父母未生以前について2 2018年01月22日 | 禅 「無始」(無の始、始めのない始め)ということが仏教ではよく使われます。 自分は何処から来たのか「本当に元(本)があるのか」ということを 参究してみる必要があるわけです。 本当に何も無いという「無いもの」が残りやすいのです。 よく「無い」とか「只」とかということで終わらせてしまう人がいますが、「無い」 とか、「只」というものがあるのでは「元がある」ということです。 それに気が付かなければなりません。 « 父母未生以前について1 | トップ | 父母未生以前について3 »
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