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頼富 本宏・著“空海と密教―「情報」と「癒し」の扉をひらく”を読んで

2月9日の株式市場について“日経平均終値34円高、2日連続でバブル以来の高値更新…一時3万7000円台まで上昇”という見出しが躍った。だが、私の把握する限りソフトバンクGの株価が上がっただけで、大抵の銘柄では値下がりしていた。調べてみるとやはり、値下がり銘柄の方が多い。つまり市場全体の先行きは手放しではしゃぐ内容ではないということだ。
但し、ソフトバンクGの上昇要因は、所有するヴィジョン・ファンドが好決算に転化し、最大の投資先英国の半導体設計大手アームHDが8日の米株式市場で+47.89%と急伸したことにある。そういう特殊事情が東京市場全体に影響を及ぼし続ける見通しはないのだ。やはりいつも通り慎重に対処すべきであろう。

一方、春節で大勢の中国人の来日を期待した向きは肩すかしらしい。不況で日本に来る余裕がないのが大半のようだ。だから来日している中国人はどうやらお金持ち!また、その中国での移動人口はお得意の数字のごまかしでみせかけの増加を喧伝しているらしい。まぁ肝心のGDPも誤魔化しているから今更何を言ってもはじまらない。ホンマニ世界第2位の経済規模なのか?
中国の不良債権は放置すればするほど増大すると言われる。それをこの数年間放置してきた。その結果IMFの推計でGDP比300%とされている。こりゃぁもう真底ダメの段階。破綻があらわになれば地獄の社会になるのではないだろうか。
そんな状態で、台湾軍事侵攻はできるのか。否、むしろそうだからこそ政権の命運をかけて実行することもありうる。 
このように中国経済は日本のバブル崩壊時よりも酷く(日本の不良債権はGDPの20%だったとされる)、“中国の今後のシナリオ”を深慮する必要がある段階なのだ。ましてこれから中国進出を考える企業があれば、それはまるっきりアホアホなのだ。

中国の混乱に輪をかけるのがトランプ2.0と考えられる。それを阻止する要因はないのか、と思っていたら、米議会襲撃事件に対し、トランプ氏の免責を認めないとする判断を米連邦高裁が下したとの報が入った。そうだ未だ正義の芽は残っていたのだ。さらに、大統領選立候補の権利剝奪の訴訟も結構起きているとのこと。何とかその方向で事態は進まないか、わずかな期待を持ちたい。



さて、今回紹介したい本は頼富 本宏・著“空海と密教―「情報」と「癒し」の扉をひらく”(PHP新書)である。書店(正直言うとBook Offで)の仏教セクションで見つけた本書、未だに空海についてすっきり理解できていないので、私の注意を惹いた。そして、著者の経歴を見てこれは間違いない方、とすぐに思った。そして買った。そういう本だった。
以下に本書の概要と著者略歴を示す。

【出版社内容情報】 
その「癒し」の思想と多彩に生きる知恵を提示。
情報通でマルチな才能。静かな生を肯定する「癒し」の思想――見逃されてきた空海像に光を当て、現代に通じる多彩に生きる知恵を示す。
平安の大思想家であり、今日なお、弘法大師として日本文化に深く溶け込む存在、空海。その生涯とは、密教の奥義をひもとき、聖なるエネルギーを広く行き渡らせるものであった。
都を離れての山林修行、命がけの入唐、恵果阿闍梨との師弟関係、ライバル最澄との接近と離別……。数々の伝記資料を用いながら、聖と俗の両界を自由に往来した空海の実像に迫る。
本書では主に、空海の思想と行動の構造の異なる二軸、すなわち「情報」と「癒し」の二つの視点に焦点をあてている。「情報」とは、七世紀から八世紀のアジアは国際化の時代であり、その代表的国際人、文化人が空海であったという意味である。「癒し」とは、とらわれやこだわりをなくす密教の教えを意味している。
単なる「知識」ではなく、身体で覚える「智恵」とは何か。空海の思想と行動を通して、現代人に「さとり」の意味を問いかける。千二百年の時空を超えて、人間空海の実像に迫った本格的評伝である。

