goo blog サービス終了のお知らせ 
goo

“墨攻”に 登場する“雲梯”に まつわって

映画“墨攻”と同じ表題の 文庫本が 映画の公開された頃、大阪・梅田の本屋さんで平積みされていました。
その時、驚いて手に取って見て、どうやら 映画の元になった小説だ、と分かったのです。公開前にテレビで 予告編的番組などを見ていましたので “墨子”に興味を抱いていたところでした。
その時は あまり読む気がなく、いずれ、と思っていたのですが、その後、だんだん読みたくなり、いざ近所の本屋さんなどで探したのですが 全く見当たらず 平積みなど考えられない状態であると思い知ったのです。
その時、ネット上で少々調べてみると どうやらこの小説は 一旦 劇画になり、それから映画になった、という代物であると分かったのです。
その後 東京出張時 ようやく五反田のそれほど大きくない本屋さんで 見つけて 購入し、読みました。

小学校に必ずある遊具に雲梯(うんてい)があります。これは どうやらこの小説の冒頭のエピソードに 登場する攻城兵器の名称が 由来のようで、下図にあるような格好をしたものらしいのです。つまり 城壁を乗り越えるための はしご車のようなもので、姿かたちから 現代遊具の名称由来にふさわしいもののようです。明治期日本の人々の漢籍への教養が窺われるような気がします。
これを 楚の公輸盤という男が発明した、ということですが、この兵器による攻撃を墨子(墨翟)が 撃退するというエピソードです。



このエピソードは、楚が “雲梯”を用いて宋を攻めると聞いた 墨子先生が攻撃を止めさせるため 楚に赴き、この“雲梯”を発明した公輸盤や 楚王に会うという話です。その会見の場で、宋城攻撃の困難さを示すために墨子先生が公輸盤と戦闘シミュレーションを 楚王の前で行うのです。そして 公輸盤は 新兵器“雲梯”を使って 墨子先生を攻めるが 勝てずに敗退したというのです。
ですが、この話は どう考えても作り上げられた“お話”だと思うのです。
つまり 個々の戦闘シミュレーション結果の勝利条件などルールを決めることが その場で直ちに決めることは まず困難であると思われるからです。また厳密には、ゲーム運営にはコンピュータなどの電子頭脳ツールが必要ではないかと思われるからです。ですから、木片による机上演習など 想像がつかないのです。
それに 机上演習で勝つことと 実際の闘争での勝利とが 全く同等であるとは 誰も考えないと思うのです。それは、現実に 生じる偶然の要素が 十分に織り込めないことも当然考えられるからです。だから 負けた公輸盤が 墨子へ 負け惜しみの捨て台詞を吐くということも 公平に見て許るされるものではないか、と思うのです。話では そこは墨子先生が 楚王を 弁舌巧みに上手く言いくるめて、戦意を 削がせることに成功するのです。

ところが、この話、よく調べてみると原典『墨子』に 登場しているようです。例えば講談社学術文庫の浅野裕一『墨子』公輸篇に 同じ話が出ています。また その本の 解説によると、この話は、魯迅も “故事新編”で 反日帝民族主義小説として取り上げているようです。私には そんなに リアリティがある話とは思えないのですが リアリストの中国人には 返って現実感ある説話なのでしょうか。というか、どうやら中国人にとって “術競(くら)べ”という題材は 愛好してやまない題材の一つとのことです。

この小説“墨攻”の本編は 私の好きな宮城谷昌也氏の小説を彷彿させるものがあります。宮城谷氏の場合は 大抵 何らかの史実を手がかりにイメージを膨らませたものであるのに対し、この“墨攻”は、全く著者の創作のようです。
映画では“10万の敵”のようですが この原作小説では “2万の敵”でした。

“春秋末、墨子によって創始された墨家の学団は、戦国末に至る約二百年間、巨大な勢力を維持して、(当時の中国の)思想界を儒家と二分する存在であった。” (浅野裕一“墨子”)
このように墨子の考え方は、孔子とは 対称的な思想ですが 漢代以降歴史に埋もれてしまったのが 今、こうした形で日の目を見ているのは 興味深く、これからも 機会あれば 私もstudyして行きたいと思っています。
特に “非攻”というコンセプトは 日本の平和主義憲法を考察するとき、その解釈と展開にどのような影響があるのでしょうか。この平和主義は、古代中国も現代日本も 単なる ノスタルジックな “平和へのあこがれ” という意味においてのみ普遍的なのでしょうか。まぁ とにかく 反戦を考えるよすがの材料として、どこかで見つめ直してみたいと思うのです。

“墨翟(墨子)を首領とする墨家集団は、「非攻」説を掲げて 軍事大国による侵略戦争を批判し、自ら弱小国に赴いて城邑の防衛に参戦した。この墨家の活動も、強固な平和論に支えられた特異な実践活動であった。” “また、墨家の非攻論は、単なる机上の論理ではなく、集団的な実践活動をともなった点に特色がある。「墨守」とは、墨家集団が、さまざまな戦術・兵器を駆使して堅い守備を誇ったことに由来することば”である。(湯浅邦弘“よみがえる中国の兵法”)
コメント ( 0 ) | Trackback ( )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« “未熟の晩鐘” “ISOを活かす―... »
 
コメント(10/1 コメント投稿終了予定)
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。