと言う政策でしかなかったのではないか。だからこそ、“今年は手詰まりだ”と言う状態なのではないか。
“現下の相場はダメだが、春から回復する”という見方が大半だが、それは参院選を前に政権が経済を刺激する政策を発動するハズだからという。“国策に売りなし”なのだ。この見方は昨年夏の暴落の頃から言われて来たが、それがとうとう今春のドン詰まりまで後ズレしてしまっている。しかしこの期待されている経済の上昇は、安倍政権発足後に日本経済の構造改革を目指した政策の成果を刈り取る時期がやって来るからだという理由では決してない。相変わらず目先の小手先政策の発動でしかない。果たして、それで財政規律は改善できるのか。そうした現政権の政策は麻薬であり、むしろ財政規律は悪化する一方で、それは次第に日本経済をむしばむであろうが、それで良いのか。
何の裏付けもない話で恐縮だが、この世界の同時株安の中で、先進国中 日本の株式市場だけが大きく下落しているように感じるが、それは世界中が日本経済のそうした本質的な脆弱性を見抜いて売っているためではないかと懸念するが、考え過ぎだろうか。特に 中東筋が弱い経済主体の株は持っていても仕方ないという見方の下に、集中的に売っている可能性はないのだろうか。

さてそのアベノミクスの現状はどうか。企業それも株式市場で一部上場の大手企業の好況は確かである。トリクル効果でその傘下の中小企業も好況になり、その後それが一般にも波及すると言われていたが、全くその気配はなく、一般の好況感は一切なく今日に至っている。
その大きな要因が、勤労者の賃金が上昇しないことにあると言われている。消費増税の影響で見掛け上物価が上昇したが、収入が増えていないのでマクロ経済的にも消費が増加していない。そこで、マヌケな政権は経営者団体に賃上げを要請するハメになった。政治家ならば政策や税制によって、賃上げせざるを得ない状況にするのが本来だがどうしてそのようにしないのか。同一労働同一賃金等明日の日本に極めて有用な政策が多数あると考えるが、迅速に実現させないのは不思議だ。
しかし、もっと情けないのは日本の経営者だ。政権の焦りをよそに今年の賃上げの内容は昨年より渋いとの報道がある。内部留保や自己の報酬増には熱心だが、社員の給与増額には冷淡なのはどういう訳であろうか。

日本の経営者は新規投資にも不熱心だ。設備投資が不活発だと言う。縮小する国内市場に対し、何の工夫もなく縮こまっている姿だ。これでは野心的な資本主義のダイナミズムは生まれない。円高になれば海外企業の買収も考えられるが、超円高の時代にそれを為した経営者は居なかった。マヌケな話で、円安になってようやく海外企業の買収が語られるようになった。資本主義にはタイミングという視点も非常に重要だが、そういう意識は日本の経営者には乏しいように見受けられる。
日本では労働人口減少の中に在って生産性向上のための設備投資が企業家にとって重要なテーマだと考えられる。このための情報化投資はその一環だと考えられるものだが、日米比較のデータでは日本の情報化投資額は米国のそれの半分以下だという。その傾向は10年近く変わらないので、投資の蓄積差額は大きく開く一方だという。必要な投資すらケチっている日本の経営者の姿、80年代に言われた日本的経営とはかけ離れた印象を持ってしまう。
これは、日本の経営トップに真の事業家が居ないことによるものではないか。つまり、自社の事業の実態や本質を知らず、不況時を乗り切るためだけの財務専門家がトップに座った結果の悪弊ではないのか。東芝問題の病弊は事業実務を知らない経営者の見かけの財務状況にこだわった姿勢にあるように思う。日本の経済に戦後のダイナミズムが感じられないのは、そこにあるのではないか。

労働人口の減少の中に在って、政治家も旧弊の中にある。“女性活躍社会”は口先ばかりだ。自民党の若い国会議員が育休を取ると宣言すると、それへの風当たりが強いという。誰がそんな風を吹かせているのかというと一向に明確な報道は無い。政治家には発言の説明責任を負う義務があるが表立って出てこない。夫婦別姓についても、彼らは極めて後ろ向きだ。
台湾でこのほど女性総統が誕生すると言う。韓国は既に情勢大統領だ。日本で女性首相が誕生するのは何時の日だろうか。

というよりも、韓国も台湾も野党勢力が結構強く、政権交代が程良いタイミングで出来ている。ところが、日本ではこれが上手く行っていない。このままでは、日本の民主主義度は落ちる一方ではないか。外見上だけの問題なのか、何故、日本の民主主義が旧植民地よりもレベルが低いことを、誰も問題視しないのか疑問だ。
日本の法学や政治学、経済学のレベルが世界標準で見て、非常に劣っているのが実情ではないのか。だから歴史修正主義が横行し、教育行政でも、大学の文系教育は軽んじられるようになって来ているのではないだろうか。これでは文理融合の時代に世界の知性の半分以上から見離されてしまい、優秀な留学生も集まらず、好事家だけが集う現実となる。
日本人の政治・社会意識は、ホッブズやロック登場前の16世紀までの状況ではないのか。せいぜいでマキャベリ止まりではないか。こんな言い方はマキャベリには失礼な話だが、彼については日本では政治力学のみに関心が集中してしまっている。このように世界史や思想史の大筋すら日本人には認識の外ではないのか。
だから日本人の“抵抗権”に対する認識は低く、市民革命の意義に対してはかけらも感じられない。安保法制に対する日本人の動向を見ていると、立憲主義の意義すら一般には十分に理解されていないという不安を感じる。いわばオツムはチョンマゲ以前の状態なのだ。しかも表面的には“武士道”を語っても、政治家や権力者、経営者には“切腹”の覚悟や自覚は全くなく、“美徳”は崩れ去ったままだ。サムライはスポーツ・チームの名称でしか語られない。

背広を着た“進化しないサル”が日本人の実相だとすれば、今後海外から日本人が尊敬されることはあるまい。我々日本人の意識は近代社会になく、中世農民のままで近代社会に至っているとすれば、日本の将来は絶望でしかない。そんな日本人には21世紀社会の課題認識やそれを語る能力・資格は無いからだ。だからこそ原発問題などという人類最先端の最も重要な課題に、いつまで経ってもすっきりした解答を世界に示せないのだ。これでは災い転じて世界を指導する立場には立てない。深い文明論的哲学認識は日本人には全く不向きな課題なのだ。だからこそ高度なリスク認識が乏しく、日本国民が一致して抱くべき国家戦略も構想できないのだ。
何故こうなったのか、我々は猛省しなければならない。一部マスコミで日本や日本人はこんなに世界から羨ましがられているといった紹介番組や記事、報道が最近特に多いように思われるが、こうした姿勢では日本社会の今の閉塞状況は打破できないことを肝に銘じるべきだ。反省無きところに危機感無く、進歩は無い。

このように日本人の社会・経済意識に進歩なく、実際に改革が進まない状況では日本社会も停滞から脱しきれず、株式市場をはじめ社会状態は悪化する一方であろう。

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