【目次】 
序章 情報と癒し―動脈と静脈
第1章 誕生とその環境―恵まれた風土と家族
第2章 出家への道のり―情報から癒しへ
第3章 入唐前夜―基礎要件の確保
第4章 入唐求法―宗教と文化の二情報
第5章 密教受法―遍照金剛の誕生
第6章 虚しく往きて実ちて帰る―新情報とツール
第7章 雌伏の日々―蓄えられたエネルギー
第8章 都での期待―最澄・嵯峨天皇との出会い
第9章 真言密教の確立―若葉萌える季節
第10章 著作と思想―教理と教判
終章 入定と大師信仰―空海から弘法大師へ

【著者等紹介】頼富本宏[ヨリトミモトヒロ] 
1945年香川県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。種智院大学講師・教授、国際日本文化研究センター教授を歴任。2002年より種智院大学学長を務める。2011年より同大学の名誉教授。大正大学客員教授、種智院大学名誉教授、真言宗実相寺(神戸市)住職。1982年に朝日学術奨励賞、1995年に密教学芸賞を受賞。
主な著書に『お寺の教科書 増補版』(エイ出版社)、『密教とマンダラ』(講談社)、『マンダラの仏たち 改訂版』(東京美術)、『わたしの密教 今日を生きる智恵』『あなたの密教 明日を生きる手立て』(いずれも法蔵館)など多数。訳注書に、『空海コレクション』〈1〉〈2〉(筑摩書房)。

著者は“はじめに”で次のように言う。
“本書は、巷間に「お大師さん」として定着している弘法大師・空海を歴史上の基礎資料(文献資料と美術資料)を用いながら、しかも現代に生きる者が、ある視点から取り上げようとするものである。その視点とは、簡単にいえば「情報」と「癒し」である。いずれもすでに市民権を得た言葉であり、いまではさらなる細分化と再吟味が進行中であるが、私は人間空海の思想と行動における二極、もしくは二様の在り方との関連で、この「情報」と「癒し」の二軸に注目したい。
ありきたりにいえば、温故知新(故きを温ねて新しきを知る)、古い革袋に新しい酒を盛るという表現に近いが、空海という人間は、時代(時間)と地域(空間)を越えて私たちに発信する内容と意義を多分に備えていることを確信している。”

その意気込みに期待できると思って読み始める。
次に空海の四つの名を紹介しているのは面白く結構大切な要素であろう。
(1)真魚(まお)  誕生から二十四歳頃まで
(2)空海(くうかい)  二十四歳頃から三十一歳まで
(3)遍照金剛(へんじょうこんごう)  三十一歳から六十二歳まで
(4)弘法大師(こうぼうだいし)  入定の八十六年後から現代まで
仏教僧名の空海や遍照金剛は仏教者として自称しているが、弘法大師という大師号は入定後86年後に醍醐天皇から与えられたもので本人のあずかり知らぬところである。だが、“広い視野から空海を語り、しかも彼と生きようとするときには、弘法大師という普遍化し、巨大化した大空海のイメージを無視できない”としている。

ところで、私の空海に関する最大の興味は空海と最澄の関係・別離である。その関係変化を通じて“密教”の何たるかを知れるものと思った。
最澄との別離は第8章の“空海と最澄の離別”に簡単に書かれている。その前段“高雄の灌頂”では空海が主催して高雄山寺(現在の神護寺?)で最澄をはじめ4名に先ず金剛界灌頂を行ったとある。その1カ月後、胎蔵界灌頂を190名ばかりに行ったとしている。これらの灌頂は“密教のマンダラ諸尊との縁を結ぶ結縁灌頂、つまり入門の灌頂であったが、しかし最澄や高弟たちにとっては密教受学の許可を得るための学法灌頂であったろう”という。しかし、これは“かつての空海のように、事前に梵字・梵語の学習をしていなければ理解は非常に難しい”と指摘している。
そして“空海と最澄の離別”の項で“こののち、空海は高雄山寺にとどまっていた泰範・円澄・光定らの高弟たちに対して『法華儀軌』(法華経の供養儀式を密教化したもの)による一尊法を授け、修習指導した。しかしすでに天台宗を率いて苦闘していた最澄は、長く比叡山を留守にすることはできなかった。そこで愛弟子の泰範を高雄に残し、その後も空海に対して密教経軌の借覧を依頼したのである。”本人に直接指導しなければ正しく伝わらないと考えるのが普通でなので、“こうした最澄の密教理解に対して、空海は密教における師から弟子への直接相承(面受)の意義を強調したり、逆に「もし師に従わずして稟受決択(ほんじゅけっしゃく)し、しかもほしきままに作す者をば、これをすなわち名づけて越三昧耶(おつさんまや・違法の罪)となす」と述べて忠告しても、密教の受法にのみ焦点を固定し、そのアプローチの必要条件の違いに気づかない最澄は、むしろかたくなに受法を得んことを期待した。”という。空海の説得に最澄が応じなかったというのだ。最澄にはよほど天台教団の方が大切だったのだろう。余裕なく“事前の梵字・梵語の学習”を飛ばしたせいか、何だか“とんでもなく生真面目な”最澄の身勝手さがこの場合目立っている。まぁ自分の生存に残された時間を思って惜しんだのかもしれない。
“その後、二人の間には、それぞれの人間的性格、すなわち原理原則型の最澄と全体調和と効果重視の空海という違いのほか、それぞれの仏教における密教の位置づけ、具体的には法華一条と密教の双修という難行を目指す最澄と、密教の中にすべての仏教を統一しようとする空海という大前提の相違が深く横たわっていた。”と、ひろさちや氏と同様の見解を述べている。
そして両者の間にはさまれた泰範に対して最澄の比叡山への帰山を促した手紙に“法華一乗と真言一乗と何ぞ優劣あらんや”と率直に書いたことで最終的に両者の断絶となった、という。空海はその手紙を読んだのか?近代ではあまりよろしくないとされるが、古代では普通のことだったのか。泰範が進んで見せたのか?

そして私の次の関心は空海の“即身成仏”である。この思想は法然・親鸞の念仏仏教につながるものと思っている。
Wikipediaによれば“日本密教では、この肉身のまま(現世)で究極の悟りを開き、仏になることを「即身成仏」と称する。”とある。字義の通りである。この本ではどう解説しているか。
だが、何やら肝心な部分は簡略化しているので良く分からずに読み飛ばしてしまっていたのだった。例えば徳一との論争を、最澄とのが熾烈だったのに対し、“好対照となった空海の好意的態度”だったとし、“空海には相手の立場を一応認めながら、それを自家薬籠中に持ち込む態度が見られないわけではないが、それは恵果(唐での師)に対しての場合と同様、計算されつくした処世術というよりも密教そのものの持つ包摂的、総合的特色にあると考えている。”と、論争が何だったのか、どのようだったかの解説は省略されている。紙幅の不足なのか、不親切なのだ。

閑話休題。ちなみに“即身成仏”についてWikipediaでは次のように記している。
“日本密教では、この肉身のままで究極の悟りを開き、仏になることを「即身成仏」と称する。
大乗仏教などの顕教が「三劫成仏」「三劫」と呼ばれるとても長い時間の修行の末に仏になれることを説くのに対し、日本密教においては「即身成仏」、すなわちこの現世においてこの身のままに悟りを得て仏になれることを説く。
即身成仏思想の元となるインドの中期密教は経典等の形で空海以前に日本にすでに持ち込まれていたが、初めて体系的に日本に持ち込んだのは、延暦23年(804年)に遣唐使として唐朝に派遣された空海である。『金剛頂経』などの経典からこれを学んだ空海は大同元年(807年)に帰国、その将来品の内容を『請来目録』に記して10月22日に朝廷に提出した。その後『弁顕密二教論』の段階では速疾成仏との表現に留まっているが、徳一などとの議論を経て、真言密教における即身成仏は『即身成仏義』として理論化された。『即身成仏義』における以下の詩文は、真言密教における即身成仏の考え方を端的にあらわしたものとされる。真言宗の伝統的に前半4行が「即身」、後半4行が「成仏」の説明であるとする
「六大無碍にして常に瑜伽なり。四種曼荼各々離れず。三密加持して速疾に顕わる。重々帝網なるを即身と名づく。
法然に薩般若を具足し、心数心王刹塵に過ぎたり。各々五智無際智を具す、円鏡力の故に実覚智なり。」

「六大」とは五大に加え識大を加えたもので、世界のあらゆるものの構成要素を示す。
「四種曼荼」とはすなわち「大曼荼羅」「三昧耶曼荼羅」「法曼荼羅」「羯磨曼荼羅」という4種類の曼陀羅で表現される。空海は唐朝から曼荼羅も持ち帰り、真言密教の思想とともに全国に広めた。弘仁14年(823年)に嵯峨天皇から東寺を給預された空海は、東寺においてこの四種曼荼を表現させたが、これらは1200年の時を超えて現存している。
「三密」とは仏の身口意の三つである。(「身密・手に諸尊の印契(印相)を結ぶ」、「口密(語密)・口に真言を読誦する」、「意密・意(こころ)に曼荼羅の諸尊を観想する」の総称。)

さらに『声字実相義』(しょうじじっそうぎ)によると、
「それ如來の説法は、必ず文字(もんじ)による。文字の所在は六塵(ろくぢん)その体なり。六塵の本は法仏の三密すなはちこれなり。平等の三密は、法界に遍じて常恒(じゃうごう)なり」

訳:そもそも如來の説法は、必ず文字によっている。文字の所在においては、六塵(見えるもの・聞こえるもの・嗅げるもの・味わえるもの・触れられるもの・考えられるもの)がその主体である。六塵の本質は宇宙の真理たる仏の三密(身体・言語・意の神秘的な働き)にほかならない。(如来の)差別のない三密は、法界(全世界)に満ち満ちており、永遠である。”

そして、本書では第十章“即身成仏の独自性”で、次のように指摘している。
“密教の密教たるゆえんは、現象の世界に身を置くわれわれの中にいかにして聖なる実在の境地を現成するかにあるといっても過言ではない。この裏づけがなければ、いかなる加持祈祷も亡者に対する追善回向も意味を持たない。空海はこの縦、つまり異次元をつなぐ垂直の構造を即身成仏と呼んだのである。
そこで、即身成仏の説明論理としては、『弁顕密二教論』の延長線上にある速時成仏から、六大(地・水・火・風・空・識)の存在論と、四曼(大・三・法・羯の四種マンダラ)の認識論と、身・口・意の三密(行為形態)の実践論を、それぞれ体(本体)・相(様相)・用(ゆう・作用)として理論化した著作をまとめた。これが弘仁十年(819)頃の作とされる『即身成仏義』である。
さらに、顕密対比の第二の論点とされる所説の教法、つまり説かれた教えの言語表現の問題を論じた『声字実相義』と『吽字義』を続けて著している。上記の三著作を「三部書」と呼んでいる。”
というように、著作物の名称の説明で終わっていて、その内容についての解説は無くさっぱり理解不能なのだ。つまり、“即身成仏”を空海はどういう著作で解説しているかを案内して終わっているから、その中身はブラック・ボックスのままなのだ。

ついでにWikipediaでは結論的に次のように述べている。“親鸞に近い弟子が書いたとされる歎異抄では、即身成仏は真言宗の奥義であり、それは聖人ですら難しいことであるから、それよりも阿弥陀如来に救ってもらうべきとしている。”

そして、空海を総括して著者は次のように言う。
“歴史上の人間空海の中に、聖俗の垂直構造と俗俗の水平構造をあわせ持っており、その有効な調和が空海の思想と行動の顕著な特徴であるのみならず、インドと中国という二種の性格の異なる密教を統合止揚した日本密教の体現であるといってよかろう。
そして最後に歴史的空海をより哲学的、宗教的にレヴェル・アップさせたのが「弘法大師」という存在である。”

まぁ結局この本だけでは、結局空海の人生は分かったが、密教は分かったようで良く分からない。これで表題にある“癒し”となったか?体よくはぐらかされているのではないか。残念・無念と言わざるを得ない。
当然!まだまだ未熟!喝、カーッ!

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